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竜一には長崎に両親と妹がいたが、あまり連絡をとらず、特に父親とは疎遠になっていた。
小学校教師の父は厳格で、長男の竜一が少しでも素行の悪い行動を取ると厳しくしかった。そんな竜一に優しくしてくれたのは、近くに住む祖父だった。長崎の造船会社に勤めていた祖父は、終戦間際、8月9日の原爆で背中に大やけどを負った。爆心地から2キロ離れていたため一命を取り留めたが、終戦後まで入院生活を送った。戦後も一貫して造船の仕事に就き、時には海外にも渡ることがあった。祖父は被爆者ということをなるべく隠して生きていたが、初孫の竜一には原爆に遭った当時の体験を風呂に一緒に入り、被爆した背中を見せながらよく聞かせた。
「あのころはよく空襲警報が鳴ってなあ。警報が聞こえると工場近くの防空壕に逃げ込んだり、海に飛び込んだりしてたもんさ」
「怖くなかったの?」
「そりゃ怖いさ。米軍の飛行機が低空飛行してバリバリバリって機銃掃射をかけてくる。一回、パイロットの顔がわかるくらい近くで出くわしてしもうて、こりゃ死ぬかなと思うたよ」
まるで懐かしい笑い思い出を披露するように、戦時中の体験を明るく聞かせてくる祖父の話が竜一は好きだった。ただ、8月9日の体験になると話の中にどこか暗い影を敏感に感じとり、竜一は真剣なまなざしになった。
「原爆で自分の命は助かったが、8歳だった末の妹を亡くした。親父と2人で国民学校の校庭に並べられた遺体を一人ずつ確認していってな。その中には一番の親友だった高校の同級生の姿もあった。結局妹の遺体は見つからんで、通っていた国民学校の校庭で焼かれた遺体の山の灰を持ち帰って遺骨とした」
竜一はいつも、祖父の目をしっかりと見据えてうなずきながら話を聞いていた。長崎の学校では被爆者の体験を聞いたり、生徒が戦争の紙芝居を朗読したりするなど、平和教育に熱心で、竜一は祖父から聞かされた被爆体験を生々しく文集につづり、市の作文コンクールで優秀賞をもらった。学校でも竜一が祖父から聞いた体験を元にした朗読劇が企画され、全校生徒の前で竜一は賞状を受け取った。
その活躍を父は必ずしも良としなかった。竜一の父は、自分の父親からほとんど被爆体験を聞いたことがなかった。まだ当時は被爆者への差別が根強く、父と同様、自分が被爆2世であることをなるべく隠して生きてきた。実際、中学時代には友人の被爆2世がクラスの男子から「感染する」とのけ者にされた。自分はその輪に加わらなかったが、いつか自分も被爆2世だとしていじめられるのではないかと怯える中学時代だった。
時代は進み、被爆2世から3世、4世の世代となった。周囲の理解や放射能への知識も広まったからか、昔ほど差別の声は聞かれなくなった。しかし、自分の息子が被爆3世としていじめられるのではないかと心配になり、あれほど学校で大々的に自分の祖父の被爆体験を披露することはやめた方がいいだろうと竜一の父は思った。
竜一の祖父は、孫の快挙を手放しで喜んだ。退職後に暇をもてあましていたこともあり、竜一の一件をきっかけに被爆体験の語り部となった。県内の小中学校へ出向いたり、全国からの修学旅行生に体験を話したりした。「また余計なことをして」と竜一の父は怒った。さすがの祖父も「自分のやりたいようにやってどこが悪い」と口論になった。竜一は幼心に自分の作文が原因で2人が喧嘩していると責任を感じ、泣きながら「けんかはやめて。僕が悪かった」と謝った。祖父と父の口論は止んだが、その後も家族のギクシャクした関係は続いた。
祖父は竜一のことを気にかけ、自分の若かったころに仕事で世界を回った体験を聞かせた。そのころの思いが残っていたのか、竜一は幼いころからどこか海外へ行ける仕事に就きたいと思っていた。就職が決まったころには祖父は他界していたが、すぐに墓前に行って報告した。父には直接言わず、母親に旅行会社に内定したと伝えたころ、翌日になって「社会は甘くない。健康には留意すること」とだけ書かれたメールが送られてきた。竜一は返信しなかった。
ニュージーランドには、祖父からもらった英和辞典を持ってきた。高校まで使ったが、その後は実家の物置に眠っていた。ただ、念願の海外勤務を祖父と共にしようと、形見の気持ちで荷物として送った。会社の机の目に付く場所に置き、つらい時はその赤い背表紙を見て自らを奮い立たせた。その感情は、海外勤務に賛成しなかった父を見返してやるという思いにも通じていた。
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