23

 2人がよさこいの練習終わりによくワインボトルを空けたオークランド工科大そばにあるアルバートパークには、樹齢100年近い桜の樹が植えられていた。

 日本とは違い、桜が咲くのは10月。2人で花を見ることはないだろうが、日本を感じられる草花が少ないニュージーランドで、青い葉っぱを茂らせた桜を見ながら「紅白のワインで話に花を咲かせる」というのが竜一のお気に入りの文句だった。

竜一の誕生日の2日後、竜一は真理と2人で誕生日プレゼントのお礼にと言い訳をつけて、久しぶりに互いの仕事終わりに公園で飲んでいた。

 ビール代わりにソーヴィニヨン・ブランの白ワインでのどを潤し、2本目の赤に移る。いつも竜一が近くにある品揃えの良いスーパーで2本買ってくる役で、この日の赤ワインは軽めのピノ・ノワールにした。使い捨ての紙コップがふやけて柔らかくなってきて、2人の酔いもいい具合になってきた時、真理が急に「キャッ」と大声を出した。

 真理から聞いたこともない悲鳴に似た大声に、竜一は痴漢にでも襲われたかと思った。しかし、2人並んでベンチに座っている。真理の方を見ると、桜の樹の下を指さし、「何かいる」と凝視していた。竜一が目をこらすと、確かに樹の根本でもぞもぞと動く何かがいる。犬か大きめの鳥だろうと思って近づいてみると、30センチはあろうかという大きなハリネズミだった。何か捜し物をしているのか、鼻先で懸命に土を掘り起こしている。その姿が滑稽で、でもどこか応援したくなるかわいらしさもあった。

 「ハリネズミ?」と半信半疑の真理が近づいてきて、膝を折って目線を低くして確認すると、ハリネズミは真理の方向へ向かってもぞもぞと動き出した。今日二度目の悲鳴を上げた真理は、持っていた紙コップと、赤ワインのボトルを地面に落としてしまい、中身がほとんど土に吸収された。

 「あーあ」と思わず口に出したのは竜一だった。また買えばいいと言えばそれまでだが、時間は夜10時を過ぎていた。オークランドでは夜10時以降、飲食店を除いてスーパーやコンビニではアルコールを提供していない。

 「ごめんなさい」と真理は謝り、少しだけボトルに残ったワインを竜一のコップに注いだ。「こりゃあハリネズミも酔っ払うね」と竜一が冗談を言ったが、肝心のハリネズミは草陰に消えてしまっていた。中途半端な酔い具合で帰るのも気が引け、竜一は1杯だけどこかお店に行こうと真理を誘った。申し訳なさがあったのか、真理は「私がおごります」と顔の前で両手を合わせ、チャーミングな謝り方をした。結局、「1杯」では終わらず、2軒はしごして泥酔して帰宅した。その日以来、アルバートパークを2人の間では「ハリネズミ公園」と呼ぶことにした。

 よさこいの練習や公園で飲んだ帰りに真理の家の前まで送り届ける道中、2人並んでおしゃべりしながら歩く時間が竜一はたまらなく好きだった。ハリネズミに出会った翌日も公園で飲み、自宅まで送っていたが、弾んでいた会話の途中で真理が急に素っ気ない態度を取りだしたため、話は途切れがちになった。

 真理の自宅の前に近づくと、竜一は「ごめん、何か悪いこと言ったかな」と真理に聞いた。真理は黙って首を振るだけで、なかなか口を開かない。自宅の目の前まで来て、竜一は「体調が悪いの?」と聞いたが、真理は「大丈夫です」と答えるだけだった。竜一が「じゃあ」と言って自宅に向かおうとすると、「竜一さん」と名前を呼ばれた。真理の方を向いて近づくと、思い詰めたような顔を浮かべた真理が何か言いたそうにしている。

 「あの…、絶交してください…」

 「ぜっこう」という単語を久しぶりに聞いた竜一は意味を理解しかね、「え?」と聞き返した。すると真理は「もう私と連絡をとらないでください。私も連絡しないので」と付け加えた。さっきまでハリネズミを見ながらはしゃぎ合っていた2人の仲なのに、なぜこうも唐突な事が起きるのかわからなかった。

 「僕、何か悪いことしたかな?ごめんなさい」と竜一が謝ると、真理は「いえ」とだけ言って自分の部屋に戻っていった。竜一はしばらく呆然としてその場に立ち尽くし、真理が2階に上がっていく小さな足音が消えてからしばらく、なぜこうなったのか今日一日を振り返ったが、原因は全く思い浮かばなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る