第112話 男爵級悪魔

「ぐがが……ぐごご……」


 サルードは岩陰に身を隠し、大きな鼾を掻いていた。

 ほとんど暗闇の奈落では、聴覚の発達した魔物も多い。

 そのため寝ているサルードの存在を察知した魔物が、時折襲い掛かってくる。


「ふごっ!? ……おっと」


 だが魔物が近づいてくると、どんなに深く寝ていても必ずサルードは目を覚ます。

 今もダークイエティが攻撃を仕掛けようとする寸前で、刃を閃かせて返り討ちにしていた。


「ふぁあああ……よく寝たぜ」


 サルードは欠伸をしながら起き上った。

 十分な休息を取ったらしく、ダンジョンの探査を再開するようだ。


 当初、サルードはこのダンジョンに光草と呼ばれる特殊な草を大量に持ち込んでいた。

 暗闇の中で光る性質を持った植物で、これを頼りに探索をしていたのだ。

 だがいつの間にか暗闇に順応し、光草がなくとも困らなくなったため、すべて食糧にしてしまった。


「人間、慣れればどこでも生きられるってもんだ。がっはっは!」


 豪快な笑いが洞窟内に反響する。


「にしても、昨日は驚いたぜ。まさかこんなとこまで潜ってくるオレ以外の冒険者がいたなんてなぁ」


 ぼりぼりと頭を掻きながら、サルードは驚きを口にする。

 ふと、その足を止めた。


「っ……」


 全身が総毛立つ。


「おいおい、なんだってんだよ、この気配はっ……?」


 先ほどまでの暢気さはどこへやら、サルードは臨戦態勢を取った。

 ボスレベルの魔物か?

 いや、違う。

 今まで幾度となく最上位種を越える凶悪な魔物に遭遇し、戦ってきたが、その比ではない。

 こいつは……



「おや、こんなところに人間がいらっしゃったとは」



 暗闇の向こうから聞こえてきたのは、人語だった。

 またレイジたちのような、自分とは別の冒険者だろうか?

 だがサルードの直感は、相手を魔物に匹敵する、いや、それ以上の危険な存在だと訴えていた。


 ゆっくりと姿を現したのは、大よそ人の形をしていた。

 だが人ではない。

 身体の各パーツのバランスが人のそれとは異なっていた。


 まず頭が縦に長い。弓のように後方に向かって反り返っていて、口部がやや前方に突き出している。目は異様に大きく、しかも赤く爛々と光っている。

 腕は足よりも長く、直立しているというのに地面に付いていた。

 そして背中には漆黒の翼。


 しかしそうした容貌ながら身に纏っているのはタキシードのような服装で、それが奇妙なアンバランスさとなっている。

 サルードは喘ぐように呻いた。


「……まさか、悪魔なのか……?」

「左様。わたくし、男爵級悪魔のバモットと申します。いえ、今は〝元〟男爵と言うべきでしょうけれど」

「しゃ、爵位持ち悪魔だと……っ!?」


 サルードは息を呑んだ。

 悪魔というのは魔族の一種だ。

 だが地下世界が主な生息地で、地上に出現することは稀だ。現れるとしても、せいぜい下級の悪魔。


 一説には、地下世界と地上の間には、強大な力を持つ悪魔の通過を防ぐような結界が張られているためだと言われている。

 遥か古の大魔導師が遺した手記の中に、自らがそのような結界を張ったのだという主張が発見されたというのがその根拠だ。


 しかし例外として、ここ奈落だけはその結界を無視して地上と地下を行き来することが可能だとされていた。

 だが奈落は広大だ。あまりにも広大過ぎる。それに凶悪な魔物も数多い。

 悪魔からしてみても、こちらへと抜けてくるのは容易ではなく、だからこそ上級の悪魔が地上に現れることは滅多にないという。


 こいつを外に出したらヤバいことになるぜ……?


「ふむ。人間がここにいらっしゃるということは、地上は近いと考えてもよろしいでしょうか」


 かなり奈落の奥にまで入り込んでいるつもりだが、それでも地下世界と地上、どちらが近いかと言えば、明らかに地上だ。

 爵位持ちの上級悪魔ともなれば、その目的にも寄り蹴りだろうが、下手をすれば国が滅びかねない。少なくとも、それだけの力はあるはずだ。


「教えていただけませんか? 地上までの道のりを」

「……嫌と言ったら?」

「それは少々困りますね。わたくし、見ての通りあまり争いごとを好まない性質でして。ですが、必要とあらば致し方ありません」


 紳士的な口調ではあるが、明らかにこちらを格下に見ているとサルードは感じた。

 男爵級――本人は〝元〟と言ってはいたが――悪魔としての自信か、人間ごときに敗北するなど、あり得ないと考えているのだろう。


 サルードの背中を冷や汗が流れる。

 だが迷いは一瞬だった。


「おおおおおっ!!」


 地面を蹴り、爆発的な速度で躍り掛かった。

 先手必勝。相手が油断してくれているというのなら、その隙を突かせてもらおう。

 刀身に闘気を纏わせ、端から渾身の一閃をサルードは繰り出した。

 斬速が音速を超え、爆音が轟き、衝撃波が巻き起こる。


「な、にっ……?」


 斬撃は受け止められていた。

 しかも右腕一本で。

 ただし刃は手首の辺りまで入り込んでいる。


「まさか、わたくしの身体にここまでのダメージを負わせるとは。素晴らしい一撃でした。どうやら人間のことを侮っていたようです」


 悪魔はまるで痛がる素振りも見せず、それどころかそんなふうに勝算してきた。

 直後、サルードの視界がブレる。

 腹部を殴られたのだと悟ったのは、数十メートルも吹っ飛ばされ、腹に激痛を覚えたときだった。


「ぐがっ…………な、なんつー威力だっ……」


 地面に叩きつけられ、転がったサルードは呻きながらも身を起こす。

 逆流した胃酸が口から垂れた。


「さて。どうですか? そろそろ案内人を引き受けて下さる気になりましたか?」

「……そうだな。どう足掻いても勝てそうにねぇや」


 悠然と歩いてくる悪魔に、サルードは降参とばかりに両手を上げた。


「では――」

「……が、生憎とオレにもS級冒険者としての矜持があるんでな」


 上げた両手の中から転げ落ちたのは、特性の音響閃光弾だった。

 奈落の魔物たちは暗闇で生きることに慣れている。それゆえ突然の激しい閃光に弱い。加えて耳の良い魔物も多いので、あまりの轟音で聴覚を奪うのも効果的だ。


 緊急時用に隠し持っていたそれを、サルードは使用した。果たして悪魔にどれだけ効くのか分からないが、他に手も無い。

 もちろんサルード自身は、閃光弾が炸裂する寸前に耳と目を塞いでいる。同時に踵を返し、一目散に逃走。


「……っ!?」


 光と音が収まって振り返ると、悪魔が目を見開きながらよろめいていた。

 いける。

 サルードは全速力で走った。


「ふふ、なかなか……面白いことを、してくれます、ね……。ですが、逃がし、ませんよ……?」


 直後、サルードの背中目がけて氷の槍が飛んできた。

 しかも物凄い速度と数だ。

 音響閃光弾のお陰か、幸いその狙いは曖昧だった。

 何本かは直撃コースだったが、サルード地面を転げるようにして横穴へと飛び込んだ。

 懸命に逃げる。


 それから二十分ほどは走っただろうか。


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……さ、さすがにこれだけ逃げりゃあ、大丈夫だろ?」


 息を荒らげながら、サルードは膝に手を付いていた。


「しっかし、手も足も出なかったな……さすがは爵位持ち……。あんな化け物が地上に出てきやがったら、マジで国が滅びるぜ」


 Sランク冒険者として、このことはすぐにでもギルド本部に伝えるべきだろう。


 奈落はちょうどシルステルとジェパールの間にある。だがどちらかと言えば、ジェパールの方が近い。

 今までジェパールに冒険者ギルドは無かったが、先日このダンジョンで出会った青年が新たにギルドを立ち上げたらしい。ならば、そこに行くのが最も早いだろう。

 できたばかりとは言え、Sランクの彼を始め、実力者がそろっているようだった。


「あいつは転移魔法も使えた。となると、フロアールから応援を呼ぶことも可能か」


 サルードの頭には、今まで踏破してきた奈落の構造が大よそ入っていた。

 あの悪魔にまた遭遇してしまわないようなルートを慎重に選びつつ、地上への帰還を目指した。

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