第2話

 サーラが送られたのは、王都から少し離れた町にある規模の小さな修道院だ。

 最初は普通の修道院だと思っていた。

 でも数日過ごしているうちに、ここにいるのは訳ありの貴族の女性ばかりだということに気が付いた。中には問題が解決して、生家から迎えが来た人もいるらしい。

 追放した娘をそんな訳ありの修道院に入れたことを考えると、父はまだ、自分に使い道があると思っているのかもしれない。

 冷酷な父ならあり得ることだ。

 公爵令嬢だった頃なら、そんな父に黙って従っていた。

 サーラが今まで生きてきたあの狭い世界では、父の言うことは絶対で、逆らうなんて考えたこともなかった。

 でもここで暮らしているうちに、サーラの意識も少しずつ変化していた。

 そうではなくては、わざわざ王太子であるカーティスが自分を訪ねてきたのに、迷惑だとあからさまに顔に出すようなことはしなかった。

(修道院は、男子禁制なのに……)

 ここにいる修道女はみな、訳ありの貴族の子女。

 最初はみんな、サーラと同じように自分の身の廻りのことさえ覚束ないような状態だったらしい。だから、ここには雑用をしてくれる壮年の男性がひとりいる。ウォルトという名で、穏やかな優しい人だった。

 サーラも最初は厨房にある器具の使い方がまったくわからず、彼に色々と教えてもらった。

 でもそんな彼だって、修道院の敷地と厨房に出入りするだけで、けっして内部には足を踏み入れない。

 それなのに、堂々と修道院の中にあるサーラの部屋にまで入り込んできたカーティスに、思わず深い溜息をついてしまう。

(やっぱり自分本位なのは、変わっていないのね)

 たとえ王太子であろうと、守らなくてはならないルールは存在する。でも今の彼が、それを理解することはないだろう。

 言いたいことはたくさんあるが、婚約者でもないカーティスの間違いを正すのはサーラの役目ではない。ただ黙って立ち去ってくれたら、それでいい。

 でも、少しだけ気になることはある。

 なぜ、今になって謝罪してきたのか。

 どうして、自分に会いにわざわざ王都を出てきたのか。

 そしてあのエリーは、彼がサーラに会いに来たことを知っているのか。

 いろいろと考えていると、ここでの静かな生活でようやく落ち着いていた心がまた乱れて、サーラは壁に手をついた。

 そうしないと、立っていることもできなかったのだ。

「サーラ?」

 カーティスの手が、サーラの腕に触れる。

 倒れそうになった自分を、心配してくれたのかもしれない。

でも彼に触れられていると思うだけで、ますます血の気が引いていく。

「わ、わたしは大丈夫です。ですから、どうか、手を離してください……」

 無礼だと怒鳴られるかもしれないが、それでも彼に触れられているよりはましだ。

 震える声でそう言ったサーラの姿に、カーティスはひどくショックを受けたような顔をして、そっと離れた。

「……すまない。サーラ。ああ、俺は君をこんなにも傷つけていたのか。本当に、すまなかった」

 でも彼はなぜか、いつものように怒鳴ったりせず、そう謝罪を繰り返していた。

 サーラは俯いたまま、首を横に振る。

 それは謝罪を拒絶するように見えるしぐさだったが、今のサーラにはそうするのが精一杯だった。

 どう受け取ったのか、カーティスはしばらく黙ったあと、こう言って去って行った。

「また、明日来る」

「えっ……」

 サーラは呆然として、その後ろ姿を見送った。

 たしかに彼に、ここまで来られるのは迷惑だと伝えることができなかったし、急に謝罪していた理由を聞くこともできなかった。

 でもまさか、彼が明日もまたここを訪れるとは思わなかった。

(そんな……。どうしよう……)

 理由なんて聞きたくない。

 今さら謝罪だって、されたくはない。

 もうサーラの中ではすべて、終わったことなのだ。

 ようやく手にした平穏は、わずか十日ほどであっさりと崩れてしまったようだ。

(もう関わらないでほしい。わたしの望みは、ただそれだけだったのに……)

 それすらも叶わないなんて思わなかった。

 ここに来てようやく解放されたと思ったのに、逃れられなかった。

 そう思うと絶望しかない。

 修道院でも駄目ならば、もう国外にでも逃げるしかないのだろうか。

 その夜は食事も喉を通らず、眠ることもできなかった。

 他の修道女たちは、あれがこの国の王太子のカーティスであることに気が付いたようだ。

 彼女たちも貴族の子女だったのだから、当然かもしれない。

 それでも何も聞かず、気分が優れないサーラの面倒を見てくれた。

 その優しさが、泣きたくなるくらい嬉しかった。

 できればいつもの気まぐれであってほしい。

 切実にそう願っていたが、翌日にも宣言通り、カーティスは修道院を訪れた。

 でも今度はサーラの部屋ではなく、あらかじめ修道院の談話室に案内してもらうことにした。

 さすがに元婚約者とはいえ、男性とふたりきりになるのは避けたほうがいい。修道院の院長にサーラが相談すると、雑用係のウォルトが同席してくれることになった。

 彼は部屋の隅に座っていて、中央の椅子にはサーラとカーティスが向かい合って座る。

「……」

 いつものサーラなら、彼が訪れたら自分から挨拶をして、彼の要件を尋ねていた。でも今はただ俯いて口を閉ざし、カーティスが用件を切り出すのを待つ。

 彼はいつもと違うことに戸惑っていた様子だったが、やがて昨日と同じ言葉を繰り返した。

「すまなかった」

「……何が、でしょうか?」

 ようやくその意味を尋ねると、カーティスは面食らったようにサーラを見つめる。

「面会の予約もなく、男子禁制の修道院に押しかけたことならば、今後気を付けてくださればそれでかまいません」

「そうではない。……いや、それも謝罪しなければならないことだな。突然押しかけて、すまなかった」

 彼は素直にそう言ったが、謝罪されても少しも心に響かない。表情も変えないサーラに、カーティスは戸惑っていた。

「サーラ。その、エリーのことだが……」

「……っ」

 名前を聞いた途端、彼女の顔が浮かんできた。

 カーティスに向ける、媚びるような甘い声。

 自分のものだと言わんばかりに、絡ませる腕。

 何ひとつ思い出したくもない。

「ご婚約されたのでしょうか。それは、おめでとうございます。ですが、わたしはもうただの修道女です。わざわざご報告いただかなくとも……」

「違う!」

 カーティスはサーラの言葉を強い口調で遮った。

「エリーと婚約などあり得ない。彼女は聖女ではなかった。しかも、嘘を言って君を貶めていた」

「……」

 そう言う彼を、サーラは冷ややかに見つめていた。

 エリーが聖女ではないなど、わかりきっていたことだ。

 彼女が嘘を言ったのはたしかだが、サーラを貶めたのはエリーではなく、それを真に受けて、調べもせずに信じたカーティスではないか。

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