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 その年の11月から真理はワーキングホリデーの制度を使い、半年間だけニュージーランドで語学学校のスタッフとして働くことに決めた。

 岩手で仕事をしながら準備を進めたためバタバタと就職先やら住居を決めたが、無事海を渡れることになった。両親もカイも、職場の上司たちも皆、背中を押してくれた。5日間しか行ったことのない場所だったため、実際に暮らすにはどんな注意が必要なのかは竜一にメールでいろいろと教えてもらった。経済的に発展していて治安も良いオークランドがやはり就職先も多かった。クライストチャーチでの就職も考えた。地震で崩落し、多数の日本人犠牲者が出た語学学校などは再開していたが、受け入れ口がなく断念せざるを得なかった。

 竜一にはオークランド市内のどこが便利か、交通機関はどのくらい整っているかなど、いくつか質問し、どれも親身になって答えてくれた。竜一も旅行からまもなくして本当に真理がやってくるとはにわかに信じられない様子で、当初は1、2日メールが返ってこなかった。しかし、真理があまりに真剣なのでこれは本気だと気付き、なるべく力になれるように自分でもオークランドの事情を調べたり、会社の同僚に意見を求めたりしてアドバイスのメールを返した。留学経験がある真理はそれらの情報を生かして手際よく引っ越しの準備を整えた。借りていたマンションも引き払い、家財道具は両親のいる仮設住宅にはさすがに預けられず、郊外のレンタル倉庫に押し込むことにした。

 出発を翌月に控えたある週末、カイを含め4人で両親のいる実家で過ごした。遠慮してホテルに泊まろうとしたカイを説得し、両親も狭くて申し訳ないけど、4人が肩を寄せ合えば暖かくなるからと言ってこたつを囲んだ。ほぼすべての準備を終えた真理はワクワクした気持ちと、3人を置いていく少しの寂しさが胸に押し寄せた。笑顔ですき焼きの鍋を囲む団らんの時間は何にも代え難かった。真理の家では、いつのころからか大晦日の夜はすき焼きが定番になり、その日だけはいつもは魚以外調理をしない父が、しょうゆと砂糖など簡単な味付けですき焼きを作るのがお決まりとなっていた。まだ10月末だったが、「今日は4人にとっての大晦日だ。明日から新年だと思って頑張ろう」と父がすきやきを作ってくれた。目分量の、男の料理丸出しの味付けだったが、これが以外とおいしく、カイは何度もおかわりして会話が弾んだ。祖母の遺影もこたつ机のそばに置かれ、優しそうにほほえむ祖母の顔もこちらを向いて嬉しそうだった。


 11月1日、真理は成田空港でオークランド行きの飛行機を待っていた。横には仕事を半休にして駆けつけてくれたカイがいた。半年間と聞くとそこまで長い感じはしなかったが、岩手と東京という、会おうと思えばいつでも会える距離でなくなることはカイも少し不安そうだった。出発前、両親に行ってきますとメールを送り、カイとも抱き合って別れを惜しんだ。

 「気をつけてね」とカイが真理の両肩を持って言葉をかけると、真理は笑顔で「行ってきます」と返した。

 「ここで渡すのは場違いかもしれないけど」と言いながらカイはポケットから何かを取り出した。

 よく見ると、小さな箱だった。カイは顔の高さまで持ち上げて箱を開けた。

 「婚約指輪です」

 中には小さなダイヤが埋め込まれた銀色のリングが輝いていた。驚いた真理は呼吸が一瞬止まり、言葉にならない声をあげた。

 「ありがとう!」

 カイに左手の薬指に指輪をはめてもらった。

 真理はきらきらと輝くこの指輪をカイの分身だと思うことに決めた。

 その姿を見てカイはうれしそうに微笑んだ。

 「カイ、ありがとう。行ってきます!」

 真理はカイを強く抱きしめた。

 保安検査を抜けて振り返ると、カイが笑顔で右手を振る姿を見つけた。真理は左手の指輪を高く掲げたあと、両手で大きく手を振って搭乗口へ向かった。

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