婚約破棄した相手が毎日謝罪に来ますが、復縁なんて絶対にありえません!
櫻井みこと
第1話
清々しい、朝だった。
空は晴れ渡っていて、これなら洗濯物もよく乾きそうだ。
だから今日はまず洗濯をして、それから細々とした雑用を片付けてしまおう。
新米修道女であるサーラは、朝からそんな計画を立てていたのだ。
それなのに。
「すまなかった」
招かれざる客は、男子禁制の修道院において最もふさわしくない若い男性だ。彼はサーラに会うなり謝罪すると、勢いよく頭を下げた。
(ええと……)
サーラは困惑して、目の前にいるその男性を見つめる。
彼は、リナン王国の王太子カーティス。
つい最近までサーラの婚約者だった男性だ。
サーラは目の前で頭を下げたまま動かない、かつての婚約者を見つめる。
いくら婚約者だったとはいえただの貴族の娘に、王太子が頭を下げて謝罪してもいいのだろうか。
そう思ったが、言葉にして諫めるほど彼に対する思い入れはなくなっていた。
それほどのことを、彼にはされている。
(今さら、何をしにいらしたのかしら……)
サーラがあらためて、目の前の王太子を見つめた。
淡い金色の髪。
今は伏せているその瞳は、透明な青色。
見た目だけなら、女性なら誰でもうっとりとするような美貌の王子様だ。
だがこのカーティスは婚約者であるサーラを差し置いて、あるひとりの令嬢に夢中になっていた。
男爵家の娘で、エリーという名前だった。
このリナン王国では、一定の年齢になった貴族は王立の学園に通うことを義務付けられている。
その学園でエリーは、可愛らしい容姿と料理の腕でたちまち注目の的になっていた。
ひそかに噂されていたところによると、彼女にはどうやら前世の記憶というものがあるらしい。そこで得た知識で、珍しい料理を作るのだと言う。
その彼女の、前世の記憶というものが問題だった。
この国には、過去に異世界から来た女性が聖女となり国を救ったという歴史がある。
美しく優しく、精霊に愛された偉大なる救世主だ。
エリーはその聖女の話を聞いて、自分の前世のようだと言ったらしい。実際、レシピが残されていない聖女が好きだったという料理を再現したこともあった。
そんなこともあって、学園内で次第に彼女は聖女の生まれ変わりとして扱われるようになる。
聖女はとても尊い存在である。
カーティスは、エリーをそんな聖女の生まれ変わりだと信じて、夢中になっていた。
もっとも、彼女が聖女の生まれ変わりだという証拠はない。
聖女が好きでよく作っていたという料理を再現しただけでは、教会も聖女として認定することはない。
それになぜか、カーティスは学園内ではエリーを聖女として扱って大切にしているのに、それを国王陛下に報告することもなかった。
でも王太子であるカーティスが彼女を聖女として扱ったことで、いつしかこの学園では彼女は聖女の生まれ変わりであり、もっとも尊い女性のような存在になっていた。
王太子である彼がそうなのだから、彼の側近たちもそれに倣い、エリーをまるで王女のように扱う。
彼らのその聖女ごっこに難色を示したのが、側近たちの婚約者だった。
本当に聖女なら、国王陛下と教会に報告するべきだ。
それをせずに、どうして学園内だけにこの話を留めておくのか。
そう言う彼女たちの言葉は間違っていないし、サーラも完全に同意だった。
でも王太子の婚約者であるサーラは、その対応に追われるようになってしまう。
彼女たちには王太子のせいだと嘆かれ、王太子には口を出すなと怒鳴られ、本当に毎日、大変だった。
最初は同じ境遇としてサーラに同情的だった彼らの婚約者たちも、サーラに訴えても何も変わらなかったせいで、次第に辛辣になっていく。
サーラも、何とかしようとしたのだ。
だが父のエドリーナ公爵に報告しても、具体的な指示はない。
また報告するように言われるだけだ。
父が動かない以上、サーラが勝手なことをするわけにはいかない。
しかも、サーラが口を出せば出すほど、カーティスはエリーに夢中になっていく。
困難であればあるほど燃え上がるのが恋なのだとしたら、カーティスはエリーに恋をしていたのだろう。
だがカーティスはもちろん、サーラにだって、この婚約は政略でしかない。
面倒なことばかりする婚約者に愛情なんて持てるはずもなく、サーラも次第に彼と距離を置くようになっていた。
それなのにエリーはなぜか、わざわざ自分に絡んでくる。
無視をすればカーティスに叱られて、適当にあしらうとなぜかエリーが泣き出す。
本当に、面倒だった。
父に相談しても、いずれこの国の王妃となるのだから、それくらい何とかできなくてどうすると叱られた。
たしかに王太子妃、さらに王妃となれば、王の愛妾ともうまくやっていかなければならない日が来る。
しかもあのエリーが、その愛妾となる可能性はとても高いのだから、この程度で音を上げるなということなのだろう。
だがカーティスのエリーに対する溺愛は学園内に留まらず、夜会でのパートナーですら、サーラではなくエリーを選ぶようになっていた。
婚約者である公爵令嬢を差し置いて、男爵令嬢をエスコートする彼の姿に、周囲も色々な噂を囁く。
学園でも王城でも、屋敷でさえも気が休まらない。
サーラはもう疲れ果てていた。
だから昨日の夜会でカーティスに、聖女を虐げた女と結婚するつもりはない。婚約を破棄すると言われたとき、まったく身に覚えがないにも関わらず、言い訳もせずに頷いたのだ。
勝手に婚約破棄に同意したサーラに、両親は怒った。
今まで一度も逆らったことのない娘だったから、父の怒りも相当なものだったのだろう。
思えば、父にはそれなりの思惑があって、エリーとカーティスの件を放置していたのだろう。
王太子から婚約破棄を言い渡されたその日のうちに、エリーは修道院に送られることになった。
母はさすがに狼狽えていたが、どんなことがあってもあの父が考えることはない。それがわかっていたから、サーラは淡々と母に別れの挨拶を述べた。
実際、王太子のカーティスから、あのエリーから解放されるなら、それでもかまわないと本気で思っていた。
あのまま彼と結婚していたら、カーティスはエリーを愛妾にしていただろう。あのふたりとこれからもずっと関わるくらいなら、修道院で一生を過ごしたほうがましだった。
そうして屋敷を追い出されたサーラは、父によって王都から離れている修道院に送られた。
この修道院にいるのはすべて訳ありの人たちのようで、誰もが相手に深く関わらないようにして生きている。
それでも表向きは友好的に、サーラを受け入れてくれた。
ここで、静かに暮らそう。
カーティスもエリーも、邪魔者が消えて喜んでいるに違いない。サーラもまた、あのふたりに二度と会わなくてもいいのかと思うと、嬉しくてたまらない。
もう二度と、誰かの恋愛に巻き込まれるようなことはしたくないと切に願う。
そう思っていたのに。
なぜかカーティスが突然修道院を訪れ、サーラに謝罪したのだ。
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