第10話 依り代

 俺の探索は行き止まりになってしまった。朝から店で働きながら、俺の頭はスッキリしなかった。ハナは客の少ない時間を見計らっては俺に秋波を送って来る。それが嬉しくない訳では無かったが、どうにも納得がいかないのだ。言わば、これは本能の声である。そんなふうに悶々とした気持ちで過ごしていると、昼過ぎに泰造がやって来た。



「わしゃ、ウインナーコーヒーな」


何時もの様にウインナーコーヒーを頼んだ泰造は、しばらくハナを観察しているようだった。コーヒーが運ばれて、一口飲むと、泰造は俺に目配せして来た。どうやらこっちに来い、と言っているらしい。俺は泰造の席まで移動した。


「あの子じゃがな」


そう言って泰造はハナに目をやる。


「どうもこの間から変じゃて。そう思わんかね?」


泰造はヒソヒソ声でそう告げた。やはり、泰造の目にも変化が分かるのだ。


「ええ、その事なんですがね。実は――」


俺は今までの事を泰造に打ち明けた。


「ほう。そうだったんかね。そりゃ、あれじゃの、憑依現象じゃな」


「憑依?」


「うむ。ハナの身体がり代となって、その京子とやらの霊魂が乗り移っとるのじゃよ」


「依り代?」


「フフ。あんたら若いもんはよう知らんじゃろうが、昔からたまにある事じゃて。ま、京子とやらは若くして亡くなっている訳じゃし、同じ見た目のハナに取り付いて、色々やりたい事があったんじゃろ」


俺は呆然と泰造を見つめた。そんな、今時霊だの何だの、余りに時代錯誤過ぎないか? だがしかし――


「ホホ。信じんかね? じゃがそれしか考えられんよ。どんなに時代が進んでも、人間や動物が霊魂である事に代わりは無いよ。だからこそ、現代でも人が死ぬと冥福を祈って葬儀を行うんじゃろ?」


泰造はそう言って穏やかに笑った。



 確かに、そう言われてみればそうかも知れない。だが、それが分かった所でどうすれば良いのか?


「泰造さん、その京子の霊はどうすれば離れるんです?」


「うん。祓いをする必要があるの。ワシの知り合いに一人、有能な護摩焚きの僧侶がおる。普段から人に憑いた悪霊なんかを祓っている男じゃ。奴なら出来るじゃろ」


「何処に行けば良いんです?」


「深川不動じゃよ。門前仲町のな。あんたが行く事はワシから話しておくよ」


「じゃあ、明日は店を閉めて、行ってみるかな?」


「うん。それと、祓いの事はハナには内緒にな。祓われると知ったら、京子は何をするか分からんからの」


「そうですね……」



 その日の夜、マンションへ戻った俺とハナは無言で遅い夕食を食べていた。


「幸助さん、どうしたの? 今日は何か変よ?」


「うん……いや、何でもない。店の経営の事を考えていたのさ」


「大丈夫よ! 私が居るんですもの。私目当てにお客さんも結構来てるでしょ」


ハナ――いや、京子と言うべきか――はにこやかに笑って、味噌汁をすすった。今までのまるで新婚夫婦かの様な出来事も今日で終わりだ。そう思うと、俺は少し寂しくなった。ハナが変化してからというもの、束の間ではあったが、まるで本物の若い娘と愛を育んでいるかの様な思いを味わって来たのだから。だが、やはりこのままでは良くない。目の前で食事をしているこの娘は、本来のハナでは無いのだ。



 食事の後、風呂に浸かりながら天井を眺めていると、不意に頬に涙が伝った。その時俺は知ったのだ。どれ程京子とのささやかながら幸せな日々を愛していたのかを。一度涙が出ると止まらなかった。俺は声を殺して泣いた。俺が愛したのはハナなのか京子なのか? 今となっては良く分からなかった。ひとしきり泣いて涙が止まると、俺は風呂を上がった。



 バスタオルで髪を拭きながらリビングのソファーに腰掛ける。そうだった。初めてハナを家へ連れて来た時、こんなふうに無言でソファーに座っていたのだっけ。俺の目に、部屋のコーナーに置いてある観葉植物が映り込んだ。俺は初めてハナと出会った時の事を思い出していた。植物の様に純粋で透明な少女……。やはり、ハナにはそれが相応しい。ハナが俺を好きになってくれるのでなければ意味がないのだ。京子では無く――



 俺の決心は固まった。明日、深川不動へハナを連れて行こう。理由は観光とでも言っておけば良い。祓いとはどんな物なのか知らないが、行けば分かるだろう。

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