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 帰り道にワイナリーに寄って土産用のワインを買ってから2人はクライストチャーチに戻った。

 一度シャワーを浴びるために自宅とホテルに戻り、午後7時にホテルのロビーに再び集合することにした。竜一は2人がオークランドの最後の晩、スカイタワーで食事した時のように、フォーマルな衣装で食事をしようと提案した。真理はすぐに「いいですね」と笑顔を見せてうなずいた。お互いにハンカチを持ってくるようにという約束を交わして一度別れた。

 竜一はホテルに戻り、ベッドで30分ほど仮眠を取ってから準備をした。旅行に必要ないようなダークグレーのスーツと革靴、白いシャツに千鳥格子柄の白黒のネクタイ。それに、真理から返してもらった白いハンカチを胸ポケットに入れた。竜一は着替えながら、着飾っての食事という提案の意図を真理が素早くくみ取ってくれてありがたいと思った。作り物の赤いバラの花もアクセントとして胸に挿した。黒光りするほど丁寧に磨いた革靴を履き、準備は整った。集合まで20分あるが、部屋にいても落ち着かないため、早めにロビーに降りた。

 真理は約束の5分前に姿を見せた。落ち着いた深緑のドレスで、髪は下ろし、黒いストールで肩を覆っていた。ヒールと小さなハンドバッグは黒色だった。竜一の前でバッグを開けて白いハンカチを見せ、舌をペロッと出して笑った。「いきましょうか」と真理はいい、予約してくれていた地元で評判だという高級レストランへ歩き出した。左手の薬指に、日中ははめていた指輪が外れているのを竜一は気付いた。

 着席し、いつものように白ワインを頼んだ。ウェイターから注がれたグラスを持ち、真理の目を見て、「乾杯」というと、竜一はなぜかもうこれが最後の食事なのかという思いにかられ、一瞬表情に影が差した。真理には気付かれまいと努めて笑顔で一杯目を飲み干したが、真理は「最後だからこそ、楽しみましょうね」と心中を見透かされたような優しい言葉をかけられた。竜一は心の穴に温かい液体が注がれたように胸が熱くなり、「うん」と答えるのが精一杯だった。

 どうしてもいつも通りに話せない竜一を思ってか、真理はいつもより多めに自分の話をしてくれた。以前オークランドにいた時にも話していたことがあったが、「家族」についての考えを熱心に語ってくれた。震災で祖母を亡くしたこと、両親の元を離れて海外に来ていること、カイと近い将来築くであろう家庭。南島に来て知り合いもほとんどおらず、自分一人になって改めて家族という存在の大切さを考える時間が多くなったのだという。ただ、そう思えるようになったのは、ニュージーランドで得た大きな収穫の一つだとも語った。竜一と出会って、互いに大切だと思えるような存在になった。竜一から受けた愛情を思うと、一人の人を心から愛する勇気と、誠実さは何よりも大切なのだとわかった。だから竜一にも心から感謝していると。

 竜一は一方的に感謝の気持ちを告げられ、面はゆいような、逆にこれ以上の関係性は望めないという落胆のような複雑な思いで2杯目の赤ワインを口に含んだ。渋みの強い、タンニンが効いた竜一が好きな重めの赤だったが、今日はいつも以上に舌先を鈍く刺激する。口の中で何度か転がしてから、鼻から息を吸ってから飲み込むと、芳醇な香りが口の中に広がった。いつもならチーズやハムをかじるが、一度頭をクリアにしようと思い、グラスに入った水を半分ほどゴクリと飲んだ。

 竜一はふうっと軽く息をつき、またワイングラスを手に取った。くるくるとグラスを回してグラス内のワインを空気に触れさせてから鼻を近づけ、香りの変化を楽しんだ。真理も赤ワインに移り、エビとカニをトマトクリームソースで煮た贅沢な一皿を一口ずつ丁寧に味わって食べていた。

 「あまり口に出すことじゃないけど」と断ってから、竜一は今回の旅行が未練を断ち切り、けじめをつける意味を込めたものだと真理に打ち明けた。黙ってうなずいた真理に向かって竜一も改めてニュージーランドで共に過ごした感謝と、真理とは違った家族観の変化を告白した。

 ニュージーランドに赴任するまで長崎の実家とはほとんど連絡をとっていなかった竜一も、帰国してから一度帰省した。父とはあまり話はしなかったが、母にはニュージーランドのお土産を渡しながら思い出話を2つ3つ披露した。よさこいを通じていろいろな人と仲良くなったと話すと、「その行動力はおじいちゃんに似たのかもね」と言われた。市内の坂の中腹にある祖父の墓参りをし、眼下に見下ろせる長崎の港を見た。改めて港の風景を見るのは久しぶりで、昔見た頃よりも高い建物が増えたような気がするが、稲佐山の電波塔や、フェリーターミナルなどは昔とさほど変わらなかった。変わったのは自分の年齢と背丈、大人になったような、なりきっていないような微妙な心だけに思えた。

 竜一が帰省したのは、海外からの帰国報告も兼ねていたが、ニュージーランドで出会った人たちから感じた家族への尊敬や愛情の思いを自分でも少しは持とうと思ったからだった。真理ともよくハリネズミ公園でワインを飲みながら話したが、海外に出てきて改めて家族の大切さというものを竜一も感じた。竜一の場合はむしろ、真理を愛することにとって初めて「家族」を意識し、家族というものを感じられなかった過去への反省と、心の底にある、自分の家族と和解したいという思いが強かった。

 竜一はせっかくクライストチャーチまで来たのだから、言いたかったことを全て真理に伝えようと思い、実行した。しかし、心の中に秘めた感情を言葉にするのは難しい。半分も気持ちを表現できておらず、その半分くらいしか相手には伝わっていないだろうと思った。それでも、目の前に出された美味しそうな料理に手をつけることも忘れるほど自分の感情をはき出し、真理も真剣な表情で相づちをうってうなずいてくれたことに安堵し、話し終えてからまたグラスの水を飲み、続けてワイングラスをあおって一気に飲み干した。

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