第2話鬼との遭遇

 彼女は右手でナイフを強く握りしめた。


 その顔には歪んだ笑顔が浮かんでおり、またその根源が純粋な愉しさからであるという事が伝わってくる。

 その幼い外見の印象にそぐわない雰囲気は、明らかに少女が人外の者であるという事が伝わってくる。


 ナイフを握っていても、絵画のような幻想的な世界観を崩さない少女に、僕は思わず頭の中で称賛を送る。


 そして何故か自然と、この少女になら僕の人生の幕を引かせてもいいと思った。

 いや、むしろ引いてほしいとさえ思った。

 生きる希望を見つける行動力も、自決する覚悟もない僕の、愉しみのない人生の幕ならば。


 美しい者の意思に応じる事の何がいけない。

 この世界に存在した時から祝福されている者の糧となる。素晴らしいことじゃないか。


 僕は、両手を広げたまま、その意思表示のため、目を閉じる。


 もう少しで心臓にぐさりと、鋭利な物が体に入ってくるのを想像する。

 今までそんなものは味わったことはない。あったとしても、木の棒が少し刺さったとか、そんなレベルのものだ。今回の刃物とはわけが違う。


 痛いのだろうか。どれほど痛いのだろうか。

 気絶するだろうか。悶え、床で苦しむだろうか。悲鳴を上げるだろうか。

 少女を恨むだろうか。走馬灯では誰を思い出すのだろうか。家族は悲しむだろうか。

 それとも……。


 死ぬ直前で、もう一度生きたいと思えるだろうか。


 そんなことを考えながらも、僕は全く恐怖を感じていなかった。強がりではなく、心の底からだった。もしかしたら僕は、心のどこかで死を渇望していたのかもしれない。


「ふっ……」


 ふと、口から笑みがこぼれる。人生という呪縛から解放されることからくる笑みだろうか……いや、もうそんなことを考える必要はないか。


「何が『ふっ』、だよ……舐めやがって」


 ん?

 

 僕は自分の耳を疑う。

 何かこのシチュエーションにそぐわない声が聞こえた気がするが……。

 まぁ気のせいであろう。


「いつまで目を閉じている。キスシーンか」


 ん?


 今のははっきり聞こえた気がするけど……。僕に向けて言われたのか?

 いったい誰が。この場にそんな発言をしそうな者は一人もいない……。


「いつまで目を閉じ続けるんだ。この……」


 前でキシキシと足音がする。僕から少し遠ざかって、それはまるで……助走をとっているような……。


「ばかものがぁー」


 次の瞬間、腹部に衝撃が加わり、体が後ろに吹き飛ぶ。反射的に患部を手で押さえ、刺されたわけはないことに気づく。

 飛ばされた勢いそのまま固定電話が置いてあるタンスに頭から激突した僕は、痛みに顔をしかめながら目を開ける。


 そこには先の銀髪の美しい少女が———先ほどとは別人のような鬼の形相を浮かべて、僕を見下ろすように仁王立ちしていた。

 腕を組み、明らかな嫌悪を出して僕を睨んでいる。


 僕は見上げるような態勢のまま、少女を見つめる。

 目線が交錯して少し心臓が縮んだが、それを顔には出すまいと何とか抑える。


 何を言えばいいのかわからず、なぜこの状況になっているのかわからず、僕は唇を噛んだまま態勢をキープする。


 しばらく沈黙が二人の間を流れる。


 その沈黙を破ったのは、少女の呆れたような発言だった。


「はぁ、居るのよねぇ……こういう輩が。最近増えてきてるし」


 ため息をつき、愚痴を言いながら僕を睨む。


「こっちは怖がらせるために来てんだからもっと怖がりなさいよ。あぁもう。ムカつく。そこに座りなさいよ」


 僕はその勢いに気圧され、床に尻もちを搗くように座る。


 少女は僕に向かい合って、ベッドに腰掛ける。またもや少女が僕を見下ろす形だ。

 

 彼女の愚痴は段々とノッてきたようで、口の回りが加速している。


「あなたたちが、迫りくる恐怖に為すすべなく追い詰められて、恐怖に顔を歪めて、『キャーっ』て最期を迎えさせるのが好きだったのに……。最近の若者は、逃げ回ったり、無視したり、振り向きざまに一矢報いようと蹴り入れようとして来たり、抵抗してきたり、面倒くさいのよ。余計なことしないで、蟻は蟻らしく、強者に平伏しないと……ていうかそもそも、私を呼び出してしまったんだからしっかり恐怖を受けないといけないのよ。何免れようとしちゃってんの?だいたいね……」


 彼女の話す勢いは衰えることを知らないようだ。


 まぁ、メリーさんが世間に膾炙してから何十年もたっている。その今までの鬱憤がここで爆発したのだろう。

 ……何でここで爆発するんだ……?

 めんどくさいなぁ……。


「……。あんた今、『話長いな、めんどくさ』って思ったでしょ」


 少女が浮気男を問い詰めるような目でこちらを見てくる。いや、まだそんな年齢じゃないか……。いや、見た目が幼く見えるだけで、実年齢的に言えばおばあさんなのか……。


「はい、思ってました」


 僕は話を早く終わらせるために自分の非を認める。

 先の浮気男のたとえで行くと、潔く「はい。○○ちゃんと浮気してました」って答えたってところだろう。

 いや、ちょっと違うか、それだと僕が浮気男みたいな、悪いことをしたみたいになってるなぁ。


 少女は僕の答えに業を煮やしたらしく、「「ムカつくっ。ムカつくっ」と唱えるように言いながら、床を踏み鳴らしだした。


 少し余裕が出てきた僕は、この間に少女をじっくりと観察する。

 月に照らされて、銀色の光を放つ髪は絵画のように美しく、そこにはこの世のものとは思えないほどの魅力があり、自然と目が惹かれる。

 その銀髪に負けず劣らず少女の顔もまた美しく。いや、どちらかというと美しいというよりもかわいいといったほうが近いような気がする。あどけなさのあるその端正な顔立ちは、将来モデルルート待ったなしといった造形をしており、こちらもまた、目を惹かれる。

 そのせいか、少女の纏う普通の白いワンピースも、王女の着る純白のドレスの様に見えた。

 年は……正直中身は判断しかねるが、見た目だけで判断するのならば12才位だろうか。いや、もっと幼いような気もする。

 背丈は低く、140センチくらいだろうか。さながら、現世に迷い込んだ天使のようだ。

 全体的に見た総評としては、途轍もなくかわいい、幼い少女といったものがよく表せているような気がする。


 そしてそのかわいい少女が、今僕の眼の前で、闘牛のように床を踏み鳴らしているわけだが……。


 時計を見ると深夜1時をまわっていた。

 静かな深夜に床を踏むドンドンという音は否応なくよく響く。


 突然、階段を誰かが勢いよく上がってくる音が聞こえる。

 ぞの足音から、その人物が相当な怒りを抱えているのがわかる、そんな足音。

 ダンダン足音が近づくのに比例して、僕の冷や汗が増えていくのを垂れていくのを感じる。


 ……まずい。

 記憶の奥底から封印していいた記憶が飛び出してくる。

 それはたしか、今と同じように夜も更ける時間帝に、ゲームで負けて、床をどんと踏み鳴らしたときだった……。


 僕はベッドに座って自分の世界に入り込んでいる少女の腕を掴み、押し入れの前に連れていく。その間も少女はずっとぶつぶつと愚痴を呪文のように唱え続けている。

 押し入れの扉を開け、中に少女を入れる。持ち上げた時、その体が異様に軽いことに気づくが、今はそんなことに驚いている暇はない。


 僕が押し入れを占めるタイミングと、その人物———母親が部屋の扉を開けるタイミングは、ほぼ同時だった。

 僕は、母と対面しながら、無意識に押し入れを隠すように背後に置く位置をとる。

 そして、とりあえずの愛想笑いを浮かべながら、弁解の言葉を探す。


 母親———鬼は、「寝たいんだよこっちは」という目をしながら、僕に弁解の言葉を求めている。


 背中と足がががたがたと自分の気持ちを主張してくる。……いや、違うこれは、押し入れががたがた言っている……‼


 まずいと思い、僕は必死に弁解を考えながら、押し入れの扉を押さえつける。

 なかから、「なにをしておる。早くここから出せ」と、少女ご乱心の様子。

 八方塞がりを自覚した僕は、できるだけ、被害を抑えようと頭をフル回転。

 その時に思わず、押し入れを抑える背中に力が籠り、


「なんだぁ。その態度はぁ……よくそんな態度取れるなぁ」


 鬼の怒りに触れてしまった。


「自分が悪いこの状況でぇ。壁によっっかかってんじゃねぇよっ」


 ドンッと壁を叩く。家が揺れる。比喩とか大げさではなく、家が揺れる。地震のように。

 これは大分やばい。

 それを押し入れの少女もそれを悟ったらしく、押し入れが誰もいないように静かになる。


「よし」と僕は第一関門をクリアしたことに心の中でガッツポーズをする。

 しかし、第一関門なんて所詮はチュートリアルみたいなものだった。


「で。どう落とし前つけてくれんだぁ。あ?」


 ラスボスとは難易度が全く違う。

 僕は弁解を思索するのを諦め、この怒りを収める方法を考えるほうにシフトする。

 

 まず、助けてくれそうな人を考える。父親は長期出張中だし、妹は……この時間だ、今頃ぐ~すか呑気に寝ているだろう。

 つまり、この状況を打破するヒーローは存在しないということになる。


 仕方ない。背に腹は代えられない。

 僕は破格の条件を提示する。

 それは前回この愚行を犯したときよりも破格の釈放金だった。

 僕は腹を括り、しっかりと目を見据えていった。


「2か月。小遣いなしでいい」



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