第122話 片思い三重奏 2

 僕――タナカ=テツオは今、猛烈に恋をしている。


 その想い人というのは、ここ最近いつもクラン・レイジの本部にいる女の子。

 黒髪とツインテールが良く似合う、可愛らしい容姿の美少女だ。


 彼女を見るだけで、僕の胸は高鳴り、身体中が熱くなる。

 今まで何度か人を好きになったことはあるけれど、これほど深く好きになったのは間違いなく初めてだ。

 ……女神様に魅了されていたときを除けば。


 けれど、あのときとは違って、これは僕自身の本物の想いだ。

 彼女と楽しく話をしてみたい。

 傍で笑っている顔を見たい。

 手を繋いでみたい。

 デートしてみたい。

 そしてできればその先に――


「なのに、何で僕は声をかけることすらできないんだよぉぉぉっ!」


 僕は頭を抱えていた。

 実を言うと、遠くから彼女を眺めているばかりで、言葉を交したことすら一度もないのだ。


 知っているのは名前だけ。

 ルファちゃん、というらしい。

 レイジさんから教えてもらった。


 確かに地球にいる頃の僕はヘタレで童貞だった。

 けれど、女神様の洗脳を解くために色んな女性と交わり、膨大な経験値を経て成長を遂げた今は違う――と思っていたのに。


「他の女の子なら普通にナンパできるんだけどな……」


 あの少女がそれだけ僕にとって特別な存在なのだろうけど、いつまでもこんな悶々とした状態はごめんだった。ストレスでマジ禿げそう。


「よ、よし、きょ、今日こそは! 今日こそは勇気を振り絞って告白――は無理でも、まずはお友達から!」


 と、ちょうどそのとき、クラン本部のエントランスを横切る彼女の姿が見えた。


「う~、あのクソメイドめっ……」


 何かぶつぶつ呟いているが、よく聞き取れない。

 なぜなら僕の心臓が弾けそうなほどバクバクと大きな音色を奏でているから。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 呼吸を荒くしながら、少女の後を追い駆けようとする。

 ああっ、彼女から漂ってくるこの花の蜜のような良い香り!

 って、これじゃあ完全な変質者だ! 落ち着け!


 僕は懸命に心を落ち好かせて、ついに少女に声をかけようとする。


「コココ、コンニチハ~?」


 物凄くぎこちなくなってしまった。


「どうしたらレイジ君とぶつぶつぶつ……」


 しかも僕の声が聞こえなかったのか、少女は完全にスルーしてそのまま外へと出て行く。


「……ふ、ふはは……」


 彼女の後姿を見送って、思わず乾いた笑い声が漏れた。


「……僕のダメ野郎……」


 がっくりと肩を落とし、僕はふらふらとベンチに腰を下ろした。

 しばらく項垂れて、ふと顔を上げたときだった。


 エントランス内にいた女性と目が合う。


「ひっ……」と、僕は思わず小さな悲鳴を上げてしまった。

 というのも、その女性がまるで親の仇でも睨むかのような形相をしていたからだ。


 たぶん、クラン・レイジに所属している冒険者だ。

 そう言えば何度か見かけたことがある気がする。

 随分と目つきが鋭い。

 まるで女海賊のようだなという感想がふと脳裏に浮かぶ。


 けど僕、彼女に何かしたっけ!?

 生憎と会話を交した記憶すらない。

 なのに何であんな目で僕を……?


 ああでも、ちょっと前まで手当たり次第にナンパしてたから、もしかしたらそのときに声をかけてしまったのかもしれない。

 もしそうだとしたら、あんな怖そうな人によく声をかけたな、僕……。


「……お、おい、ちょっといいか?」

「っ!?」


 そんなことを考えていると、いきなり声をかけられた。

 いつの間にか彼女がすぐ傍に立っている。


「…………」


 そして無言のままじっと僕を睨み続けている。

 しかも顔が紅潮している。

 拳を握りしめ、わなわなと小刻みに全身を震わせていた。

 め、めちゃくちゃ怒ってる!?


「す、すいません……っ! 僕これから用事があるんで!」


 恐怖を覚え、僕は一目散にその場から逃げ出したのだった。







 悶々とした気持ちを発散しようと、僕が向かったのは娼館だった。


 こう言っちゃなんだけれど、僕は勇者なのでこの世界の人間たちの中ではほぼ最強クラスの力を持っている。

 なので幾らでも金を稼ぐことができ、実際、一生かかっても使え切れないほどの金を持っている。


 ゆえに僕が抱くのはいつも最高級の娼婦ばかり。

 容姿もさることながら、接客においても洗練されていてサービスも素晴らしい。


「ああ、嬉しい。ようやくわたくしを指名してくださったのですね。以前から起こしになるたびに影ながら見ておりました。なぜ早くわたくしを抱いて下さらないのかと、いつもいつも嫉妬するばかりで……」


 そんな風に男の自尊心を擽ってくれるような言葉をかけてくれる。

 けれど分かっている。

 所詮こんなのは演技で、彼女が僕に求めているのは愛ではなく金だということを。


 そう思うと悲しくなってきて、彼女を抱きながらも僕はどこか心ここにあらずだった。

 嘘です。普通に楽しみました。やっぱりテクニックのある子はいいね!


 とは言え、ひと時の夢が終わると、後に待つのは寂寥感。

 賢者モードも手伝って、途轍もない倦怠感に襲われてしまう。


「そこのイケメンのお兄さん」


 ふらふらと街中を歩いていると、不意に声をかけられた。

 って、待て待て。イケメンって、さすがに僕のことじゃないだろ。

 そう思っていると、指をさされた。


「あなたのことですよ」


 いかにも怪しい男だ。

 年齢は三十前後か。胡散臭い笑みを浮かべている。

 だいたい度が過ぎるお世辞を言う奴は、何か下心があると相場が決まっている。


「何かお悩みがあるようですね? ですがそんな表情をしていたら、せっかくのカッコいい顔が台無しですよ」

「……誰なんですか、あなた?」


 とは言え、お世辞と分かっていてもイケメンとかカッコいいとか言われると、ちょっと気を良くしてしまうというのも人心だ。

 僕はつい反応してしまう。


「占い師です」


 占い師……ねぇ。

 僕はそういう非科学的なことはまったく信じていない性質だ。


 だけど考えてみたら、そもそもこの異世界そのものが非科学的だもんなぁ。

 普通に魔法とかあるし。

 そう考えると、この世界の占いというのはホンモノなのかもしれない。占いとか予知系のスキルなんかありそうだし。


「あなたのその悩み、ずばり恋の悩みでしょう」

「は、はい、まぁ、そうです」


 何で分かったの!? とはさすがにならない。

 人の悩みなんて大別すれば限られているから。

 ただ、もしかしたら本当に言い当てた可能性もある。


「よろしければあなたのその想いがどうすれば成就するのか、お教えいたしましょうか?」


 少し迷ったけれど、僕は藁にも縋る思いで話を聞いてみることにした。

 どのみち金は沢山ある。詐欺だったとしても大して痛くないだろう。




   ◇ ◇ ◇




 あたしはシーナ。

 実はつい最近になって新しく名乗るようになった名前だけれど、かつての相棒と似ている名前だからか、やけにしっくりときていた。


 以前の名はアクアナと言い、海賊をやっていた。

 しかも荒くれた男たちを取りまとめる女頭領として。


 それが名前を変えて陸に上がり、シルステルという国で冒険者を始めるようになるなんて、数か月前までは思ってもいなかった。


 けれどあたしは今、とても充実した毎日を送っている。

 海と陸では勝手が違うが、それにも慣れてきた。

 冒険者として実績を積み重ね、もうすぐAランクにも昇格できそうである。


 なのになぜ、こんなにも胸がざわつくのだろうか?


「はぁ……」


 今日何度目とも知らない溜息を漏らすと、海賊時代の手下で、今は同じパーティで冒険者をやっているグレコルが訝しげな視線を寄こした。


「お頭、マジでどうしたんすか? 最近よく溜息をついてるのを見かけるんすけど……」

「だからお頭って呼ぶなっつってんだろうが」

「ひっ、すいやせん」


 あたしが睨みつけると、グレコルは大男らしくない情けない顔でぺこぺこ頭を下げてくる。


「……あたしにも分かんねぇんだよ」


 そう辟易と呟いたときだった。

 クラン本部のエントランスロビー。

 そこに一人の青年が入ってきた。


「~~~っ!」


 その瞬間、あたしは慌てて目を逸らし、それどころか柱の陰に身を隠す。


「……? どうしたんすか、おか――シーナさん?」

「い、いや、ななな、何でもねぇ……」


 グレコルが怪訝そうに視線を転じる。

 するとさっきの青年を見つけて、


「おっ、テツオさんじゃねぇっすか」

「……お前、あいつと知り合いなのか?」

「まぁ、そんなとこっすね。って、だから何でそんなとこに隠れてるんすか?」

「う、うるせぇっ!」


 あたしの胸はかつてないほどバクバクしていた。

 あの青年を見たせいだ。


 くそっ……何だってんだよ、これは……っ!?


 ここ最近、あたしの胸がざわつく原因。

 それはあのテツオとかいう青年だった。

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