第70話 女神の祝福

 アルフレッド=ドニエクは戦場にいた。


 先日引き起こした事件の罪を許されたからではもちろんない。むしろこれは刑罰の一環だった。アルフレッドの頸部には、逆らったら即、装着者の動脈を斬り裂くという凶悪な魔導具が付けられている。


 本来ならアルフレッドは数日前に死刑――斬首刑に処せられているはずだった。しかし隣国が攻めこんできたことから急遽、処刑内容が変更になったのだ。


 敵軍に真っ先に飛び込み、少しでも敵戦力を減らして死ぬ。


 それがアルフレッドに科せられた刑罰だった。

 自軍の最前列よりもさらに数十メートルほど突き出した位置。アルフレッドは今、そこで迫りくる教国軍を待ち構えていた。


「……俺を舐めやがってッ…………」


 アルフレッドは忌々しげに吐き捨てた。

 もしここで十分な戦果を上げ、生き残ることができたとしたら、死刑を取りやめ、鉱山での無期限強制労働などの懲役刑にしてくれるという。

 だがそれは温情でもなんでもなく、そもそも生き残ることなど不可能だと見なされたからに過ぎない。


「生き残ってやるッ……そしてエルメスッ……いつか、てめぇに復讐してやる……ッ!」


 アルフレッドは前方を睨み据え、槍を構える。

 敵軍が近づいてくるにつれ、感情が高揚していく。三百人もの集団が怒涛のごとく迫ってきているというのに、アルフレッドはむしろ気持ちの高ぶりを覚えていた。


 殺して殺して殺しまくってやる。

 そうすればこの溜まりに溜まった鬱憤も少しは晴れるかもしれない。


 ギラついた瞳が映したのは、先頭でこちらに駆けてくる黒髪の青年だった。長身だが痩せぎすで、冴えない若者にしか見えない。

 アルフレッドは地面を蹴ると、その若者目がけて突っ込んでいった。


「はっ、真っ先に俺にぶつかっちまったことをあの世で後悔するんだな――――あ?」


 気が付くと上下が逆さになっていた。

 何が起こった?

 アルフレッドの脳内を疑問が駆け巡る。最初の標的と見定めた若者へ槍を突き出した次の瞬間、相手の姿が掻き消えたかと思うと、ぐるっと視界が回転してしまったのだ。


 今アルフレッドの視界に映っているのは、上下逆さまになった戦場だ。向こうに見えるのは――自軍。そして、こちらに背を向けた黒髪の若者。そのすぐ脇には、首から上を喪失した身体が――


「――――ッ!?」


 声にならない悲鳴を上げていた。

 アルフレッドの首と胴体が泣き別れていたのだ。


 ば、馬鹿、な……俺が……こうも、あっさり……やられただと……?


 意識が急速に薄れていく中、アルフレッドは最後まで、遠ざかっていく黒髪の若者の背中を見ていた。



    ◇ ◇ ◇



 自軍がどよめいた。


 それもそのはず。元シルステル騎士団隊長のアルフレッドが、敵軍の先頭を駆ける青年によってあっさりと殺されてしまったのだ。

 現在は死刑囚であるが、騎士団の中でも一、二を争う実力で知られていたほどの男。それが瞬殺されたとなれば、彼のことをよく知っている騎士団員たちが、目に見えて動揺してしまうのも当然のことだろう。


「まさか、あの青年が勇者なのか……っ?」


 シルステル王国軍を率いるエルメス王もまた、予想外の事態に息を呑んでいる。


「……みたいだな。ダンジョンの最下層で戦ったボス、竜王よりも遥かに格上だぞ」

「なっ……」


 俺は勇者と思しき青年のステータスを〈神眼〉で確認した。



タナカ=テツオ 21歳

 種族:人間族(ヒューマン)

 レベル:72

 固有スキル:〈女神の祝福〉

 武技スキル:〈剣技+7〉〈体技+5〉〈槍技+4〉〈弓技+4〉

 魔法スキル:〈火魔法+5〉〈風魔法+5〉〈雷魔法+6〉〈光魔法+4〉〈結界魔法+5〉〈聖魔法+6〉〈回復魔法+4〉

 魔法補助スキル:〈無詠唱+5〉〈高速詠唱+2〉

 攻撃スキル:〈飛刃+5〉〈衝撃波刃+5〉

 攻撃補助スキル:〈魔法剣+5〉

 防御スキル:〈物攻耐性+4〉〈毒耐性+3〉〈魔法耐性+3〉

 移動スキル:〈隠密+4〉〈天翔+4〉

 身体能力スキル:〈怪力+5〉〈動体視力+5〉〈俊敏+5〉〈柔軟+5〉〈回避+4〉〈嗅覚+4〉〈聴覚+4〉〈持久力+4〉〈自然治癒力+5〉〈頑丈+4〉〈集中力+3〉

 探知スキル:〈気配察知+4〉〈第六感+5〉〈魔力探知+4〉

 心理スキル:〈忠誠+8〉〈勇敢+3〉〈闘志+5〉

 特殊スキル:〈闘気+5〉〈並列思考+4〉〈幸運+6〉〈戦意高揚+6〉〈威圧+5〉

 称号:女神ディーンに召喚されし勇者



 タナカ=テツオ……どう考えても日本人だよな?

 女神ディーンに召喚されたとあるし、俺のような転生者ではないのだろう。

 レベル72か……。〈神智〉で調べたら、召喚されたのが半年前らしいんだが、つまりたった半年でここまでレベルを上げたということか。しかも俺のような神スキルがある訳じゃない。


 この固有スキル〈女神の祝福〉のお陰か?


 Q:〈女神の祝福〉って?

 A:勇者に与えられる固有スキル。獲得経験値二倍、獲得熟練値二倍、各ステータス値に大幅な+補正、本人が望む限りスキルの成長速度上昇など。


 おいおい、チート野郎にもほどがあるだろ。


「っ……一方的過ぎじゃない!?」

「シルステル騎士団は弱い?」

「いや、勇者が強すぎるんだ」


 そしてついに両軍が激突したが、瞬く間に自軍の戦列が崩されていった。


 勇者の強さは別格に過ぎる。あれに少しでもダメージを与えられそうな者は、二千人以上もいる自軍の中でも数えるほどしかいないだろう。逆に勇者が剣を振るう度、こちらの兵たちは羽虫の群れを掃うかのように蹴散らされていく。


 しかも、こいつが持っている〈戦意高揚〉というスキルがまた厄介だ。


 Q:〈戦意高揚〉って?

 A:味方の戦意を高め、レベルを一時的に上昇させる。


 敵の一人一人のレベルが五くらい上がっている。自軍の兵の方が人数が多いこともあって、元から平均すれば兵一人のレベルは敵軍よりやや劣っていたのだが、このせいでさらに差が開いてしまっていた。


「絶対に通すな!」

「エルメス陛下をお護りしろ!」


 勇者を先頭に、敵三百が無理やり二千の壁を突き破らんとしていた。その目指す先にいるのはもちろん、エルメス王である。

 そのとき、


「じゃ、邪魔だぁっ!!!」


 突然、勇者が叫んだ。

 そして豪快に剣を振るうと、凄まじい衝撃波が巻き起こった。

 彼の前に立ち塞がっていたシルステル軍の兵たちがそれに巻き込まれ、塵芥のごとく吹っ飛ばされていく。


 衝撃波はエルメスのすぐ目の前まで到達し、ぶわりと彼女の前髪を巻き上げた。

 信じられない技を前に度肝を抜かれ、自軍の兵士たちが唖然とする。


「ぼ、ぼ、僕の邪魔をするなっ」


 道ができていた。彼は悠然とその道を歩き、敵の指揮官であるエルメスの下へと近付いていく。


「行かせるかァッ!」


 怒号を上げて立ちはだかったのは、屈強な体格の騎士だった。



フリューデル 46歳

 種族:人間族

 レベル:49

 武技スキル:〈剣技+5〉〈盾技+5〉〈体技+4〉

 身体能力スキル:〈怪力+5〉〈俊敏+2〉〈集中力+3〉〈動体視力+4〉〈回避+3〉

 心理スキル:〈勇敢+4〉

 特殊スキル:〈闘気+4〉

 称号:シルステル騎士団団長



 騎士団の団長だ。レベルはアルフレッドよりも高い。間違いなく彼こそが騎士団最強の戦士だろう。

 だが次の瞬間、勇者が何もない虚空を剣で斬り裂いたかと思うと、フリューデルが構えていた大盾が真っ二つに両断されていた。


「な……?」


 フリューデルが愕然と目を剥く。

 勇者は〈飛刃〉で斬ったのだろう。だが通常攻撃よりも威力の落ちる〈飛刃〉で、あの分厚い盾を斬り裂くなど尋常ではない。


「がぁぁぁぁっ!?」


 いや、それどころか彼の放った刃は、フリューデルの鎧までをも斬り裂いていた。

 騎士団最強の男が血を噴き出して膝をつく中、他の騎士たちは愕然としてその場に立ち竦む。


 後方にいる傭兵たちも似たようなものだった。

 シルステル騎士団団長のことは冒険者たちもよく知っている。もし冒険者になれば、Aランクは間違いないほどの実力があるということも。

 それがこうもあっさりと膝を屈したのだ。Aランクの冒険者たちですら、勇者の圧倒的な力を前に戦慄していた。


「お、お前がエルメス王だなっ。あ、あ、改めて言うっ。わ、我らが唯一絶対の女神、ディーン様に忠誠を誓えっ。そそ、そうすれば、その身の安全だけは保障してやるっ……」


 勇者はエルメスを見据え、最後通告を口にした。……緊張しているのか、吃音が激しい。


「こ、断る! 我が国は特定の神のみを祀り、他の神々を蔑にするような教えには従えない!」

「な、ならば、死ねっ」


 相手の要求を突っ撥ねたエルメスへ、勇者が猛然と躍りかかってきた。

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