30
ベッドで眠る竜一の顔を真理が一人でぼんやり眺めていると、「うーん」と言って身体が少し動いた。
真理が竜一の手を握ると、軽く握り返す反応があった。すると、竜一は目を開けた。少しばかりあたりを目だけで確認し、「ここはどこ?」と真理に質問した。「病院です」と答えると、「ああそうか」と力なく答えた。
意識を失いそうになっていたことは記憶があるようだった。「よさこいが終わってからすぐに倒れたから、救急車で病院に搬送されたんですよ」と真理が言うと、まだ頭痛がするようで、顔をしかめながら「ご迷惑をかけました」と竜一は素直に謝った。「とにかく安静にしていてと医者が言ってました」と真理が言うと、竜一は目をつぶったままほんの少しうなずいた。
過労と脱水症状だろうという医師の診断で、大事には至らなかったのは幸いだった。明日まで様子を見て、体力が回復すれば明後日にも退院していいと言っていた。病院は真理の自宅のすぐそばで、明日も見舞いに来ようと思った。
点滴を打たれて目を閉じた竜一を見て、窓の外に目をやると、暗くなりかけていた。時計に目を戻すともう夜8時半だった。今日はもう帰ろうと荷物をまとめて立ち上がると、「もう少しだけいて」と竜一がこちらを見つめていた。
いつものぎらぎらした野獣のようなまなざしではなく、眠っていたからなのか、本当に寂しいのか、子どもがおねだりするような優しく訴えかけるうるんだ瞳だった。
今まで見たことのない表情に真理は驚き、思わずうなずき、点滴につながれていない右手を握った。
「そんなに優しい目をするんですね」
真理は思わず口走った。
「真理さんにいてほしくて」
竜一の率直な言葉が返ってきた。
「よさこい、どうでしたか」
「最高でした。本当に人生で一番興奮したかもしれません」
3カ月に及ぶ練習が実を結んだこと、メンバー全員が力を出し切れたこと、そしてアンコールで会場と入り乱れて踊り、興奮が最高潮に達したこと。まさかこんなに楽しい経験になるとは、竜一に誘われた当初は考えてもみなかった。ただ、ニュージーランドにいる中でも、いや人生のなかでも忘れられない一日になったことは間違いなかった。
「誘っていただいて本当にありがとうございました」と真理はお礼を言った。
竜一は「喜んでもらえてよかったです」と軽くうなずきながら優しい笑顔を浮かべた。
安心したからか、竜一はまたまどろみだし、しばらくすると静かに寝息を立て始めた。真理は気持ちよさそうに眠る竜一の顔を見て、愛情とはまた違った、いとおしさを感じた。この人と一緒にいると楽しいんだろうなという漠然とした想像を巡らせた。毎日がとは言わないが、しょっちゅう自分を楽しませてくれる何かを企んでくれそうだなと思った。
真理は日本を発つとき、現地で使う携帯電話の待ち受け画面に、ある画像を設定した。「日々感謝する」「積極的になる」「日本人とばかり群れない」など自分へ言い聞かすルールの文言が手書き10個並んでいた。真理自身で「十箇条」と呼び、短い海外生活を最大限、実のあるものにしようと、目に付きやすい携帯電話の待ち受け画面に設定していた。
これまでの日々は、年末を除いてその項目を十分クリアできるほど濃密な時間だったと思えた。日本人ばかりでなく、現地や別の国からの留学生とも知り合いが増えていった。積極性も身についた。そして、毎日こんな楽しい生活を送れていることに感謝する気持ちも持てていた。
真理は竜一に感謝していた。
この人がいなかったら、今頃私はどんな生活をオークランドで送っていたのだろうと考えてみた。語学学校に毎日通い、たまに降りたことのないバス停で降りて街を散歩したり、ウインドウショッピングをする。休日はルームメイトとお出かけしてワインを明るいうちから飲む。それはそれで楽しそうだった。しかし、今ほど人とつながる素晴らしさや、ニュージーランドの自然の素晴らしさ、そして人生は楽しいんだということに気付けただろうかと自問してみた。
ふと我に返って時計を見ると、10時近くを指していた。さすがに帰ろうと思って竜一を見ると、すやすやと少年のような顔で眠っていた。
「竜一さん、ありがとうございます」
真理はさっきまで思っていたことを口にして、ふとんを竜一の肩までかけ直して病室を出た。
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