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真理たち、訪問団一行は翌日、クライストチャーチの地震被災地へ向かった。
犠牲者を供養するために建立された石碑の前で献花し、黙とうを捧げた。クライストチャーチの街は日本の被災地のように津波被害はなく、ある地域がごっそり更地と化した状況ではなかったが、日本ほど耐震構造が整っていない建物が多く、古いビルや家屋は軒並み倒壊していた。5年の歳月が経ち、地震の被害は表面上わかりづらくなっているが、やけに新しい家や空き地がモザイク画のように街に点在していて地震の名残を感じさせた。
一行は日本人の学生が犠牲になった学校の跡地にも行き、黙とうした。20歳前後の若い命が、将来は外国語を使って世界で活躍するという夢と希望に満ちた命が、故郷から遠い異国の地で一瞬にして奪われた。自然災害という、ぶつけようのない怒りが遺族にはこみ上げただろうと真理は想像し、東北で起こった震災と重ねずにはいられなかった。そして、ふとカイのことを思い出した。
カイと付き合い出して3年になるが、その間にカイは日本での留学を終え、一度中国に帰国した。無事地元の大学院も修了し、2015年秋に再び日本へやってきた。東京にある大きな美術館で学芸員の仕事も得た。中国に戻っていた時も真理は岩手にいたが、メールや、時には手紙のやりとりで愛情を確かめ合った。カイが母国を離れて職を求めたのは、真理との結婚を決めていたからだった。両親に会ったことはなかったが、家族を大切にするという共通認識があったので、家族の話は互いに隠すことなく話していた。
カイが真理の両親に会ったのは、2015年の冬だった。遅い正月休みで1月末に長い休みが取れたため、真理に連絡して東北に行ってみたい、そして両親にも会ってみたいと話していた。真理はカイの頼みを快諾し、車で岩手や宮城を回る計画を立てた。両親にも以前からカイの話はしていたし、ぜひ会ってみたいと言ってくれて心待ちにしていた。「狭いけど仮設住宅に泊まってもいいよ」と母に言われたが、さすがに大人4人が並んで寝るのは窮屈だと想像し、被災地で再開したホテルを予約した。
カイは東京から新幹線に乗り、窓からの景色を見つめながら真理の故郷の姿を想像した。栃木と福島の県境あたりで雪が深くなり、真理は本当に寒いところで生まれ育ったのだなと思った。2時間半で盛岡に到着したが、案外雪は少ない。ただ、遠くに見える大きく雄大な山は裾野まで白く、いかにも雪国だという風格があった。秋田新幹線との接続で時間を置くというアナウンスが流れ、新幹線のドアが開くと同時に想像を遥かに超える冷たさが全身を襲った。もこもこしたダウンを着ていたが、耳や鼻先の感覚がすぐに無くなった。
改札から出ると、20メートルほど先に真理が両手に息をかけて温める仕草をしながらキョロキョロしている姿が見えた。ニット帽と分厚そうなタイツをはいているところからして、現地の人でも今日は寒いのだろうと想像した。「真理」と声をかけると、真理は振り向いて白い息をほほにまといながらほほえんで「よく来たね、寒いでしょ」と手袋をはめた両手をカイの耳に押し当てた。
カイが日本に戻って数カ月経っていたが、仕事に慣れるまで長い休みは取れず、真理も真理で忙しく、東北や時には海外へ出張していたため、会ったのは半年ぶりだった。少しの間互いに顔を見合わせて半年分の成長を確認しあい、互いに少し顔が痩せたかな?と思う程度で実際のところ髪型も化粧も変わっていなかった。それよりも寒さでカイがぶるっと震えると、真理は「駅前でレンタカーを予約してるから、まずはそれを借りにいこう」とカイを案内した。
レンタカーは真理が運転した。仕事で車を使うことも多く、すっかりなれた手つきだった。東北の凍った道路でも、フットブレーキでなく、シフトチェンジでうまく減速しながら器用に車を操作した。カイは真理が運転する車に乗るのは初めてで、最初は心配になってしきりに運転席を見ていたが、10分もすれば身をゆだねていいと安心し、近況を語り合った。
日本に来てからは電話やメールで毎日のように連絡を取り合っていたが、いざ面と向かって会うと、話したいことはいろいろとあるのに何から話せばいいかわからなくなった。カイが「仕事はどう?」と尋ね、真理は「楽しいよ」と笑顔を見せた。すぐに明るい反応が返ってきたのはカイも素直にうれしかったようだった。真理も「カイの方こそ仕事は?」と質問を返した。カイは年末から1月にかけて、博物館で開催された古代中国美術品の企画展の運営スタッフとして初めて大きな仕事を終えたことを話した。中国出身で、美術専門という肩書きからスタッフに抜擢されたが、カイの専門は日本画だった。それでも初めての企画展に心躍り、古い資料を夜更けまで読んで勉強しながら展示や作品の説明書きの考案に没頭した。本物の貴重な美術品を間近に見られることや、仕事としてそれらの知識を勉強できるこの仕事がおもしろいらしく、「順調だよ」とカイも笑顔を見せた。
沿岸までの道中は、雪が積もって水墨画のようにモノクロの世界が続いていた。音量を絞って流していた地元のラジオ曲のニュースが流れ、被災地の集落が高台に移転するための新しい団地の工事がようやく終わったと伝えている。震災から4年が経ち、ようやく仮設住宅を出られるらしい。真理の両親も今年の夏に高台移転先の土地が引き渡され、新しい家を建てる予定だ。カイにそのスケジュールを伝えると、「一歩ずつだけど前に進んでるね」と落ち着いた口調でつぶやき、やさしい瞳を真理に向けた。
沿岸部に近づくにつれて、積もっている雪は少なくなり、海が見えるころにはなくなった。ただ、冷たい浜風が絶えず吹き付けていた。両親が住む仮設住宅に着くと、待ち構えていた2人は愛想良くカイを迎え入れ、こたつに座りながら簡単な自己紹介をした。真理の母親は「狭いところでごめんなさいね」と恐縮しながらお茶を出した。部屋を見回してみると、6畳2間に台所がある程度の狭いつくりで、玄関も狭く、収納スペースもほとんどなかった。想像していたよりも厳しい生活を強いられていることにカイは心を痛めながらも、「お父さんとお母さんの優しそうな目元と口調に、真理に注がれている愛情の深さを感じ取ったよ」と後で語っていた。狭い居間には仏壇も置かれていて、カイは「手を合わせてもいいですか」と殊勝に尋ねた。「もちろん、おばあちゃんも喜ぶよ」と真理が答えると、カイは仏壇の前に進んで正座した。線香に火をつけ、鐘を鳴らして遺影を見つめてから目を閉じて手を合わせた。隣で真理も手を合わせたが、カイが何事かを念じるように熱心に目をつぶる姿を横目に見て、なんだかうれしい気持ちになった。
一通り近況を話した後、カイは鞄の中から小さな虎の置物を机に出した。「虎は強い動物で、厄除けの意味が込められているんです」と言って、父の方を見た。父親は目を細め、「この地方では虎は千里行って千里帰るという言い伝えがあって、遠い海まで出かける漁師の縁起物なんだ。実は流される前の船に虎の置物を置いてたんだ」と言った。ちょうど、新調した船にも欲しいと思っていたといい、「もらっていいのかな?」と聞くと「ぜひ船においてください」とカイは笑顔で答えた。
沿岸の別の場所も見せたいからと、真理とカイは再び2人でレンタカーに乗った。有名な一本松や、大規模なかさ上げで土の山が続く町並みを見た。東京で暮らすカイはたびたびニュースで見る被災地の様子を気にかけてチェックするようにしていたが、伝えられる情報は断片的で、被災地で初めての復興住宅ができたとか、高台移転が済んだとかいうニュースが多かった。しかし、大部分の被災地はまだ復興途上で、ほとんどの被災者はまだ不便な生活が続いていることを改めて痛感させられた。少し暗い表情になっていたのに気付き、真理は道の駅でお土産を買って行こうと車を止めた。牡蠣の燻製やいくらのしょう油漬けなど海産物を買った。カイも職場の人にプレゼントしようと、たくさん魚介類を買い込んだ。真理は「このお店もそうだけど、一歩ずつ復興しているから大丈夫だよ」と力強い声をカイにかけた。
その晩は、両親と一緒に仮設商店街でたらふくおいしい寿司を食べ、沿岸のホテルにカイと2人で泊まった。翌日からは宮城県まで足を伸ばして仙台に回り、温泉に入って牛タンを食べて東北を満喫した。盛岡に戻ってからも冷麺やわんこそばを楽しみ、食べてばかりの旅だったが、久しぶりに2人きりで水入らずの時間を過ごして幸せに満たされた。4泊5日の旅が終わるころ、もっとこの時間が続けばいいのにと2人は思った。しかし、いつでも理性的な考えをしてきた2人はその思いは口に出さず、残った時間を楽しもうと常に笑顔で寂しさは互いに感じさせなかった。
最終の新幹線でカイが東京に戻るため、真理は盛岡駅まで見送りに来た。出発まであと20分ある。改札の手前にあるコーヒーショップで時間をつぶしながら、2人でこの旅の思い出を携帯電話の写真を見ながら反芻した。真理の両親からは「本当にいい人だった。大切にしないといけないよ」とメールが来ていた。そのことをカイに伝えると、心からうれしそうに喜んでくれた。さっそく虎の置物も船に置いたらしく、写真付きのメールが父から送られてきていた。真理は「ありがとうね。本当に楽しかった。カイの優しさも改めて見られたし」と感謝を伝えた。今度は私が遊びに行くと約束した。
カイはしきりに無くなったはずのコーヒーをすすって落ち着かない仕草を見せていた。真理は「トイレに行く?」と尋ねると、「いや、大丈夫だよ」という。やはりカイも長い旅行が終わるのを寂しがってくれているのかなと思ったが、突然「真理」と真剣な表情で名前を呼ばれた。
「なに?」とカイの目を見ると、「僕は真理と5日間を過ごして、本当に楽しくて、幸せだった」と話し始めた。
真理は黙ってカイの瞳を見つめる。
「ご両親も優しくて、真理のことを本当に大切にしていると思った」
真理はうなずいた。
「家族を大切にする気持ちは僕も一番大切にしている。その思いを真理と共有していることは、今まで過ごしてきて感じていたし、今回も改めて確認した。だから…」
カイが真理の目を見つめ直すと、真理はやさしく微笑みを返した。
「だから、僕は真理と家族になりたいと思った。僕と結婚してください」
心からの思いを伝えられた時、受け取る側はどう反応したらいいのだろう。真理はそう思いながら返す言葉を探したが、見つからなかった。ただうれしさがこみ上げ、笑顔で「うん」と深くうなずいた。向かい合った席で、2人はいつしか手を重ねていた。改めてその手を絡ませ、見つめ合った。
答えに多くの言葉はいらなかった。カイも、真理も、互いの気持ちを理解し合っていた。
新幹線が到着するというアナウンスが流れ、2人は慌てて改札へ向かった。この旅の終わりと、新たな2人のスタートを思い、もこもこのダウンの上から抱き合い、白い息を吐きながら短いキスをした。改札に入り、エスカレーターでコンコースに上っていくカイを見ながら、いつまでも真理は笑顔で手を振っていた。
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