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 竜一は真理と連絡を取ろうとしたが、何度携帯電話にメッセージを送っても、電話をかけても返事は全くなかった。

 女友達の藍にも連絡してもらったが、つれない返事のみで、竜一の話になると返事がなくなったらしい。絶交される心当たりのない竜一は何をすれば関係が元に戻るのか考えたが、良案は浮かばなかった。真理との連絡がつかない、日頃会えていたのに会えなくなったというだけで、竜一の気持ちは落ち着きがなくなり、深いため息をつくことが多くなった。それほどまで真理の存在に依存していたのだと改めて竜一は感じた。真理を中心に生活がなり立っていたといっても過言ではなかった。

 藍にどうしたらいいのか相談したが、「そっとしておくしかない。時間が解決してくれる」と答えが返ってきた。竜一は「本当にそうなのか」と疑問を持ったが、女心を知るには女性に聞くのが間違いないと思い、3日間は連絡を絶つことにした。ただ、密かに竜一に思いを寄せている藍はむしろ自分にとって今がチャンスだと思い、少しだけ意地悪をしていた。

 藍は、竜一から頼まれた真理への連絡は取らず、代わりに「真理の急な態度に竜一は怒っている」とメッセージを送った。真理から素っ気ない返事しかないことに違いはなかったが、竜一と真理の関係が冷めればいいと思っていた。藍は自分の行いに後ろめたさを感じながらも、「私だって竜一さんと公園でお酒を飲んだりデートに行ったりしたい」と自分の行動を正当化しようとしていた。

 3日後に再び竜一から「どうすればいいか」と相談を受けても、「さすがに真理の態度は失礼だから、距離を置くべきだ」と2人をわざと遠ざけるアドバイスもした。「真理さんのことは忘れてたまには私と飲みに行きましょう」と誘ったが、竜一はつれない返事をするだけで応じなかった。それでも、藍はいつか自分に順番が回ってくると信じて竜一へのアプローチを続けた。

 竜一は彰にも相談した。信頼できる男の友人に包み隠さず現状を話し、対策を提案してもらった。彰いわく、真理の心情は「竜一を好きになりかけている」という冷静かつ、的確な分析だった。竜一は「そんな態度じゃなかったけど」と言うと、「女心はわからないものだよ」と知ったような口をきいた。ちなみに彰は独身だが、男も憧れるような男らしさにあふれ、女性からはモテた。

 「それでどうすればいいの?」と彰に救いを求めたが、「そこは自分で考えないと」と意地悪な答えが返ってきた。「恋人の雰囲気がしないようなことに誘えばいいかも」とだけヒントをくれた。竜一は自宅に戻り真理からもらったキャンドルを灯しながら、どうすればもう一度会ってくれるのか頭をひねった。

 翌日、竜一が年末を控えてやることが少なくなった仕事を終え、自宅に帰ろうとしていると、「竜一さん、今日飲みに行きませんか?」と藍から声をかけられた。特に用事もなかった竜一は「いいよ」と言った。「他に誰か誘う?」と藍に聞いたが、「よかったら2人で」と言われたので深く考えずに行きつけのアイリッシュバーに向かった。

 その日はスチューデントデイと言って、ビールが安売りの日で、ハイネケンの瓶が1本2ドルだった。オークランド中心部では毎週水曜日はスチューデントデイでバーやクラブはどんちゃん騒ぎになる。学生でなくても安くお酒を飲めるところがニュージーランドらしくおおらかで、懐も痛まずに助かったため、竜一はよく水曜日に飲みに出かけていた。特に、今年最後の水曜日ということもあり、酒場は大いに混雑していた。

 店は夕方6時にもかかわらず酔っ払いばかりで、海を望む広めのテラス席も満席に近かった。フィッシュアンドチップスとハイネケンを2本買ってきた竜一は藍に1本を渡し、乾杯して一息に3分の1ほど飲んだ。店にはレゲエ風の音楽が大音量で鳴り響き、本物のスチューデントであろう若者たちが狂喜乱舞していた。

 藍は「その後真理さんとはどうですか」と質問してきた。

 「まだどうしようか迷っているところ」と竜一が答えると、ほんの一瞬だけ間を置いて、「うまくいくといいですね」と返ってきた。

 彰にも相談して、アドバイスをもらったことなどを打ち明けたが、藍に自分の心の内をさらけ出すのはあまり良くないと思い直した。ただ、藍は話を聞くのがうまく、次から次へ自分の悩みを引き出してくるため、話が止まらなかった。2人でよく公園でワインを飲んでいると話が及んだ時には「仲がいいんですね」とやや無表情な相づちになった。ハイネケン3本目でほろ酔いの竜一でもさすがに気付いた。

 一通り話を聞き終えた藍は「今も竜一さんは真理のことが好きなんですか」と尋ねてきた。「そうだね」と竜一が答えると、「そうなんですね」といい、「どこらへんがいいんですか?」とまた質問が来た。「うーん、言葉で言うのは難しいけど、あえて言えば人間性かな」と竜一は答えた。「人間性か…」と藍は納得したような、していないような微妙な表情で何度か頷いた。

 藍は残り少なくなった竜一の瓶を見て、「何か飲みますか?私ももう一本飲むので買ってきますよ」と言った。さすがにもうビールはいらなくなった竜一は「ZIMAで」と言って10ドル札を渡した。ZIMAを2本持って帰ってきた藍は1本を竜一に渡し、「私も同じのにしました」と微笑んだ。

 くし形に切られたライムを瓶の中に押し込み、再び乾杯した。藍は店の中を指さし、「クラブみたいに皆で踊ってますよ。ちょっとだけ加わりません?私も酔っ払ったので、今なら勢いでいけそうです」と蠱惑的な表情で誘ってきた。店内では確かに頭を振り乱して若者が楽しそうにはしゃいでいる。「ちょっとだけ行ってみようか」と竜一はZIMAをあおった。

 流れている音楽はレゲエ風のものから、クラブのようなEDM系の調子のいいものに変わっていた。あまり酒が強くないはずの藍もZIMAをあおり、音楽に乗せて体を上下してリズムを取りだした。ここまで酔うと隣に居合わせた人は皆友人になり、見知らぬ人同士肩を組み、よくわからないリズムと音楽に身を任せた。竜一も一気飲みしたZIMAが効いたのか、酔いが回り、横にいた大学生らしき男とテキーラを続けざまに2杯一気に飲み干して抱擁を交わした。

 藍の方を見ると、口を動かして何か言おうとしているが、聞き取れない。竜一が藍の方に顔を近づけて「どうしたの?」と言うと、藍は突然竜一の唇にキスをした。竜一は誤ってぶつかったと思い、とっさに「ごめん」と言って顔を離したが、藍は竜一の顔を両手で持ってもう一度キスをした。

 これは本気だと竜一は思ったが、酔いのせいもあり、顔を遠ざけることなく藍の求めるままに10秒近く口づけを交わした。今度は藍の方から顔を離し、また何か言おうと竜一の耳の近くに口を近づけた。竜一が「どうしたの?」というと、藍は「竜一さんのことが好きです」と言って耳に唇を押しつけた。

 竜一は、誰かに事情を聞かれれば「本意ではなかった」と弁明するつもりだったが、その時藍に答えたのは「うれしいな」という言葉だった。藍がもう一度キスを求めてくるのでさすがに竜一はたしなめたが、藍はその言葉をどう受け止めたのか、すごく喜んでいた。ただ、竜一の中では、「うれしい」という言葉の意味はそれ以上でもそれ以下でもなかった。

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