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 竜一は「ちょっとトイレに行ってくる」と断って席を離れた。

 涙でぐしょぐしょになった顔を鏡で見て、もう一度ハンカチで涙をぬぐった。真理からもらったアルバムを見て、ニュージーランドでの2人の思い出が鮮明によみがえった。どれも楽しい思い出ばかりなのに、今は涙があふれ出た。

 手を洗い、深呼吸した竜一は気持ちを落ち着かせて席に戻った。真理はシャーベットを食べ終え、コーヒーカップに口をつけながらタワーから見える景色を眺めていた。

 「ごめん、感極まって」と言って竜一は席に着き、コーヒーを飲んだ。

 「大丈夫ですか」と真理が聞くので、「うん、大丈夫」と少し充血した目で言った。竜一は、持ってきたハンドバッグを開け、封筒を取り出して「感謝状です」と言って真理に渡した。中には便箋が何枚じゃあり、題名には本当に竜一の字で「感謝状」と記していた。「読んでいいですか」と真理が聞き、竜一は「どうぞ」と答えた。

 

 ――あの美しい星空を私は一生忘れることはないでしょう。2人で行った新月のピハビーチ。波の音と浜風以外何も聞こえない真っ暗闇に包まれた世界に、百万個の宝石が夜空に輝いていました。車から出ようとした時に、あなたが急にドアを閉めて、驚いた表情を見せたあの反応は忘れることはありません。眠気も吹っ飛ぶような奇跡的な光景を僕たちは共有できました。

 この5カ月間、振り返れば何もかも楽しい思い出でいっぱいでした。ミッションベイでのバーベキュー、カクリヨの丘の草むら、皆で行ったオマペレの星空。あなたといろんな場所に行くことでニュージーランドという国の良さを再認識できました。ありがとうございました。

 ジャパンデイでは本当にお世話になりました。オープニングイベントの創作ダンスを引き受けた時は本当にできるのだろうかと不安になっていましたが、あなたが心強く背中を押してくれたおかげで無事、成功することができました。公園のステージでやったストリートパフォーマンス。誰も見向きもせずに途中で何度もうやめようと声をかけようかと思いましたが、あなたの懸命に踊る姿を見て、もう一曲だけやってみようという気持ちを持続させることができました。おかげで、2ドルをゲットすることができましたね。あのお守りのアクセサリーはこれからも大切に身近な所に置いておきます。

 そして、なんと言ってもよさこい。あなたを誘ったことは正解だったと、観客と一緒に踊り狂うあのステージの中で確信しました。よさこいという踊りが、あんなにも楽しくて、人の心を魅了するものだと初めて知りました。メンバーの皆との絆も生まれ、かけがえのない思い出になりました。それと、入院した時には看病してくれてありがとうございました。

 仕事が終わり、あなたと公園のベンチでワインを飲むことが毎日の楽しみであり、生き甲斐でした。他愛もない話で、会話の内容はあまり覚えていませんが、あなたが酔っ払うと歌ってくれたディズニーミュージカルの音楽を聴くと元気が出ました。酔っ払いのハリネズミ君を見に、これからもたまにあの桜の樹の前に行ってみてください。

 

 真理のほほを涙が伝い、手の甲でぬぐった。真理はバックの中を探ってハンカチを探したが、いつもは使わないバックを持ってきたせいでハンカチを忘れてきていた。紙ナプキンで涙を拭おうとしていたが、竜一は自分が使っていたハンカチを渡した。真理は「湿ってる」といいながら自分の涙もそのハンカチで拭って続きを読み出した。


 ――初めてあなたと会ったのは、あの団体旅行の歓迎パーティーでしたね。名刺を渡しそびれて、でもまた会うことができて、そしてワーホリでオークランドに来ることになって。1年前からは想像もつかないような展開で驚きもありますが、あなたと出会えて良かったと心から思っています。

 あなたから人を愛することや家族になるということを学びました。好きな人を守りたい、この人と一緒にいたい。そう思えたのは人生で初めてでした。そして、家族として一緒に暮らしたい。無償の愛を捧げたいと思うこともできました。自分の心にこんな思いが湧くのかと驚きましたが、この思いは純粋で、透明なものです。その泉を掘り起こしてくれたあなたに感謝の気持ちでいっぱいです。

 でも、あなたにはとても迷惑をかけました。毎日のように誘ってお酒を飲み、あちこち連れ回して疲れたと思います。そして、一方的に思いを寄せて、その気持ちを隠さずにアタックしたことで、戸惑わせてしまったと思います。すみませんでした。でも、自分の気持ちに正直に、というよりこの機会を逃したら絶対に後悔すると思い、ありのままの思いであなたに全力でぶつかりました。こんな恋愛をすることは人生で一度きりです。結果は実りませんでしたが、僕は後悔していません。むしろ、感謝しています。

 思い出は尽きませんが、振り返ればあなたとはいつも笑顔でいました。あなたの笑顔は美しく、その顔が何よりも好きでした。また会える日があれば、その時も笑顔で会いましょう。カイさんと幸せになってください。


 最後まで読み終え、どんな感想を言うのかと竜一は思っていたが、なぜか真理は「ぷっ」と言って笑い出した。「おかしかった?」と竜一が聞くと、「だって、これ」と言って宛て名の部分を指さした。「名前が間違ってる」と言って真理は笑っていた。封筒には差出人の「中村竜一」という名前と、宛名の「佐々木真理殿」と書いていたはずだが、竜一がよく見ると「真理」ではなくて「真里」となっていた。「あっごめん」と言って竜一は謝ったが、真理は「最後まで笑えて私たちらしいですね」と言い、「名前くらい覚えててほしかったけど」といじわるな笑いを付け足した。

 真理は「涙で文字が読めなくなって大変でしたけど、思い出がよみがえって感動しました。本当にありがとうございました」と言って涙を拭いて笑った。竜一はその笑顔を見て、心から美しいと思った。

 真理が「あっ」と言って外を見たので、竜一も窓の外に目をやると、さっきまでの雲が切れ、太陽がのぞいて一筋の光が射していた。2人はしばらく神々しい光景に言葉もなく見入っていた。「2人の将来に神のご加護がありそうだね」と竜一が言うと、真理は「本当ですね」と言ってこの景色を心に刻もうとしたのか、そっと目を閉じた。

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