三 宙

 楽之稀屋のカウンターテーブルで、狐が呑んだくれていた。頭と身体は人間、手足は狐と大層愉快な姿になっている。


 帰るとすぐに、おかえりなさい、と店長が出迎えてくれた。七波は食べ物を取ってくるわ、とキッチンの方にさっさと消えてしまう。

「早かったね」

「七波の手際が良かったんです。僕は本当にポルターガイスト担当と言いますか……」

思い出して苦笑する。事実、七波一人でもあっさり終わっただろう。店長は目を細めて微笑んだ。

「きみは色々なものを見届ける役目だから、それでいいんだ。七波君がきみをつれていってくれてよかった。それで、ちゃんと会えたのかな、トモチカさんには」

「はい。手紙をちゃんと渡しました。智哉さんから──」

「トモチカ坊に会えたのか!」


 返事の手紙を取り出したところに、狐がいきなり割り込んできた。目はキラキラと期待に輝いている。

「あいつは元気にしていた? 女房は? 何をしていた? ボクのことを忘れてやいないよな?」

鼻先がくっつきそうな至近距離に気圧される。七波はこうなることを見越していたのだろう。

 僕は預かり物です、と竹蜻蛉を狐に手渡しながら、彼の友人の様子を伝えた。

「あなたの話を聞いて、楽しそうにされてました。その場で返事を書いてくれたので、どうぞ」

「忘れてなかったかあ、よかったなあ」

狐はにこにこと喜色満面、大事そうに竹蜻蛉と手紙を撫でた。あいつはボクの好きなものも忘れてないのか、と噛み締めるように言う。

「昔なあ、トモチカ坊が自慢してきたんだよ。親戚の結婚式でさ、やれ豪華だった、やれ飯が美味かった、お嫁さんが綺麗だった、お婿さんも凛々しくてどうだったってさあ。ボクは見たことないのに」

 狐にとって、それがとても羨ましかったのだと口を尖らせた。見たことのない人間の結婚式、贈り物の色とりどりの甘い糖菓子、それを楽しそうに生き生きと語る友人、どれをとっても忘れられないのだと。

「だから、嫁さんをもらうって話になって、真っ先に見せてやりたいと思ったんだ。狐の嫁入り行列なんて、きっとトモチカ坊も見たことないだろ? きっとびっくりして、感動しちゃうね」

「私も久しぶりなので楽しみにしていますよ。それで、返信にはなんとあるのです?」

 店長はゆるく首を傾げた。

 金紙を開いて、なぞる六文字、狐は眉根を寄せてから、ぶはっと息を吐き出した。


『いけたらいく』


 狐は大きく笑い声を上げた。

「トモチカ坊は全く変わらんなあ! 行けたら行くって、あいつの場合六・四ロクヨンの割合ですっぽかすんだよ」

そう言ってから、ちら、と視線を彷徨わせた。

「…………まさか、まさかの、万が一だよ。もしかして、あいつ、ボクのことが嫌いになったとかじゃあないよね? だから来たくないとか……」

ころりとまた表情を変える。三日前に言われても大体は行けない人が多いのではと思うのだが、狐としては嫌われたから来てもらえないのでは──とちらりと考えたらしい。

 泣きそうな狐に僕は頭を振った。

「いえ、足が悪いから行けるかわからないそうです。それに、生きている人間って、結構忙しい生き物ですし……」

そう言えば、狐はまたころりと表情を明るくした。

「なあんだ、嫌いになったんじゃないならいいのさ。でも、足が悪いのかあ、安心していいのやら、悪いのやらかあ」

 狐はうんと伸びをした。気がつけば、その姿はほとんど狐に戻っていた。やたら背の高い、二足歩行の狐だ。童話の世界にありそうな絵面である。


 彼は微睡んだ目で、折り紙を器用に畳んだり、また開いたりを繰り返した。時々、トモチカ坊は来れないのかあ、と呟く声が落ちる。

「来るか来ないかは任せるとは言ったけどさあ、来て欲しかったなあ。どうにかできない?」

「まだ来ないとも言っていないではないですか。ところで、何故楽之稀屋にいらしたんでしょう」

店長はゆるりと首を傾げた。

「確かに私は人を探すことが得意ですが、妖狐のあなたも探そうと思えば──」

「──だって、見つけられなかったんだもの」

狐はため息をついた。


 狐が結婚を決めたのは、結構前のことになるらしい。すぐにでも、と言う相手を止めたのは狐だった。記憶のどこかにいた古い友人に見てもらいたいのだと言って、まずは前の家や隣の町を探し始めた。

 しかし、どこにもいない。どこに引っ越すと言っていたかも覚えていない。いろんな山の者に聞いても見たが、ヤスモトトモチカと縁のある者はいなかった。

「諦めましょうよ」

 嫁狐はそう言ったが、どうにも納得できないで、諦めるか、いやいやもっと探してみようか、と悶々としていたらしい。

「それなら、楽之稀屋に頼んでみたら」

嫁狐はくすくすと笑いながら、宙に爪で文字を書いた。昔に聞いたことがあるのよ、と前置きする。

「迷子の為の、よろず屋さんなんですって。ひとの世にも詳しいって話を聞いたことがあるの」

 頼まれたことはなんでもしてくれる、世にも奇妙な店──狐はこれだと思ったそうな。

 狐はトモチカを探して、楽之稀屋を探して、今日ようやく見つけたらしい。狐は語り終えるとだらしなく机に突っ伏した。

「うーん、なんとか間に合ったと思ったのになあ」

「間に合いましたよ」

「どうだろ。あいつは来ないかもしないよ」

狐が不貞腐れたように呟いた。


 がらりと戸が開いて、

「私も間に合ったと思います」

廊下からふわりといい香りがしたかと思えば七波が戻ってきたところだった。

 手にしたトレーには背の高いポッドとうず高く積まれた焼き菓子の山、それを崩さないように器用に運ぶ。彼女は小さく肩をすくめた。

「マドレーヌを焼いていたから貰ってきたの」

慌てて僕がカウンターテーブルの奥に回り込んで、小皿とマグカップを出す。そこに小さなトングでひとつひとつ積み重ねて、カップにはポッドからアイスティーを注いだ。

 店長は実に嬉しそうにそれを受け取って、狐はきょとんと目だけで七波を見て、皿を見て、視線を往復させた。

「落ち着くには温かいもの、美味しいもの、すっきりするもの──柑橘を使ってますけど、食べれます?」

「そういうことならなんだって食べられるけどね。だって普通の狐じゃないもの」

「それならどうぞ」


 七波は手近な椅子に座ると、さっくり一口大に割って口に放り込んだ。

「レモンをたっぷり練り込んでいるからとっても爽やかで、バターもくどくなくて、甘さも控えめ、とっても美味しい」

ご丁寧に彼女が教えてくれて、僕もひとつだけ摘んだ。なるほど、これがそういう味かと噛み締める。七波はそれを満足そうに見つめてから、狐に視線を戻した。

「私の母のレシピなんですよ。焼いてくれたのは、店の人だけど」

「へえ」

「なんか嫌な悲しいことがあると、母がいつもこれを焼いてくれたんです。悲しい日のマドレーヌ──これを食べると不思議と気分が晴れるんですよ。まあどうにかなるかな、じゃあこうしてみようかな、どうしようかなって……」

七波は己の口角を人差し指で押し上げた。

「余計なお世話ですけど、せっかくの結婚前にそんな顔しちゃ、お嫁さんが可哀想ですよ。残念な気持ちはわかりますけど」

「ううむ、きみの言いたいことはわかるのだけど……」

狐は頷きながら、マドレーヌを摘んだ。

 そっと匂いを嗅いで、半分齧る。とろりとした瞳に光が踊った。残りも一口で平らげる。

「こいつは美味い!」

そう言いながら、次々に口に放り投げて、口が乾燥すれば茶を流し込んで、あっという間に皿には三つ残すばかりになる。


 そこでようやく、狐はまた人間の姿に戻った。まっすぐに七波を見る。

「ねえ、人間の七波嬢、聞いてもいい?」

「なんなりと。私のわかることでしたら」

「ねえ、ボクは人間のトモチカ坊に対してさ、これからどうすればいいと思う?」

狐は困り顔で首を傾げた。

「人間ならどうされたい?」

「いっそ貴方から会いに行ったらどうですか」

対して、七波はさらりと言った。

「保本さんもお客様のことが嫌いだから会わないんじゃないもの。それこそ結婚式でなくても、ただ思い出話をしに行けばいいじゃないですか」


 確かに智哉は狐を思い出してからは楽しそうに見えた。若返ったように見えたし、会いたくないという風には、少なくても僕には見えなかった。

「智哉さんも、なんで狐さんが来ないのかと言ってましたよ。会えば話も弾むんじゃないでしょうか」

「智哉が?」

狐は目を瞬かせてから、ほろりと表情を緩ませた。


 会わなかった数十年、長く生きる妖狐にとってはあっという間の出来事だ。それでも、思うところはあるらしい。狐とてその数十年が人間には短くないとはわかる。

 彼は照れくさそうに鼻を擦って、どうしようかなあ、とはにかんだ。

「突然やってきてさ、お前はだれだーっとか、お呼びじゃねえんだーって言われたらどうする? それとも会いたかった! なんて熱い抱擁をされたら? どんな顔であえば、前みたいに話せるかなあ」

「難しいようで簡単ですよ」

 今度は店長が繋いだ。伏せ目がちに、空になった己の皿を見つめる。

「二度と紡げない縁もあれば、容易に切れない縁もあります。私が道を繋げることができたのであれば、あなたと彼の間にはまだ縁があるということです」

「……いきなり会いに行って怒んない?」

伺うような上目遣い。

「さあ、人それぞれですから」

はぐらかすように肩をすくめる。

「場所は教えますから、あとはよしなに」

「ううむ、じゃあ、聞くだけ、念の為……」

そう言いながらも、狐はしっかりと三度聞いて、復唱して、最後には店長に地図を書かせた。


 結婚式場と称した山のある場所から、少し離れたところにある。行けるかなあ、と不安げにしつつも、まあ行ってみるよ、と狐は頷いた。

「そろそろお暇するけど、その前に。ねえ、人間の七波嬢」

「……その枕詞は除いてくれません?」

「じゃあ、七波、お菓子を包んでもらえない?」

 七波は静かに頷いて、素早くタッパーを用意した。狐に言われずとも、もともとそのつもりだったのだろう、可愛らしいワックスペーパーを敷いたそこには、既にいくつか鎮座している。

「お嫁さんに?」

七波が聞けば、

「うん、美味しいからね。それをつまみに嫁さんにも話すんだあ。楽之稀屋のこととか、トモチカ坊のこととかさ。嫁さんも行ってみたいって言ってたんだ」

狐は楽しそうに言った。


 包まれた菓子を小脇に抱いて、それじゃあ、と狐は立ち上がった。

「御礼はまた後日ってことで。結婚式、きみたちは忘れずに来てくれんだよね?」

店長が戸を先んじて開けながら、にこやかに頷いた。

「もちろん」

「それならよしよし。あ! きみたち、いくらボクが男前で、嫁さんが美人でも惚れるのはいけないからね」

「ご安心を」

七波ははっきりと言い切った。




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