第6話再開と転校生

 水面から顔を出すような感覚に包まれながらオズマは目を覚ました。

 時計を見ると寝坊したことに気づき、布団から跳ね起き、制服に着替え始める。


「寝坊なんて、ここ数年なかったんだけどなぁ」


 急いで着替えて、一階に降りていく。

 するとリビングからはいい香りが漂ってきた。朝ご飯だろう。


「あら。起きてこないから。学校休みと思ったわ」


 リビングにて僕を迎えた母は、台所の前に立ちながら他人事のように言う。


「オズマが寝坊なんて珍しいわねぇ。柚子ならまだしも」


「私は寝坊なんてしたことありませんっ」


 妹———柚子が母に対抗する。


 オズマは食卓に置かれている、手の付けられていない食事の前の椅子に座り、勢いよく食べ始めた。

 オズマの中で学校は、朝食を抜いてまで間に合わせる必要がないものである。


「ごちそうさまー」


 言葉を言い終わらぬうちにオズマはリビングをでる。

 そして中身もろくに確認せずにカバンを背負い、家を出る。


 学校までの道を走ったことなんてなかったな、と、高校二年目にして初めて気づく。

 季節は少し暑くなり始めてきた六月。少し走るくらいなら汗をかかない、心地よい気温であり、適度な運動に向いている季節。


 その心地よさを肌で感じながらオズマは登校ルートを駆け抜ける。

 風が顔に当たる感覚をひさしぶりに感じる。


「あ……あれ……」


 オズマはゆっくりと減速しだし、次第に立ち止まった。

「ゼーハーゼーハー」と息を切らした音が耳に届く。


 そうなるのも当然だ。オズマは運動をここ最近どころか、ここ一年程碌にしてこなかったのである。

 引きこもり体質の人間が急に走るとこうなるのは目に見えている。


 ふらつく足取りでオズマは歩き出す。やはり疲れるとは言っても、遅刻はしたくないのである。


 視界に猫が映る。茶色の縞模様のあるの野良猫。

 その野良猫が首だけ振り返り、オズマと目が合う。

 オズマはその可愛さに疲れをいやしてもらおうとしばしの休憩タイムをとる。


「ハァ……ハァ……目の保養……」


 そこで記憶の何かが引っかかる。


「そういえば目の保養……ついこの前も見たような……」


 オズマの中で、忙しさに考えもしなかった寝坊した理由を思い出す。


「メリー……」


 ぽつりとその名を呟く。


「呼び捨てにするなといったろぉー」


 オズマの後ろから段々と近づくように声が大きくなってくる。

 振り向くと昨晩のメリーが長い銀髪を右へ左へ荒れさせながらこちらに向かってきている。見た感じでは、ジョギング位の、余りスピードが出ていないような走り方だが、その姿が大きくなっていくスピードから、それがかなりの速度であるという事を察する。


 メリーの顔に遠目からでもわかるほどの怒りが浮かんでいるのを見て、オズマは自然とスタートを切る。

 頭の中で、スタートの銃声が鳴り響き、それに呼応するように走り出す。


 気分はリレー戦のアンカー。

 周りの物をすべて置き去りにするように、風に乗って走る。


 もう先ほどの疲れの色は欠片も残っていない。オズマの頭の中は、ただ逃げる事だけに支配されている。

 草食動物の気分とアンカーの気分を感じながらオズマは町中を駆け抜ける。

 自分が切る風をこんなに感じたのは初めてだった。


 学校が見えてくる。しかし決してオズマは安堵を覚えない。

 最後の最後まで気を抜くなと昔、母が言っていたのを思い出す。


 オズマは風を切りながら校門をくぐりゴールインする。

 学校に取り付けてある大きな時計を見た所、ここから歩いても遅刻はしなさそうだ。

 昇降口で上履きに履き替える。

 トントンと肩が叩かれる。オズマは高校でそんなことされたことなかったが、ランニングの達成感からか、特に何も考えることなく振り返る。


「なぜ逃げた?」


 振り向くと視界いっぱいに広がるメリーの威圧のある顔。

 距離を取ろうとするが後ろが下駄箱ではこれ以上下がることはできない。

 下駄箱に体を押し付けながらオズマは答える。


「なんとなく……」


「なんとなくぅ?」


 シンプルに威圧がすごい。威圧だけで眩暈がしそうだ。


「私ってわかったんなら止まるのが普通でしょ」


「なんか逃げたかったから……」


 いや、逃げるべきと本能的に思ったというのが本音なのだが。


 廊下に人が通る。オズマは体を強張らせてその人を凝視してしまう。

 二人の眼が合ったが、———一方は気味の悪そうな眼をしていたが———オズマにとってはそんなことはどうだっていい。

 その生徒が去っていくと、オズマが「フーッ」と息を吐く。


「どうしたんだ?そんなに緊張して」


「いや……今この状況を人に見られるのはさすがにまずいなと思って……」


 オズマは今もなお、高校にいるはずのない少女(美少女)と息が届くくらいの距離で密着しているのある。

 いっつも騒いでいる人たちがしているのならまだ弁解の余地はありそうだが、普段クラスメイトとも録に離さないオズマがそんなことをしているとなると、そこには少なからず犯罪集が漂ってしまう。


「あのひと、同じクラスの人だったし……」


「安心せい。私の姿は普通の・・・人間には見えておらん」


「そうなのか……よかったぁー……って今なんて———」


 キーン コーン カーン コーン


 朝のホームルーム、すなわち遅刻のデッドラインを告げる鐘がなった。


「あっやべ」


 オズマはメリーと下駄箱の間をするりと抜け出し、廊下を走りだす。


「どうしたんだ?急に急ぎだして」


 後ろから呑気な声が聞こえてくる。


「遅刻しそうなんだよ。せっかく今まで無遅刻無欠席を保ってきたのに」


 そんな優等生なオズマは、答えながらも廊下の先を見ながら、まっすぐ走っていた。


「へーそうなのかぁ」


 呑気な声に若干の苛立ちを覚える。が、オズマもTPOくらいは弁えている。

 教室は一回の突き当り。あともう少しで着く。


 息を切らしながら扉を勢いよく開ける。

 教壇のほうにに目を向けるとそこにはやはり先生がいる。

 「もしかしたら先生、ちょっと遅れてるかも」なんて淡い期待を持っていたオズマは、期待が打ち砕けたことで軽く落胆する。


「久城が遅刻するなんて珍しいな。腹でも痛めたか?」


 先生は朝に似合わずハキハキとそう聞いた。


「いえ……ただの寝坊です」


「そうかぁ、ならなおさら珍しいな。今日は六月なのに雨でも降るんじゃないのか?」


 そう言ってガハハと一人で笑う先生。

 しゃべっている内容がそこらの親父のようだが、今年40になったばかりの正真正銘女教師である。

 しかし今年からアラフォーといっても見た目はそれを感じさせないほど若々しくパワーがみなぎっている。もしかしたら20代後半って言っても通せることができるかもしれない。

 少し高めの身長。ショートボブの黒髪にワインレッドの眼鏡。自然に着こなしている亜麻色のパーカーは、初見では彼女が高校教師という事に気づかないであろう。


 オズマはできるだけ目立たないようにように、窓際最後尾の自分の席に座る。

 後ろからメリーがついてきているのが少し不安になったが、クラスの反応から見て、本当に姿は見えていないようだ。

 メリーは空いている窓淵に腰掛けた。髪が風に撫でられ、心地よさそうに目を閉じる。

 オズマはそれを見て先の気になっていた言葉を聞くことを鼻白む。


「それじゃ、全員そろったことだし。改めて転校生を紹介する」


 へぇー転校生か。高校でそんなイベントに合うとはなぁ。他人事のように思いながら前に目を向けると、先生に導かれ、その横にいた生徒が教団の真ん中に上がった。

 茶髪の目立つ髪。そしてそのシュッとした顔つきに一部の女子から小さな歓声が漏れる。


 教壇に上がったその青年は堂々とした態度のまま、しかし決して傲慢には見えないようなまま、自己紹介を始めた。

 転校生の話位は聞いておこうと思ったその矢先、 


 ボンッ


「ん?」


 突然すぐ横から何かの破裂音のような音が聞こえた。音のした場所を見ると、床に人形が横たわっていた。

 オズマは人形に位置から目線をあげ、メリーの居た位置を確認する。

 そこには誰もいない。

 それらのことからオズマはこの床に転がっているフランス人形がメリーであるという考察に行きつく。


 何故急に変化したのかはわからないが、何か理由でもあるのだろう。

 ま、なんにせよ、何かがあるのならメリーからのメッセージがあるはずである。

 オズマはまた転校生の居る前の教壇を見る。


(おい。私をこんな汚い床に置いておくきか。早く持ち上げんか)


 急に頭の中にメリーの声が響いてくる。頭の中から発せられているような奇妙な感覚。 

 オズマは「テレパシーもできるのかよ」、とその不快な感覚に悪態をつく。


(言っておくがそちらの声も聞こえているのだぞ)


 それは何でも不公平じゃないかとオズマは思う。

 それでは片方だけ考えが垂れ流しじゃないか。戻ってこいプライバシー。


(安心せい。コツぐらい直ぐに掴める。ほれ、試しにやってみい)


 オズマは体を強張らせて強く考える。いや、頭の中で強く念じるといったほうが正しいのかもしれない。


(これで……送れてる?)


(そんなに気張らなくてもいいが……まぁ一応聞こえておる)


 憑りつくとテレパシー機能もついて来るのかとその怪異の便利さに感心しながら、オズマは忘れていた転校生に気を向けなおす。


「……です。よろしく」


 どうやら既に自己紹介は終わってしまったようだったが、名前は黒板にでかでかと書いてある。


 じゅうもんじ……わたる……?


 十文字なんて珍しいなとボンヤリと思いながら、今日の一時間目は何かと考える。

 頬杖をつき、窓の外を見る。

 空は気持良くなるほどの快晴。太陽のほどよく暖かい光が、体を心地よい温度にしてくれる。


「よろしく」


 なかなかいい気分である。日向ぼっこする猫の気持ちがよくわかる。

 あぁ。猫って気楽そうでいいなぁ。


「よろしく……」


 あぁ。夏と冬なんか来なければいいのに。夏は暑すぎるし、冬は寒すぎる。まったく、どっちも生命が生きるのには過酷じゃぁないか。


「おーい。よろしくー」


「なんだようるさいなぁ」


 日向ぼっこを何度も阻害してくる音の方へ振り向くと、目の前には先ほどの転校生———十文字じゅうもんじ わたるがいた。この距離で見ても、なかなかシュッとしている。

 彼は、フレンドリーで見る人を笑顔にさせるような笑顔を浮かべながら


「これから隣の席になる十文字渡です。気軽に渡って呼んで」


 キラリとしたさわやかスマイル。

 これはモテるだろうなぁ。男としてなんとなくわかる。


(おいオズマ。さっきから僻みがすごいぞ。こっちまで醜悪がうつる)


「お、おう。よろしく十文字」


 転校生の要望と脳内メッセージを華麗にスルーしながらあいさつを終える。


「ところで、そこの人形は君の?」


 十文字はオズマの奥、メリー(だった人形)に目を向けて言う。


「あはは……そう、俺の」


 オズマはさり気なく人形を視界から隠すように態勢を変える。


「フランス人形?僕も好きなんだよねー」


「へ、へーそうなんだ。いいよねー。ふらんすにんぎょう」


 その言葉が大分片言だったことに、当の本人オズマは気づいていない。

 フランス人形なんて思い入れも知識もない。それにフランス人形を携帯する男子高校生って思われるのは余良い事ではないだろう。


「ちょっと見せてよ」


 十文字がオズマと距離を縮める。その自然な身の運びに、オズマはいつの間にか自分のパーソナルスペースに十文字が入ることを許可していた。

 まぁ渡すくらいいいか、とオズマがメリーを拾い上げ、十文字に渡そうとしたとき、


(だめだ、渡すな)


 いつになく血気迫った声音でメリーが言った。

 急な強いテレパシーのせいか、オズマがふらりとして机に手をつく。


 その時、手から人形が離れた。そして、人形が床に落ちる寸前、十文字がキャッチした。


「あっぶなー……ん?……」


 十文字が手元の人形を何やらじっと見つめている。


「あ、ありがと」


 オズマはお礼を言って手の内の人形受け取ろうと十文字に向かって手を出す。


 良くキャッチできたものだ。ま、別にキャッチはしてもしなくてもよかったが。

 それからオズマはすぐさま、こんなことを考えるとメリーに伝わってまずいと思い、考えに終止符を打つ。

 オズマは、メリーから多少の叱咤が飛んでくると思ったが、


(はぁ……逃げる準備をせい。今回のはさっきのそれとは比べ物にならんぞ)


 その予想に反し、メリーはやけに落ち着いた感じでそう送ってきた。


(え?何か追いかけられることでもあるのか)


 オズマはまだ未熟なテレパシーで問う。


(……)


 メリーは何も答えない。

 オズマは、その沈黙の意味もろくに考えず、顔をあげる。

 目の前で同じようオズマを見ていた十文字と視線が交錯する。

 オズマはその鋭い眼を見て思わずたじろぐ。

 そして、その悪魔を見つけたかのような眼に、オズマはメリーの言っていたことを理解する。


(逃げろ)  それは、どちらが送ったのかはわからない。もしかしたら同時だったのかもしれない。


 オズマは全速で教室のドアの方へ向かう。後ろで「ボンッ」という音がする。

 そして、ドアを乱暴に開け、そのまま廊下へと走り出す。


(さぁ。久しぶりの鬼ごっこだ)


 走るオズマの脳内にはメリーの楽しそうな呟きが響いていた。

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