第4話怪異と契り

「契りを結ぼうじゃないか。私と」


 彼女は僕にそう言った。


「はい?」


 話の内容が全くつかめなかった僕は反射的に聞き返してしまう。


「だから、私と契りを結ぼうと言っているのだ」


 少女は一度目と同じようなテンションを保ったまま言う。


「え?どゆこと?」


 無神経に聞き返す僕。


「だーかーらー。私と契りを結ぼうと言っているのだっ‼」


 そこには一度目や二度目のような、大人の雰囲気を感じさせるようなものはなく、お菓子売り場の前で駄々をこねる幼女のような、そんな幼い雰囲気を漂わせていた。


 そんな雰囲気の変わりようと少女の勢いに圧倒され、軽く閉口する僕を見て、当の少女はその反応を肯定と受け取ったらしく、「ふふん」と得意そうに鼻を鳴らした。


「まぁ、あの『メリーさんの電話』の主役である私に契約を持ち掛けられてるんだもの。当然よね」


 少女は自信に満ちた声でそう言い、満足げに胸を張った。


 随分と先に話が進んでしまったなぁ、と思いながら、僕は気まずさの存在を意識しながら質問をする。


「えっ……と。その契りって具体的に何をするの?」


 すると少女は目を細めて、「こいつ何言ってるんだ」と不信がこもった眼をこちらに向けてきた。


「それが分かっていないのに、良く契りを結ぼうなどと無責任なことが言えたな。まったく。最近の若者は責任感が足りない」


 僕は「僕はそんなこと一言も言ってないよ」という言葉を飲みこむ。流石にここで言うのはまずいだろう、くらいの空気は読めるようになっている。


 僕は少女を、『随分と身勝手で自分主義な娘』というレパートリーに追加する。

 記念すべき一人目の登録だ。


 少女は僕の様子を見て、話の続きを待っていることを察したのか、はたまたもうそんなことに意識は向けていないことを察したのか——そのどちらかは定かではないが———話題を切り替えるように一度下を向いた。


 透き通るような銀髪が少女の顔にかかる。

 少女の顔に影が差し、部屋の空気が変わる。


 僕の危機察知センサーが警戒レベルを上げる。

 どうやらここからの話は、今までのようなふざけた感じでは行けないらしい。

 僕も先の少女と今の少女を切り離して考えることにする。


 少女は下を向いたまま、訥々と語りだす。


「元来……私等のような怪異は、人間に恐れられ、敬遠され、忌避されるものだった。……しかし———時代の流れか、はたまた単なる気まぐれか———時に人間たちは、私等を神のように崇め祀り、私等のために命を張ることも、また別の時には、親の仇のように異常なほどの嫌悪を纏い、私等を滅ぼさんと、死に物狂いで剣を振るってきたこともあった。前者と後者は全く別の時代の全く別の目的の人間である。……だが、二者共に心の根底には『恐怖』の二文字が必ず存在していた」


 少女はそこで一度区切りをつけて僕のほうを見た。

 僕は思わずドキリとして、自然と背筋を伸ばす。


 彼女は変わらず話しを再開する。


「人間の恐怖は私たち怪異の栄養……いや、生きる意味そのものだった。自分の力で与えた恐怖を自らの生きる糧として今日ここまで生きてきた。…………しかし、時が経つに連れ、人間の恐怖が段々と薄くなっていった。私たちが現れようと、その命を狙おうと、人間は冷めた目で私のほうを見てくる。……それならば殺っても意味がないじゃないか‼」


 段々と上がっていった熱は、話の終わりで発火したらしく、少女は語尾を少し荒げた。


「怪異とは本来、何時どんな時何処で現れるかわからない、限りなく理不尽で、得体のしれない存在であり。標的に恐怖を、苦しみを与えなければならない」


 少女の眼に光はなく、底の見えない漆黒がそこには存在していた。

 その底には何があるのか、恨みか、使命か、誇りか。僕には皆目見当がつかない。


「人間には……いや、生物には必ず恐怖もしくはそれに類似する感情また本能が存在しているはずなのだ。それがなければその種は直に絶滅するであろうからな。だから、貴様も必ず恐怖の感情を内に宿しているなのだ。それを怪異のプライドにかけて、表に露にさせ……格好のタイミングで殺すのだ。そしてこれはそのための契りだ」


『殺す』の部分で少女は楽しそうに、これから来るであろうその・・・のことを思い、心底待ち遠しそうに舌なめずりをした。

 そして恍惚とした目で宙を見つめている。


 少女が僕に目を向けた。

 僕は何も話さないい。動かずに先を、話の展開を見守っている。


 不意に、重苦しい雰囲気だった部屋が、元に戻っていく。

 僕は、初めてそこで自分が呼吸を制限していたことに気づく。気づかぬうちに僕も緊張していたのだ。


「契りについて、具体的な話をしていなかったな。では、具体的な内容に関して話そう」


 少女の存在が、いつの間にか場を完全に支配しているが、その威厳の根源がどこなのかは定かではない。

 この部屋の王であるかのように、少女は振る舞う。


「簡潔に言おう。貴様の感情をよこせ。そして暫くの間、どれくらいの時間か貴様によるが、貴様に憑りつかせてもらう……それだけだ」


 感情……。憑りつく……。


 僕は少女の言葉を何度か咀嚼する。

 憑りつくというワードも気になったが、その好奇心を『感情をよこせ』という発言が上回る。


「勿論、感情は全部は取らない———全部取ったら恐怖がなくなってしまうからな———基本感情の恐怖を覗いた七つの中から選べ」


「きほんかんじょう……?」


「感嘆、警戒、激怒、嫌悪、悲しみ、喜び、驚き、……そして、恐怖だ」


 七つの感情を僕の中に確認する。


「もし……その取引を承諾……引き受けなかったら僕はどうなるんだ?」


 少女はフッと笑い、冷笑を浮かべながら、


「そんなもの、今すぐ貴様を血祭りにあげてやるわ」


 迷いもなく、それが周知の事実であるかのように、そう言い放った。


「だから、僕はそうしてくれて構わないって言ってるだろ」


 僕は少々強めに少女に言った。

 傍から見ると、少し大人げないことをしているように見えるかもしれないが、この目の前の少女の実質的な年齢を考えると、そうは言えないだろう。いや、むしろあっちが大人げないように見えるかもしれない。


 少女は少し声を荒げてわからせるように言う。


「思いあがるなよ。貴様に選択権は最初からない。私はここで貴様を殺しはしない。何があろうと、私は貴様を苦しませて精神を奈落に突き落とすまで、必ず逃がしはしない…………それほどのことを、お前ら人間はしておるのだ」


 沈黙の後の言葉は、誰の耳にも届かない。


「……」


「人間よ。さぁ選べ」



 どうやら僕に選択肢も、予断を許す時間も、与えられないらしい。


 感情を失う。正直、想像もつかない。

 そんな状況に人生で出会う日が来るなんて考えたこともなかった。

 なんなら、今も頭のどこかで、ここが夢なんじゃないだろうかと問いかけが起こっている。

 少し夢見心地な脳で考える。自然と問題がさして重要な物じゃないように思えてくる。


 そんなことを考えながらも、頭の一部は思考に専念している。


 感情を一つ失う。その感情は、僕が余り使わないものが好ましいはずだ。


「使わない……使う機会のない感情……」


 僕は手を開き、掌を見つめる。


「はやくせんか」


 少女がもう待てない、と言うように急かしてくる。


 僕は、自分の気持ちに目を向ける。


 ぞうだ。

 実はこの質問が出た時から、僕の中で答えは出ていたのだ。

 七つの中から選抜するまでもなく、考えるまでもない、簡単な小問。

 ただ使うことのない、使う機会のない感情の名前を読み上げればいい。

 それだけの話。


 もうその名前は上がっている。


「どうやら答えが出たようだの」


「あぁ。出たよ……まぁ、聞かれた時から、ぼんやりとは浮かんでいたけどね」


「ほう、面白い……と言いたいところだが私も何となく察しはついている」


 少女は答え合わせの結果を待つように目を閉じる。


 僕は言う。そこには一瞬の不安も躊躇いもなかった。


「喜び……喜びの感情だ」


 少女は楽しそうに———心の底からではなく表面上だが———歯を出して笑った。

 そしてこれから起きることを想像して実に愉快そうに言った。


「心得たぞ。人間」


 その様子は、さながら玩具を見つけた子供の様だった。




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