第3話 二歩下がって一歩進んだ

 子猫に猫缶をご馳走し、空き缶を手に持ってもう一方の手にコンビニ袋を提げます。なんと近くの木の根に小皿も置いてあったのでそれに猫缶の中身を出して子猫に与えました。きっと久坂さんが用意したものなのでしょう。力の抜けるような緩い猫の絵が描かれた小皿は久坂さんの性格とのギャップが凄まじく、あまりの尊さに三回ほど気を失いましたが尊死は免れました。致命傷程度で済んで良かったです。


 この左手に持ったコンビニ袋の中におにぎりやサンドイッチが入っているということは、走り去ってしまった久坂さんは食べるものがないはずです。早急に捜し出してこれを渡してあげなければ。


 まず初めに向かったのは私と久坂さんのクラスである五組の教室です。彼女なら自分の席に戻って寝ているだろうと思って教室に帰ってきたのですが、入り口から見た感じ居ないですね。教室には戻ってきていないようです。次の候補地に行ってみましょう。


 やって来たのは体育館裏です。大きな体育館で日光を遮られたこの場所は一年を通して気温が低いため、我が校の不良方には大変な人気スポットとなっています。今日も不良の方々が煙草を吸っていたので久坂さんが来ていないか話を伺ってみましょう。ちょうど知り合いもいるようなので。


「あの、少しお聞きしても大丈夫ですか?」


「アァ? ——ヒェッ、姉御⁉︎ どうしなさったんです⁉︎」


 後ろから話しかけるとうんこ座りをしていたツーブロック頭の男子は一瞬ガンを飛ばしてきましたが、私の顔を認識するなり即座に頭を下げてきました。


「少しあなたにお聞きしたいことがあるのですが、お暇でないなら出直しますよ?」


 私は努めて微笑を浮かべます。何故か私に怯えてる方はこれをすることで何でもお願いを聞いてくれるので便利です。それにしても私の笑顔のどこが怖いのでしょうか。毎朝家の鏡で確認していますが、どう見ても惚れ惚れするような美少女の笑みにしか見えません。


「あ、姉御の頼みなら何だって必ず応えてみせまさぁ! だ、だから命だけは……!」


「あなたの命など毛ほどの興味もないので私には必要ないです。それより、久坂さんはここに来ていませんか?」


 わたしがバッサリ切り捨てるとツーブロ男子は小声で、おっかねぇや……なんて戦慄しています。おっかねぇのはこっちですよ。どうして微笑んだだけで命を取られるなんて思考に至るんですかね。


「久坂さんってのは、あの久坂恵都のことですかい? あれなら今日は来てないですぜ。まあ、アイツは普段からあんまりここにゃ来ないんですがね」


「そうですか……分かりました。ありがとうございます」


「へい」


「それと、お煙草は控えた方がモテると思いますよ」


「や、やっぱりそうですかね……」


「ええ、私が同じクラスの女の子なら煙草臭い人なんて絶対に選びません。そもそも臭い人は選択肢にすら入れませんね」


「……姉御に言われちゃあ止めるしかないですね」


 ツーブロ男子君は煙草を地面に押し付けて火を消しました。周りにいた不良の方々はそれを見て目を見開いています。どうやらツーブロ男子君がこの場で一番立場が上のようですね。


「あくまでも私個人の意見ですので禁煙するもしないもあなた次第です。ですが喫煙は薬物と同じく百害あって一利なしなので、自分の未来を気遣うなら禁煙をおすすめしますね」


「ええ、そりゃもう。姉御に誓って俺ぁ二度と吸いません」


「その言葉、忘れませんからね。今どき男女差別は炎上のもとですが、私はこの言葉が好きなのでよく使います。————男に二言はねえよな?」


「はいッ‼︎」


「良いお返事です。では、私はこれで」


「はい、お疲れ様でしたァ!」


 ……つい昔の癖でドスの効いた声が出てしまいました。恥ずかしいです。高校ではお淑やか系で通すと決めたので、一度自分で決めたことは絶対に守らなければ。恥ずかしい過去は久坂さんに知られないよう頑張ります。


 ところで体育館裏にもいないとなると、久坂さんは一体どこに逃げ込んだのでしょうか。あとはもう帰宅してしまったくらいしか思い当たりませんが。


 そう思ってふと何かに導かれるように空を見上げると校舎の上、屋上に金色の毛束が揺れているのが見えました。間違いありません、あれは久坂さんです。屋上で腰を下ろしているのかかぜになびく金髪しか見えていませんが、私が久坂さんの長く美しい髪を見間違えるはずもありません。


 直感で久坂さんと確信した私は急いで校舎に戻り、全速力で階段を駆け上がって屋上へと続く扉の前までやってきました。さて、いよいよ愛の告白から逃亡を図ったお姫様を捕まえる時です。


 錆びついた重い扉をキィキィ鳴かせながら開けると、やはり下から見えていたのは久坂さんでした。彼女は屋上の扉が開くなり警戒した様子を見せていましたが、私の顔を見るなり更に眉へと皺を寄せました。これはもしかしなくても好感度ダダ下がりのまずい展開なのでは……。


「……何しに来やがった」


「別に何も。ただ今日はお空が綺麗でしたので絶好の日向ぼっこ日和だと思って来ただけですよ」


「……そうかよ」


 久坂さんはぶっきらぼうにそう言いました。それでも私の前から逃げようとしないのは、未だ久坂さんが私を見限ってないからでしょうか。ならばチャンスはあります。


「久坂さん、今度の土曜日に二人で遊びませんか?」


「……何をして」


「何でもいいですよ! 久坂さんがしたいことでもいいですし、それがないと仰るなら私が一日エスコートさせていただきます! どうですか⁉︎」


 たっぷり三十秒ほど瞼を下ろして考え込んだ後、目を開いた久坂さんは私をギロリと睨み付けました。


「……アタシを楽しませろよ」


「ええ、ええ! では今度の土曜日、駅前にある銅像の前で十一時に!」


「……チッ」


 舌打ちを一つして久坂さんは屋上から出て行かれました。ですが休日も会う約束を取り付けられたのは大きな前進です。土曜日が楽しみで仕方ありません。どんな服を着て行きましょうか。

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