第11話 調伏護摩
翌日は店を閉めた。ハナには、都内の有名な寺へ観光に行く、と告げてある。何も知らないハナは、ワクワクしながら余所行きの服に着替え、メイクをして、鼻唄を歌っていた。
「お寺へ観光なんて、修学旅行みたいね」
ハナはそう言って笑うと、髪を整えた。
俺達は電車に乗り、門前仲町を目指した。深川不動は深川のお不動様として昔から人々に親しまれて来た、成田山新勝寺の東京別院である。門前仲町に着くと、俺達は商店街を歩き、参道から本殿へ向かって進んだ。この辺りは時代を経てもなお、昔ながらの江戸情緒を残している。ハナと二人で参道を歩いていると、本当に観光に来ているような気がして、俺は少し心が軽くなった。
いよいよ本殿へ到着である。受け付けへ行き、名前を名乗ると、係の者は
「承っております。そのまま本堂へお入り下さい。中で
とだけ告げた。靴を脱いで本堂へ上がると、黒い僧衣を着た阿部和上が待っていた。
「相沢さんですね? 小林さんから話は聞いております。もう準備は整っておりますよ。人払いしておきましたからね」
和上はそう言って微笑むと、ハナを見つめた。
「そちらがハナさんですな。人間以外に施すのは初めてですが、まあやってみましょう」
「幸助さん、やってみるって、何をするの?」
ハナが少し不安げな表情で訊く。
「うん、まあ……すぐに分かるさ」
俺達は和上に案内されるままに護摩堂へと向かった。黒い木で出来た屋内は薄暗く、香の香りが漂って、いささか不気味である。護摩堂には既に焚き上げる護摩木が組み上げられていた。壇上には大太鼓が置かれており、他の和上が待機している。
「何が始まるの?」
ハナが怯えたような声を出す。
「大丈夫ですよ。さあ、ここに座って」
和上はそう言って床にハナを座らせた。俺もハナの隣に腰を下ろした。供物の五穀と香を不動明王に捧げると、調伏護摩が始まった。
護摩木に火が点けられ、炎が立ち上る。和太鼓の力強いリズムに乗って、阿部和上は真言を唱え始めた。俺には何と言っているのか理解不能だったが、エキゾチックな真言と、腹に響く太鼓の音が、空間の密度を上げてゆく。圧迫感とも呼べるその力にハナは早くも反応し始めた。
「嫌……あの音! 止めて、止めて頂戴!」
ハナはそう叫ぶと床にパッタリ倒れ込んだ。軽く痙攣を起こして身悶える。顔は段々と必死の形相になり、俺は正直恐ろしさを感じた。真言と太鼓は止むこと無く続く。ハナはバタバタと手足をばたつかせると、懇願するような目で俺を見た。
「幸助さん、お願いよ、止めさせて!」
「……可哀想だが駄目だ。お前はハナじゃない。京子だ。このままじゃハナはお前に乗っ取られたまま、京子として人生を送る事になる――逆の立場だったら? と考えてみてくれ。お前だって、他人の人生を生きさせられるなんて嫌だろう?」
俺は強い意思の篭った声で言った。ハナは今にも泣き出しそうな顔をして、俺にすがった。
「でも、私は幸助さんと結婚したいのよ! 結婚して幸せな家庭を築きたかった! 子供だって欲しかったし、沢山やりたい事があったわ! それが――あんな、あの事故で私の人生は終わってしまった……私の夢は終わってしまった――あんまりよ!」
「うん、それは気の毒だと思っているよ――だが、だからと言って、誰かを不幸にして良い訳じゃ無いだろう? 早く成仏して、また生まれ変わるんだ。それで、俺達の事を覚えていたら、会いに来てくれ――俺達は良い友達になれるさ。束の間だったとは言え、一緒に暮らして同じ体験を共有したんだからな」
ハナは黙り込んだ。黙って壇上の不動像を見つめる。やがて、渇いた声を振り絞って告げた。
「幸助さん……私の事忘れないで……」
「ああ。忘れないよ。約束だ」
「ありがとう……」
そう言うとムクリと起き上がり、俺にキスをして再びバッタリ倒れた。その後はピクリとも動かなかった。
護摩木も全て燃え尽くされ、和上の真言と太鼓が止んだ。俺は放心状態でただ座っていた。阿部和上は静かに立ち上がると、俺達の所まで来た。
「終わりましたよ――さ、もう大丈夫な筈ですよ、ハナさん?」
そうハナに声をかける。突然ハナはパッチリと目を見開き、起き上がって辺りをキョロキョロ見回した。
「私は一体……ここは?」
俺はそのすっとぼけた様なハナの顔を見て、安堵の溜め息をついた。ハナだ。以前のハナが戻って来た。
「うん、まあ、お前が気絶している間に色々あってな。そのうち話してやるよ。今日はもう帰るんだ」
「はい」
「和上、ありがとうございました」
「ホホホ、良かったですな。正直私もアンドロイドに効果があるか疑問でしたが、上手くいって良かった。この辺りは昔からの寺町で、商店が軒を連ねてましてな、せっかくですから、買い物でもなさって帰られてはいかがです?」
「ええ、そうですね。じゃあ、失礼します」
俺達はその後、商店街を彷徨いて、今度こそ本当の観光をしたのだった。ハナは初めて見る江戸風情の残る商店街を見て、ことさらはしゃいだ。
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