第30話 理事長はできるだけ落ち着き払う

 トオルはそのまま、全力疾走で六階を目指した。


「爺さんッ!!」

「めぐみちゃ……いや! トオルか、君は!?」

「そうだ! 久しぶりだな爺さん!」


 一瞬、呆気にとられた理事長は、しかし、落ち着いた様子で言った。


「ここには来るな――と言ってなかったかね。めぐみちゃんはどうした」

「そんなこと言ってる場合じゃねぇんだ! 美幸が奴らにさらわれた!!」

「岡部が!?」


 奥の部屋から有吉が顔を出す。


「めぐみがついていながらこんなことになっちまって……!」


 理事長の机をバンバン叩きながら興奮気味に話すトオルの様子に、さすがに有吉もめぐみとは違うものを感じたらしい。


「理事長……この子は……? 坂本ではないのですか?」

「うん……【彼】は山尾トオルという。普段はめぐみちゃんの中に眠っている、もうひとつの人格だよ」

「え……」


 順からもそんな話は聞いていなかった有吉は、素直に驚いた。

 聞けばトオルはめぐみが激昂したりすると表に出てくるのだという。

 通常めぐみはそう簡単に激昂することはないし、だからこそトオルを抑えられてもいるのだが――

 有吉は先日の話し合いで、ぶつぶつと爪を噛むめぐみを思い出していた。

 順が喝を入れて止めていなければ、あのままトオルが出てきていた可能性があるわけだ。

 トオルが出てくるまでは順でも止められる。

 ただ、ひとたび出てきてしまうと、抑制できるのは理事長だけなのだという。


「美幸くんがさらわれたというのが余程ショックだったのだろう」


 普段は出てくるはずのないトオルが出てくるほど、今回の戦いは厳しいものなのだ。

 有吉は震え、それから、改めてトオルに向かった。


「あんたが有吉先生だな」

「そう。岡部はどうしてさらわれた? 坂本と一緒にいたはずでしょう? わかることを聞かせてほしい」

「全部が罠だったんだ」


 トオルはそう言って、さっきまでに起こったことを包み隠さず話した。


「……藤山くんは本気だわね……」

「あいつはずっと本気だ。手ェ抜くつもりもまるでない――」


 親指の爪をがりがり噛みながら、トオルは苦々しげに言った。


「岡部がどこに連れていかれたかは、わからないわけね」

「生徒会室にいなかったとなれば、学校にはもういない可能性のほうが高いだろうね」

「くっそが! すぐ殴り込みだ! 他に心当たりの場所はねえのか爺さん!」

「落ち着きたまえトオル!」


 理事長がトオルを一喝する。

 その勢いにトオルは一瞬びくっと身体を震わせ、黙った。


「悔しいのは君だけじゃない、めぐみちゃんが一番悔しいはずだ。それは君もよくわかっているだろう?」

「それは……」

「わかったら少し眠りたまえ。めぐみちゃんと代わるんだ」

「爺さん……わかった。わかったけど、もしものときは俺も――――」


 それでもはやるトオルを、理事長はソファに寝かせる。

 理事長はトオルの額とこめかみに手を当てた。


「わかっている。めぐみちゃんにも伝えておくよ」


 すう、とトオルは目を閉じた。


「理事長……」

「安心したまえ有吉くん。しばらくすればめぐみちゃんとして目覚めるよ」

「坂本にこんな一面があったなんて――坂本は、このことを?」

「知っている。だが、排除はしたくないとも言っていた。トオルが存在する限り、付き合っていくつもりらしい。めぐみちゃんらしいよ」


 理事長は優しい顔でにこりとした。

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