第3話

「サーラ」

 冷たいサーラの視線に気が付いて、カーティスは悲しそうに目を伏せる。

「本当に、すまなかった」

 彼はまた、サーラが望んでなどいない謝罪を繰り返す。

「簡単に騙されてしまったのは、俺の責任だ。あの伝説の聖女が再びこの国に現れたのだと興奮して、事実確認を怠ってしまった」

 加害者がそんな目をするなんてずるい、と思う。

 許さない自分のほうが、ひどいことをしているような気持ちになってしまう。

 だからサーラは、こう言うしかなかった。

「もういいのです、殿下。すべて終わったことですから」

 自分に言い聞かせるように、サーラは静かにそう告げた。

 だが、あんなに心酔していたエリーの言葉を、彼があっさりと嘘だと認めるとは思えない。

 きっと、色々とあったのだ。

 でも、詳細を聞きたいとは思わなかった。

本当にもう、彼らとは関わりたくない。その気持ちのほうが大きかった。

「一度起きてしまったことは、なかったことにはなりません。ですから殿下もわたしのことなど、もうお忘れください」

「そんなことはできない。君は被害者だ。何としても、君の名誉を回復しなければならない」

 カーティスの熱のこもった言葉に思わず笑いそうになって、手で口もとを覆う。

(今さら、何を……)

 よりによって王城で開かれた夜会で、彼が婚約者ではなくエリーをパートナーとしてエスコートした時点で、サーラの名誉など失墜している。

 両親がサーラを修道院送りにしたのは、聖女を苛めたからなどではない。最初から聖女の存在など、カーティスたちしか信じていなかったのだから。

 サーラはいずれ王太子妃、王妃になる者として、この騒動をどう治めるのか、試されていたのだ。

 父がサーラの報告に具体的な指示を出さなかったのも、自分で考えろというメッセージだったのかもしれない。

 それなのにカーティスを諫めることができず、その暴走を許してしまった。だからサーラは両親に、そして国王陛下に、王太子妃としてふさわしくないと判断された。

 ただ、それだけのことだ。

 思えば、できないことではなかった。

 どんなに邪険にされても疎ましく思われても、カーティスを諫め、エリーは聖女などではないと糾弾すれば、あの騒動を治めることは可能だった。

 実際、彼女が聖女である証拠など何ひとつない。

 むしろ聖女の名を悪用したとして、エリーを断罪することもできた。

 おそらくサーラには、それを期待されていた。

 王太子妃になる者として、カーティスを導き、聖女という名を利用して彼に近づこうとしたエリーを処断する。

 でも、サーラは思ってしまったのだ。

 どうして自分だけが、そんなに努力しなければならないのか。

 いくら政略結婚でも、夫になる男性が常に他の女性を優先し、自分を邪険にするような相手ではつらいだけだ。

 しかもサーラだけが、一方的に努力と我慢を強いられる関係でもある。

 王太子であるカーティスこそ自分を厳しく律し、上に立つ者としてふさわしい言動をしなければならないのではないか。

 それができないのなら、王太子の地位を下りるべきだ。この国の王子は、彼ひとりではないのだから。

 そう思ったとき、サーラはカーティスを諫めることを諦めてしまった。

 手放したほうが楽だと思った。

 王太子妃になること、王妃になること。

 そして、公爵令嬢であることも。

 もし本当に王妃になるにふさわしい者ならば、こんなふうには考えない。カーティスを守り、その盾となってエリーを排除することに、何の疑問も覚えないのだろう。

 だから最初から、自分には無理だったのだ。

 実際にすべてを捨てた今、サーラはとても穏やかな気持ちで日々を過ごせている。

 何としても、この平穏を守りたかった。

 だから、何とかしてカーティスに納得して帰ってもらうしかない。

 サーラはしばらく考えたあと、彼に尋ねる。

「殿下。わたしの両親も国王陛下も、ここに来てはいけないとおっしゃいませんでしたか?」

 サーラは国王陛下に、王太子妃失格と判断されたのだ。

今さらカーティスがここに来ることを、許すとは思えない。案の定、カーティスは視線を反らした。

「……ああ、その通りだ。父からは君の従妹の、ユーミナスと婚約するように言われている」

「まぁ、ユーミナスと」

 彼女は父の妹の子で、たしかサーラよりも二歳ほど年上だった。

 美しいが少し気位が高く、サーラも彼女と会うときは少し緊張してしまうくらいだ。だが、自分の役割を理解してきちんと果たす女性でもある。

 間違ってもエリーのような存在を許すような人ではない。

 自分よりはよほど、王太子妃にふさわしいとサーラも思う。

「そうですか。おめでとうございます」

 そう言って笑顔を向けると、彼はつらそうな顔をして目を逸らしてしまう。

「君は……。それでいいのか。今までの努力がすべて無駄になってしまうというのに」

 努力を無駄にした張本人にそう言われて、思わず苦笑いをする。

 でも、答えに迷いはなかった。

「ええ、構いません」

 たしかに妃教育は厳しかったが、今となっては解放された喜びしかない。それに、その努力が無駄になってしまったのはカーティスのせいだ。彼にそんなことを言われたくはない。

 わずかに覚えた怒り。

 だが、カーティスはそんな些細な変化に気付くような人ではない。ただひたすらサーラのために何かしたいと言う。

 彼と対面しているだけで、精神がひどく疲労する。

 わたしのために何かしたいのなら、もう放っておいてください。

 最後に投げ捨てるようにそう言うと、カーティスは長い間俯いたあと、やがてまた明日来ると言って、部屋を出て行った。

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