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竜一がニュージーランドに渡ってから1カ月が過ぎた。
想像していたよりも街に緑が多く、海が近い。何より空が青い。長崎の小高い山から海を見るのが好きだった竜一は、同じ海を逆方向から眺めていることにふと気がつき、不思議な感覚を抱いた。イギリスなまりの英語は聞き取れないこともあったが、先輩社員に習ったとおり、身振り手振りを交えて伝えれば意思疎通はできた。
文化や習慣の違いも味わった。仕事柄、観光地などあちこちに行くため、車を運転する機会も多い。日本では知人に譲り受けた「赤いポロ」を乗り回していた竜一だが、日本の道路のような感覚でアクセルを踏むと、すぐにスピード違反で捕まった。ニュージーランドの警察は最高速度50キロ規制なら1キロでもオーバーするとすぐに摘発する。日本なら10キロくらいは多めに見てくれそうだが、そうはいかなかった。ある日は5キロオーバーで45ドルを支払わされた。上司はたった2キロオーバーで20ドルの請求がきたと嘆いていた。一方で、日本では最近特に厳しい飲酒運転には寛容だった。もちろん発覚すれば罰則はあるが、一定以上の量を飲まなければ運転は可能だった。たまにある会社での飲み会や九州人会など交流会では若い竜一が運転手を命じられることも多々あった。
仕事はそこまで厳しくなく、日本ほど皆仕事ばかりに打ち込むわけではなかった。夕方5時ごろには切り上げ、海の見えるレストランに行き、ビールでのどを潤すことが多かった。業務は日本向けの旅行を取り扱う現地業者への営業や現地住民の日本旅行のアテンドや日本からの受け入れなど。日本人が行くところは有名なビーチや動物見学のほか、ラグビーの試合観戦などで、竜一が日本にいた時は感じられなかった刺激があった。基本的に客層の年齢は高く、欧米に行きたい若者と比べて、その辺はもう経験したという年配の人や日本と逆の季節を味わいに夏や冬に英語圏に行きたいという避暑地、避寒地目当てのプチセレブが多かった。
竜一は積極的な性格で、会社社長のような肩書きのある人にも物怖じしなかった。しかも、わざわざニュージーランドに来たのになぜか長崎弁を話す、一見爽やかな青年に旅行者の心はほだされ、頼りにしてしまう。おじさん層を中心に気に入ってくれる人も多く、ツアーの終盤になると酒席に招かれることもしばしばあった。
竜一の勤務する支店には男性支店長、竜一のほか、ニュージーランド人の男性社員・マイクと日本人の女性事務員・藍など多くの社員がいた。マイクは32歳の青年で、英語のほか、一般会話程度の日本語とフランス語ができる。3年前から現地スタッフとして働き、ニュージーランドでのトレンドや通訳、現地案内など多くの仕事を任される主任として働いていた。竜一よりも年上だが愛想もよく気が合った。
ただ、国民性なのか、個人の性格なのか、基本的に遅刻をするという悪癖があった。一度、日本からのラグビー観光の団体客を空港まで迎えに行く仕事があったが、運転手役のマイクが約束の8時半になっても来ない。携帯や自宅に電話しても鳴りはするものの反応はなく、結局別の車を手配して竜一が空港に急行した。飛行機の到着が15分遅れたため何とか間に合ったが、定時に到着していれば、体格のいい日本人の男たち20人が空港で右往左往しているところだった。10時過ぎに何食わぬ顔で出社してきたマイクに問いただすと、「8時くらいには起きたが、きょうは風が強いから飛行機がおくれるだろうと思って二度寝した」と悪びれもせず答えた。しかし、仕事なんだからちゃんとしてくれと竜一が注意すると、「まあ君がフォローして事なきを得たからよかったじゃない」と人ごとのように笑顔を見せるので、ニュージーランドはこれくらいの心構えの方がいいのかなと竜一も妙に納得して矛先を収めてしまった。せかせかしている日本の社会では許されないかもしれなかったが、ここはニュージーランドだと改めて認識させられた。
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