第5話契約実行

「本当に喜びでよいのだな」


 声の響きから、これが最終確認であろうという事が伝わってくる。

 しかし、その雰囲気には『今更変えるなよ』という圧力が多量に含まれていることが肌に伝わってくる。


 勿論僕も、今更変えようなどという気は毛ほどもない。


「あぁ」


 僕は短く少女に承認の意を示す。

 少女は、その小さく控えめな耳にその音が届くと、おもむろに右手を前に伸ばした。

 少女の魅惑的な白い肌が直に月光に照らされ、より一層目が引き付けられる。

 そして、少女は伸ばした手の先端をまっすぐ見る。


 何かを唱えようと口が動きかけた時、少女はふと思い出したかのように僕を見る。

 その不意打ちに、僕は年下好きではないが思わずドキリとする。


「はて、そういえば貴様の名前を聞いていなかったの。おい人間。名は何という」


「久城 オズマ……だけど」


「承知した」


 少女は再び手の先を見つめる。その目つきは本来の怪異のあるべき姿を僕に思わせた。


「双方の同意により、我メリーに人間久城オズマの感情、『喜び』を献上し、我とその身骨を相持ちすることを……『メリーさんの電話』局長の名において此処に取り結ぶ」


 それから一呼吸おいて少女———メリーは続ける。


「その『喜び』我に進呈せよ」


 言下、突如僕の視界が光に満たされる。

 しかし、その光は不思議と眩しくなく、目は見開いたままだ。

 僕は特に狼狽せず、直に終わるであろうこの光の包囲が引くのを何もせずに待つ。


 段々と光が視界から溶けていき、目にメリーの姿が映る。


「どうだ?喜びを失った気分は」


「んー……特に実感はないけどなぁ」


 僕は自分の腕をさすりながらそう呟く。


「本当に取られたのか?」


 そう聞くとメリーは自信気に、


「その通りだ。私の契りにはミスはない」


 そう言い切った。


「そんなに気になるんだったら自分で確認してみな」


 メリーはそう言いながらベッドから立ち上がった。ワンピースの裾を払う。


「確認……か」


「そう確認だ。自分で喜びを感じるシチュエーションに行けばいい。さすれば、何も感じないことに気づくだろ」


「喜びを感じる……ねぇ……」


 そんな場面にはここ数日、というかここ数年単位で出くわしていない。まぁだから、喜びを捧げた《・・・》訳なのだが……。


「まぁいっか。直にわかるだろうし……で、メリーはここからどうするんだ?」


 メリーは嫌そうに顔をしかめる。


「人間が私に敬語も使わず、尚且呼び捨てか。全く、不遜も甚だしいわ」


「まぁそうはいっても、これから長い付き合いになるだろうし。呼び名は短いほうがいいかなぁって」


「長い付き合いになどならぬ。貴様がその直隠している恐怖を露にする機が来ればそこまでだ。それ程長くはならないだろう」


 メリーは線の細い顎に触れながら何やら考えているようなしぐさをする。


「まぁ。数日以内には、遅くても今月までには貴様はこの世にいないだろうな」


 サラッと何かの後付けのように言う。


「なかなかサラッと言ったな……」


 僕は引き気味にそう答える。


「まぁいい。取り敢えず今日はここで一旦身を引かせてもらう。まぁ……明日には戻ってこれるだろう」


 メリーはそう言って窓のほうに向かう。


「お、おう……それで、どこに行くんだ?」


「今夜で終わると思ってたからな、荷物がまだ向こうにあるんだ」


 荷物なんてあるんだ。というか、必要なのか……。


「わ、わかった」


 気になる気持ちを抑え、了承の意を伝える。


 するとメリーは、


「まぁ分かっているとは思うが、一応言っておくが。逃げようとか霊媒師に頼もうとかそんなものは悪あがきにもならんからな」


 怖い捨て台詞を言って窓の外に消えていった。

 開け放たれたままの窓。カーテンが微かに靡く。

 非現実味を感じながら、僕はベッドのほうへ向かう。

 そこにはさっきまで少女が座っていたような痕跡は微塵もなく、僕は今起きたことが本当に現実なのか疑いを持つ。


 ふと見た時計は随分深い時間を差していた。

 僕は部屋の電気を消して、冴え切った頭でこの部屋で起きたことを思い返す。

 改めて思い返してもそこには現実の文字はなかった。


 きっと夢なんじゃないか。

 瞼の裏を見ながら僕は頭の中でそう呟く。


 もしかしたら今も夢の中にいるのかもしれない。


 だったらここまでのこと、全部夢なのかなぁ。


 ……


 まぁいいか。明日になったらわかるだろう……。


 そして僕———久城オズマは、考えに終止符を打たないまま、終わりのない夢の世界へと沈み込んでいった。

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