東日本大震災が起こる1カ月前、ニュージーランド南部のクライストチャーチという街を中心に、大きな地震が発生した。犠牲者は200人近く、語学学校が倒壊した影響で日本人も20人以上亡くなった。

 クライストチャーチ周辺の街と東日本大震災の被災地はほぼ同時期に「被災地」となった境遇から、相互に支援し合い、復興を応援し合う友好都市となった。真理が勤務する観光協会でも、震災5年を機に友好協定を結び、双方の首長や経済団体、議員らが行き来して関係を深めるツアーを企画していたところだった。真理も同行することになり、8月、初めてニュージーランドを訪れることになった。

 国内で最も大きいオークランド国際空港に東北地方からの関係者50人あまりが到着すると、ひとしきり街を大型バスで案内され、車窓から町並みを眺めた。経済の中心都市と聞いて東北からの一行は大都会を想像していたが、人口は国全体で500万人弱。想像以上に人は少なく、その分ゆったりと時が流れるのどかな雰囲気を味わうことができた。海は光を浴びてきらきらと輝き、季節が冬ということもあり、空気も澄んでいるように感じた。何より、空も海も山も色が濃い。どこかの校庭なのか、芝生の生えたグラウンドでラグビーをしている光景を見て、やはり国技なのだなと真理は妙に感心した。

 地元の市長たちとの友好都市協定の調印式や懇談を終えて、夜にはレセプションパーティーがあった。海を展望できる、地元では名の通ったホテルが会場だった。各市長の長いあいさつの後、立食形式の自由なパーティーとなった。真理は偉い方の通訳として近くにいたが、次第に彼らも外国人と話すのは疲れてきたらしく、日本人同士で話すようになった。真理は食べるものも食べられていなかったので、残りわずかとなった地元のシーフードを使ったアクアパッツァとハンギという蒸し焼きのような伝統料理を味わった。白ワインを一杯もらおうとバーカウンターに行く途中、横から声をかけられた。

 「ニュージーランドは初めてですか?」

 声の方向を見ると、長身の日本人男性が立っていた。「はい」と真理が答えると、「ハンギを珍しそうに食べてたので」と竜一は白い歯を見せて笑った。

 人がものを食べているところをじろじろ見ないでよと真理は思ったが、「おいしかったですよ」と微笑みを返した。久しぶりに日本からの大型団体客を受け持った竜一の会社は支店総出で対応にあたっていた。パーティーにも積極的に顔を出し、名刺を切ってあいさつをこなしていた。おじさんたちが多い中でひときわ若い女性に目が引かれるのは当然といえば当然だったが、竜一は真理の外見がタイプだったこともあり、各人へのあいさつのかたわらでも目の隅に自然と真理の姿をとらえていた。

 真理が白ワインをもらってテーブルに戻ろうとすると、竜一は名刺を取り出して簡単に自己紹介した。「中村竜一といいます。今年からニュージーランドに転勤になって日本人の観光客の案内などをしています。もしまだニュージーランドにいるようでしたら、お食事でもいかがでしょう。そうですね、電話は名刺に書いてある会社の番号に連絡してください。一応私の携帯電話の番号もお伝えしておきます」と一方的に話を進め、名刺に番号を書きだした。

 真理たちは4泊する予定だったので、あと3日あるが、オークランドではなくクライストチャーチなど別の都市に止まる予定だった。名刺を受け取った礼儀として自分の名刺も渡そうと思い、手元を捜すと、バッグをテーブルにおいてきていた。「ちょっと取りに行きます」と言って席を離れたところ、タイミング悪くパーティーはお開きですというアナウンスが響いてホスト役の地元市長がマイクの前に立った。真理は再び通訳代わりに偉い方の近くに戻ることになり、名刺を渡せないまま、そして名前を名乗らないまま会場を去ることになった。

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