第113話 ジェパールの危機

「おいっ、待て! 止まれ!」

「急ぎだと言っているだろう。早く女王に合わせてくれ」

「貴様みたいな薄汚い輩を陛下に近づける訳にはいかぬ!」

「だったら力づくで通らせてもらうぜ」


 奈落から地上に帰還したサルードは、すぐさまジェパールへと入り、そして王都へとやってきていた。

 そこで創設したばかりの冒険者ギルドに足を運んだが、生憎、マスターであるレイジは不在。ギルドにいた冒険者に事の顛末を伝えてから、自ら女皇の住む皇宮へと急いだ。


 だが皇宮に入るなり、兵士たちに止められたのだ。

 もちろんSランクの冒険者だと伝え、ギルド証を提示した。

 シルステルやフロアールであれば、これだけですぐに国王に取り次いでもらえるのだが、冒険者ギルドのことが浸透していないこの国ではそう上手くはいかないらしい。

 それどころか、ほとんど不審者扱いで、門前払いである。


 ……せめて、サルードが普通の容姿をしていれば、話くらいは聞いてもらえたかもしれないのだが。


 しかし今は一刻も争う事態。

 サルードは強引にでも女皇の下へと押し入ろうと決意した。








 ジェパール皇国女皇・紅華は、玉座の間の外から聞こえてくる怒鳴り声に、片眉を吊り上げた。


「む? 何事ぞ? 騒がしいの?」


 傍に仕えていた侍女にそう言葉を投げかけたときだった。


「陛下!」


 若い兵士が駆け込んでくる。

 彼は紅華の前までくると跪いた。


「どうした? 何があった?」

「はっ! Sランク冒険者と自称する男が皇宮に乱入してまいりました! 陛下に会わせろと言って聞かず、現在、総力を上げて食い止めようとしているところです!」


 Sランク冒険者……?


 そう聞いて、紅華が最初に思い浮かべたのはレイジのことだった。

 だが彼の顔ならば、皇宮を守護する兵士たちも知っているはず。


「冒険者ギルドからの使いではないのか?」

「それは無いかと思われます。さながらモンスターのような容貌魁偉の大男で、しかも十メートル以上離れていても鼻を突くような酷い悪臭を放っております」

「……」


 確かに、そのような者を使いに寄こすはずがない。

 冒険者ギルドの職員は皆、品行方正で、容姿的にも優れた者たちばかりだ。


「ここが女王の部屋だな。ようやく到着したぜ!」


 そのとき部屋のすぐ外から声が響いてきた。野太い、まるで獣のような声だ。

 どんっ、と扉が押し開けられ、その男が姿を現した。

 部屋にいた精強な近衛兵たちが一斉に刀を構える。


 報告で聞いた通りだった。

 大猿のような筋骨隆々の巨漢で、顔の半分近くがボサボサの髪と髭で覆われている。

 そして確かに臭い。

 風に乗って漂ってきた悪臭に、紅華は思わず顔を顰めた。


「陛下の御前まで許可なく乱入するとは!」

「成敗してくれるッ!」

「待て」


 男に襲いかかろうとする護衛の兵たちを、紅華は制止させた。

 Sランク冒険者だという本人の主張が正しいかどうかは分からないが、少なくとも大勢いた兵士の護りを突破し、ここまで単身で辿り着くような相手だ。今この場にいるのは各流派を修めた一流の剣士たちだが、もしもの場合もある。


 そもそも会話が成立するか定かではないが、まずは用件を聞く方がいいだろう。その間に、さらに応援の兵士たちが駆けつけてくるはずだ。

 自身もまた剣を取って万一の事態に備えながら、紅華は誰何する。


「……おんし、何者ぞ?」

「おおっ、あんたが女王だな! がっはっは! こりゃあ想像していた以上の別嬪さんだ! って、今はそんなこと言ってる場合じゃねーな」


 男はそう独りごちてから、急に真剣な声音になって告げた。


「爵位持ちの悪魔が奈落から地上に出てこようとしてやがる」

「……なんだと?」

「一刻も早く対策を取らねぇと――」

「これはこれは、なかなかお美しい女王陛下であらせられますねぇ」

「「っ!?」」


 いきなり割り込んできた声に、二人は同時に息を呑んだ。

 ハッと視線を転じた紅華は、玉座の間の入り口に立つ奇妙な存在に気が付く。


 西方風の正装に身を包む、異様な体型をした生き物だ。

 背中には漆黒の翼が生え、大きな眼球が赤く光っていた。


「な、なんでもうここに……? ま、まさか……」

「ご案内、大変助かりましたよ。何分、地上の地理には疎い物でして」


 大男が愕然とし、その生き物はおかしそうに笑いながら礼を口にする。


「くそったれ! オレとしたことが大失態だ! 後を付けられていることに気づかなかったなんてよ! すまねぇ、女王様! 奴だ! オレがここまで連れて来ちまった!」

「こ、こやつが、爵位持ちの悪魔っ……」


 先に乱入してきた大男も並みの実力者ではないと感じていたが、この悪魔はそれ以上だ。まるで底が知れない、圧倒的な存在感があった。紅華の背中を嫌な汗が流れる。


 気づけば、先ほどまで大男のせいで騒がしかった廊下が静かになっていた。

 恐らくこの悪魔の仕業だろう。


「わたくし、男爵級悪魔のバモットと申します」


 悪魔はそう名乗り、恭しく礼をしてきた。


「単刀直入に申し上げますと、この地をわたくしの領土にさせていただきたく、参上いたしました」

「なっ……」


 まるで決定事項のようにとんでもない宣言を平然とされ、紅華の喉が鳴った。


「具体的に申し上げますと、この国の皆様方には、これより地上に移民してくる悪魔たちの家畜になっていただきます。食糧として、労働力として、あるいは玩具や性奴隷として」

「ふ、ふざけるでない! われらは貴様ら悪魔などに屈しはせぬ!」


 紅華は声を荒らげる。

 だが悪魔――バモットはそんな彼女の全身を舐めるように見ながら、


「ですが、ご安心を。あなた様はわたくし専用の家畜にして差し上げますので。下級悪魔どもの家畜の扱いは酷く荒いものですが、わたくしはこの通り紳士ですので、大切に可愛がって差し上げますよ」

「っ……」


 死よりも悍ましく屈辱的な未来を想像し、紅華は思わず後ずさった。


「貴様ァっ!」

「陛下に何たる暴言を!」

「まずはあの悪魔からだ! やれ!」


 そのとき近衛兵たちが一斉にバモットに躍り掛かった。

 だがまるで金縛りにでも遭ったかのように、彼らの身体が制止する。


「か、身体が……」

「動かない……?」


 何の能力かは知らないが、間違いなくあの悪魔の仕業だろう。


「ふむ。まずは刃向っても無駄だということを、しっかりと教え込まなければならないようですね。――【|出でよ(サモン)、我が忠実なる眷属たち】」


 バモットが人間には理解できない言葉を唱えた直後、空間が歪んだ。

 虚空に亀裂が生まれ、そこから黒い光が迸る。


 気づいたときには、複数の悪魔たちがバモットの前に跪いていた。

 愕然とするだけで何もできない紅華の前で、バモットは彼らに命じる。


「さあ、人間という下等生物に、わたくしたち悪魔の怖ろしさを分からせて差し上げなさい」

「「「御意」」」


 悪魔たちは四散した。

 紅華は呻くように掠れた喉を震わせる。


「一体、何を……?」

「なぁに、家畜を大人しくさせるための、ちょっとした調教ですよ。少々数が減るかもしれませんが、また増やせばいいんです。幸い人間の繁殖力は悪魔より高いようですからね」

「き、貴様ッ……」




 召喚魔法によって呼び出されたのは、バモットの配下である悪魔たちである。

 その数、五体。


 街中に突如として現れた悪魔たちに、すぐさま各流派の腕に覚えのある剣士たちが討伐に動いた。

 だが相手はいずれも中級悪魔。

 危険度Aに相当する凶悪な化け物たちだ。


 しかもその一体一体が、さらに自らの配下である下級悪魔たちを召喚していった。

 幾ら剣術の栄えるジェパールと言えど、合計百体を超える悪魔の群れに対抗できるはずもなく。

 ジェパールの皇都は未曽有の危機に陥った。

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