37
竜一との最後の食事のために、真理は日頃着ることのない濃紺のドレスでスカイタワーに向かった。
竜一から「僕がスーツで行くからあなたもドレスで来て。最後の晩餐くらいは着飾って美味しい料理を食べましょう」と言われ、素直に応じた。
南半球で一番高いと言われるスカイタワーは328メートルあり、200メートルほどの場所には展望レストランがあった。真理はオークランドに来て日が浅いころ、一度はタワーに登っておこうと思って景色を眺めたが、入場料がバカにならない高さだったこともあり、それ以来タワーには寄りついていなかった。スカイタワーの入り口のエレベーター前に午後6時に待ち合わせていたため、5分前に真理が行くと、竜一はすでに到着していた。白いズボンに茶色の革靴、上は水色のジャケットでシャツは青く、白いハンカチをジャケットの胸ポケットからのぞかせていた。「スーツ…、ではないですね」と真理が突っ込むと、「引っ越しで日本に送ってた」と苦笑いした。
「ドレス姿になると一段ときれいだね」と言われ、慣れない格好を褒められた真理は照れ隠しに「そんなことないですよ」と言って先にエレベーターに乗り込んだ。
レストランに着いて竜一が名前を告げると、窓際の特等席に案内された。窓からはオークランドの街並みと、広い海がはるか先まで見える。残念なのは天気が曇りだということだった。着席するとまもなくグラスにシャンパンが注がれ、乾杯した。真理は「本当にお世話になりました」と竜一の目を見て言うと、これで最後の食事だという実感が湧いてきて涙がこぼれた。「早いよ」と竜一は笑ったが、竜一の目にも涙があふれて声を詰まらせた。
料理は、竜一が奮発して一人1万円のコースを注文した。ムール貝と白身魚を使った前菜から始まり、トリュフの乗った牛肉の赤身、コンソメスープ、魚介を使ったリゾットなどニュージーランドに来て一番の豪華な食べ物だった。お酒もいつもより数段高級なワインを少しずつ味わいながら飲んだ。料理は申し分なかったが、2人は高級な食事を味わうよりも、2人で共有できるこの時間の幸せに浸っていた。いつもはくだらないことばかりいう竜一だったが、この日ばかりは口数が少なく、それでも真理を見て幸せそうな笑顔を何度も見せた。真理もニュージーランドで受けた竜一からの厚意を思い出し、精一杯の笑顔を返した。
真理が「ニュージーランドは楽しかったですか?」と尋ねると、竜一は「ずっと住んでいたいね」と即答した。
高い空、青い海、豊かな自然、ゆったりとした時の流れ。どれも日本では味わえないすばらしい経験だと言った。それは真理がニュージーランドに来て感じた印象と同じで、日本人の心を鷲づかみするニュージーランドの良さだと感じた。
「真理さんとも出会えたしね」と竜一は涙が引いた茶目っ気のある顔でこちらを見た。そう言われると、11月に真理がニュージーランドに来てからまだ5カ月弱しか経っていない。真理は社会人になって短期間にこれほど人と仲良くなったのは初めてだった。
「こちらこそ竜一さんのおかげでニュージーランド生活がとても楽しかったです」と言った。「寂しいです」と言おうとしたが、その言葉を出すとまた涙が出てきそうで口にはしなかった。
テーブルには、デザートのライチシャーベットが置かれた。時間はまだ8時前で外は暗くはなかった。雲はまだ空を覆ったままだった。
水を一口飲んだ真理は、準備していたプレゼントをバッグから取り出した。一冊のアルバムで、これまで2人が一緒に遊びに行ったり出かけたりした時に撮った写真を貼り付けた手作りの品だった。アルバムを作る時にも真理は一つ一つの場面を思い出して感極まり、なかなか作業が進まなかった。それでもこれなら竜一が喜んでくれると思って時間をかけて完成させた。
20ページほどの手のひらサイズの小さなアルバムを、竜一は懐かしみながら1ページずつゆっくりめくっていった。最後のページには、真理がメッセージを書き込んでいた。面と向かっては恥ずかしくて言いづらい感謝の言葉を、何度も推敲を重ねて文章にまとめた。
真理からのメッセージを読み終えた竜一はアルバムを閉じ、胸ポケットのハンカチを取り出して涙をぬぐった。涙は何度ぬぐっても止めどなくこぼれ、アルバムに大きなしみを一つ作った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます