第93話 母と娘

 二人の獣人が言い争いをしている。


「ワザと剣闘士生命を絶つような真似が許されると思ってるのッ!?」

「それは濡れ衣だよ。僕は決して意図してやった訳じゃない」

「そんな言い訳が通じるわけないでしょ! これで二度目でしょうがッ!」


 怒鳴り散らしている女性の後ろには、目に包帯を巻いている獣人がいた。悔しげに歯を噛み締めながら、じっと俯いている。

 話を聞くに、どうやら剣闘士の試合でああなってしまったそうだ。

 そしてそれをやったのが、さっきからのらりくらりと相手の訴えを躱している獣人――獅子の獣人だ――らしい。


「不服があるなら裁判にでもかければいいじゃないか?」

「……その裁判所を親の権力を笠に牛耳ってるのは、どこのどいつよ……ッ!」


 獅子の獣人を〈神眼〉で見てみる。



レアーディ=バダルジャン 24歳

 種族:獅人族

 レベル:42

 武技スキル:〈剣技+4〉〈体技+4〉

 攻撃スキル:〈噛み付き+5〉〈鉤爪攻撃+4〉

 身体能力スキル:〈怪力+3〉〈俊敏+3〉〈集中力+2〉〈動体視力+3〉〈回避+2〉

 特殊スキル:〈闘気+2〉

 称号:バラン王国第一王子 第一級剣闘士 Aランク冒険者



 どうやらこの国の王子のようだ。

 そして剣闘士や冒険者としても活動しているらしい。


「今度という今度は許さないわ!」

「所長っ! 抑えてくださいっ! 相手は王族です!」

「離しなさい! 王族だろうか関係ないわ! ここでぶっ殺してやるから!」

「はははっ、心外だねぇ。体力不足で現役を退いた老いぼれに、まさか僕を殺せるとでも?」

「現役時代のあたしに敗北した恨みを、未だに引き摺ってる女々しいクソ王子になんか、どれだけ歳食ったところで負ける気がしないわよ!」


 女性の罵倒が図星だったのか、王子の額にうっすらと青筋が立つ。

 そんな中、他の獣人たちの制止を聞かず女性はついに剣を抜き放った。


「……そっちが先に抜いたんだ。これは正当防衛だよね?」


 王子もまた剣を抜く。

 俺は女性のステータスも鑑定してみた。



フィナ 34歳

 種族:犬人族

 レベル:39

 武技スキル:〈剣技+5〉〈体技+4〉

 身体能力スキル:〈俊敏+3〉〈集中力+3〉〈動体視力+3〉〈回避+3〉〈嗅覚+1〉

 特殊スキル:〈闘気+2〉

 称号:剣闘士養成所所長 元第一級剣闘士



 この養成所の所長らしい。

 なかなか苛烈な性格のようだが、元々は彼女自身も剣闘士だったみたいだな。

 それにしても、彼女……


 周囲の制止の声にも耳を貸さず、二人の獣人たちが激突した。


 ステータス上では、二人の実力はそれほど大きな差がないように見える。 

 実際、最初は互角の剣戟を見せた。

 しかしブランクがあるせいか、徐々に女性が押され始め、次第に一方的な展開になっていく。


 いや、ブランクのせいだけじゃないな。両者の武器の性能の差も大きいようだ。王子だけあって、あの獅人族が使っている剣は稀少度レアの大業物だった。


「くっ……」

「はっ、偉そうに大口を叩いておいて、まさかその程度かい?」


 ……まずいな。

 王子の嗜虐的な笑みに、俺は嫌な予感を覚える。

 下手をすれば正当防衛を盾に相手を殺しかねない。少なくとも寸止めで終わり、なんて甘いことはしないだろう。


「っ、しまっ――」


 女性の剣が宙を舞った。

 勝負は付いた――はずだが、王子はそこで戦いを止めなかった。無防備な彼女にもう一撃、見舞おうとしている。軌道から見て、相手の腕一本は斬り落とすつもりだろう。


 だがその斬撃が寸前で受け止められた。

 ファンが横合いから割り込み、王子の剣を止めたのだ。


「……へえ、僕の剣を受け止めるなんてすごいじゃないか。もっとも、寸止めするつもりだったから随分と剣速は遅かったけれど」

「違う。明らかに本気だった」

「あくまでも君にはそう見えたということだね」


 王子とファンが睨み合う。


「剣闘士なら闘技場で決着を付けるべき」

「それは確かに正論だね」


 王子は剣を引くと、呆然としている女所長に向かって言った。


「どうだい? こんなところでの非公式な決闘なんかじゃなく、もっと正式な場所で決着を付けないかい? かつて〝剣舞姫〟とまで呼ばれたその力、久しぶりに闘技場で見せてくれよ」


 挑発するような物言いだ。

 血の気の多いあの女所長ならば、あっさりと乗ってしまうかもしれない。


 だがそうはならなかった。

 というのも彼女は、突然現れて自分を庇ってくれた少女に目が釘付けになっていたからだ。王子の発言など右から左だろう。


「まさか……ファン? あなたなの……?」

「ん。お母さん、久しぶり」


 確かに同じ犬人族だし髪は白銀色だし、顔つきもちょっと似ているなぁとは思ったが、まさか母親だったとは……。


「どうしてここに……?」

「成り行き?」


 成り行きって……。

 母娘の感動の再会的な場面だろうに、ファンは相変わらずだった。母親も反応に困っている。


 そんな二人を見て、王子が口端を吊り上げた。


「へぇ、資金繰りに困って売り払ったっていうあの娘か」

「あたしが売ったんじゃないわ! 当時の所長が、あたしの知らない内に勝手にどこぞの貴族に売りやがったのよッ!」


 ファンの母親は即座に反論した。

 それから潤んだ瞳で娘を見つめると、


「でもその後、転売されたって聞いていたけど……」

「ん。今はシルステルにいる」

「そう……。もしかして、あそこにいるのが?」

「今のご主人様」


 どうも、と俺はファンの母親に軽く会釈した。


「と言っても、ご主人様じゃないけどな」

「ん。もう奴隷じゃない」

「えっ? そ、そう言えば、腕輪が……」


 ファンが奴隷の腕輪をしていないことに驚いている。そう簡単に奴隷が解放されることはないため、当然の反応だろう。


「お母さんも」

「え、ええ。あたしは剣闘士を引退した際に、自由民になったのよ」


 奴隷の剣闘士は、戦い抜いて生きたまま引退することができれば、自由民として奴隷から解放されるのだという。


「……悪いけれど、そのあたりのやり取りは後で勝手にやってくれるかな? 僕はまだ先ほどの提案についての答えを聞いていないんだけれどね? もちとん、大観衆の前で情けない醜態を晒したくないというのなら断ってくれても構わないよ」

「っ……」


 ファンの母親は苦々しげに顔を歪めた。

 啖呵を切っておきながら、ブランクや武器の性能差があるとはいえ、先ほどは明らかに王子に圧倒されていたのだ。王子の挑発に乗れば、その屈辱を晴らすことができるかもしれない。

 だが同時に、王子が言う通り、今度は大観衆の前で再び敗北を喫することになる可能性もある。

 それゆえ葛藤しているのだろう。


「あるいは君の代理として娘を出してくれても構わないよ?」

「なっ……ふざけないで! 娘は関係ないでしょ!」

「僕たちの戦いに水を差してきたんだ。その時点で無関係とは言わないだろう? それに、当時わずか十二歳で剣闘士デビューを果たした天才剣士のことを、今も覚えている人は多い。なかなかの好カードで、興行的にも美味しいと思うけれどね?」


 そんな王子の提案に、馬鹿を言わないで! と怒鳴り声を張り上げるファンの母親。

 だがそれに頷いたのは娘本人だった。


「ん。分かった。私が戦う」

「ちょっと!? 何を言ってるの!」


 母親は目を剥いた。

 一方、王子は言質を取ったとばかりに頷いた。


「決まりだね。これは面白い。では早速、興行師にこの話を持っていこう。上手くいけば数日後の試合に捩じ込めるかもしれないね」

「ま、待って! あたしが出るわ! そもそも娘はもう剣闘士じゃないのよ!」

「問題ない。剣闘士以外でも出場できる」

「問題大ありよ! ちょっと、待てって言ってるでしょう!?」


 立ち去る王子を追い駆けようとするが、それをファンが止めた。


「心配要らない。私の方が強い」

「っ……」

「ははははっ! 楽しみにしているよ!」


 王子は愉快気な哄笑を上げながら去って行った。

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