四 きつね

 会いに行けばいいと簡単にはいうのだが、そうは言ってもいざ会いに行くとなると二の足を踏んでしまうものである。他狐はわからないが、少なくてもこの狐はそうだった。

 晴空に薄雲のかかる初夏。虫たちの息遣いが聞こえてくる。柔らかな土を踏みながら、狐は嫁の手をとった。白無垢姿はころころと笑う。背後に続いた他の者たちも頷いて、一同はゆっくりと歩き出した。

 草木が覆うこの道、普段は人が通らない。しかし人の子が現れても不思議ではない道である。

 狐が半ば強引にそこを通ることを決めたのだ。

「友人に祝ってもらうんだ。友人は人間だもの、いつもの道には来られないし」

ついでに、仲人や親族たちには籠を持たせて、中には花だの木の葉だの木の実だのを詰めさせて、これをばら撒いてもらう。花やぐ香りに、彩りに、中々に楽しい案だった。

 トモチカが言うには、たくさん菓子や玩具を貰ったのだと言っていたのを思い出して、通りすがりに顔を出した他のあやかしやらにも押し付けながら、しゃなりしゃなりと花嫁行列は進んでいく。


 嫁狐はまたころころと笑った。

「ねえ、あなた、あちらにいるのがご友人?」

狐はバッと顔をあげる。山道から、田圃や野原を挟んだところに、二つ人影が揺らいでいた。

 なあんだ、と正直なところ少しだけがっかりしたのは隠さない。無論、来てくれと頼んだのは狐なのだから、嬉しいことは嬉しいのだが。

「そう、新しい友達だ。楽之稀屋の人たちでさ、宙と七波」

狐が手を振ると、それぞれに振りかえしてくれた。

 驚いたのは、あの淡白に見えた七波がやる気を見せていたところだ。髪に花を沢山咲かせた華やかな服装で、狐と目があったら満面に笑みを咲かせながら、花びらをばら撒いていた。花びらが風に巻き上げられて、花吹雪になる。お幸せに、と大きな声が通ってくる。

「あれが人間の祝い方なんだねえ」

狐は嬉しくなって傍らの嫁に語りかけた。

「あらあら、嬉しいわね。ね、姉さん、あの人たちにもお花を投げてあげて」

嫁狐は背後の義姉に声かけておねだり。ここから投げて届くかわからないから渡してくるわ──と妙に律儀な義姉狐。


 狐は首を回すが、他に人影は見えなかった。少しだけ肩を落とした。忙しいだけ、足が悪いから来られない、狐が嫌いだから来ないわけではない。

 会いに行けばいい。それはそうだと思う。

 しかし、門前払いを受けたら、呪ってしまいそうな自分もいて、それならこのまま会わないままのほうが気楽だと言う自分もいる。

──あっちからきてくれりゃあいいのにな。

 そんな都合のいいことを考えていれば、

「こんな日にそんな顔」

拗ねるように嫁狐が首を傾げた。

「隣の花嫁でなくて、何処の誰のことを考えているのかしらね」

「ごめんよ」

「冗談です」

つんと澄ましてから、優しい声で紡いだ。

「会ってみたいわ、私も、あなたのトモチカ坊ちゃんに」

狐は瞬きをゆっくりと繰り返して嫁を見つめた。

「ちょっと妬けちゃうもの」

「ごめんよう」

「冗談です。ふふ、あなたが長いこと探していたのを知っているもの。居場所が判ったのなら、会いに行きましょうよ」

大丈夫だと言うようにそっと手を添えてくる嫁狐に、狐は微笑んだ。里一番の美狐だ、きっとトモチカも会えばドギマギするに違いない。

「うん、それじゃあ、一緒に会いに行こう」

そう決めれば、心が軽くなってきた。


 ゆっくりと行列が進んで、目の片隅で追いかけてくる宙と七波の姿がある。祝われるのも中々にいい──そう思いながら足を進めていると。

 ふと、光が弾けた。

「まあまあ、ねえ、ご覧になって」

はしゃいだような嫁に釣られて、指差す先を見る。さっきの三人とは別方向。何かがやってくる。

 あ、と声が溢れた。

 柔らかく反射する虹色の泡。柔らかな雨の中、ふわふわと光を纏って浮いている。

──まさか!

 狐は身を乗りだした。遠くに人影が見える。ひとつは楽之稀屋の店長のものだろう。もう一つは……。

「トモチカ!」

 記憶よりもうんと大きくなって、しかしうんと歳をとって、懐かしい顔が笑って大きく手を振っていた。彼は店長に背負われるようにしながら、見慣れない機械を手にして、シャボン玉を無数に雨空に飛ばしていた。

「おーい、狐太郎こたろう! 来てやったぞ!」

 トモチカは闇雲にシャボン玉を飛ばして、かつて勝手に適当につけてきた渾名で呼んで、「おめでとさん!」と大声で叫んでいる。大暴れする煩い大柄な男を背負う店長に同情してしまう。

 狐は弾かれたように笑い出した。こら、と母狐が言う声が聞こえるが、構わずに笑った。会ったらどんな話をしようか、どんな顔で久し振りを言うか、こちらは散々悩んでいたのに。トモチカは何もかもを跨いでやってきた。

 シャボン玉が好きだと言って、はしゃいでいた日を思い出す。覚えてくれていたのか、と嬉しくなる。


 嫁狐はそっと寄り添って、嬉しそうにトモチカを見つめる。手を振れば、店長まで揺らしそうな勢いで振り返してきた。

「ふふふ、聞かなくたってわかりそうですけれど。ね、あの人ね? 噂のトモチカ坊ちゃんは」

「うん、ボクの大切な友達だよ」

きらきらと天に上るシャボン玉が綺麗で、狐は目元を擦った。


 賑やかに、行列は進んでいく。

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