二 宙

 じっとりと生ぬるい空気が肌にまとわりつく。ミンミンゼミの大合唱に出迎えられて、僕らは目的の町に降り立った。

 ヤスモトトモチカは自然豊かな小さな町で、これまた小さな玩具屋を営んでいた。木造らしき二階建ての家屋は水色に塗り上げられて、古めかしい磨りガラスの引き戸が洒落ている。風鈴が楽しげに歌って、古い割に小綺麗な店構えだった。

 ──が、閑古鳥が鳴いている。

「店長ってば、近くに繋げるとか言って、結局歩かされたじゃない」

 件の三番目の扉を開けた先は路地裏で、かれこれ十五分ほど彷徨った後、この店を見つけたのである。僕はともかく、さぞ暑かったであろう七波は文句たらたら、汗もたらたら、ムスッとして店を見上げた。

 看板には『保本やすもと玩具店』、ここに来るまでに町の人に聞いた通りである。


 対他人に対する七波の豹変は凄まじいものがある。

 いつも漂わせている気だる気な雰囲気をサッとどこかへ追いやって、素直そうな少女の皮を素早く被るのだ。

「こんにちは! ヤスモト玩具ってお店をご存知ないですか? 道に迷っちゃって……」

僕のメガネを掛けて、下ろしていた髪は三つ編みに結い直し、七波はいかにも真面目そうな少女になりきる。こうすると大体、相手の警戒心は解かれるらしい。

 伏せ目がちに、控えめに、小さく微笑む姿は何処をどうみても純真で擦れてない女子高生だ。

「保本玩具さんね。漢字? 保つに、本で保本さんだよ。ええと、こっちの道を行って、二つ目の信号を曲がって……、店の場所くらいスマホで調べたらすぐだろうに」

「えへへ、ごめんなさい。通信制限でうまく繋がらなくって。でも、助かりました! ありがとうございます!」

いつ見ても流石と言うしかない演技である。


 なお、僕はといえば、相手の目に映ることもないのでぼんやりと「スマホ、触ってみたいなあ」と明後日のことを考えていた。僕も店長も、そういうマテリアルには滅法弱い。七波は持っているらしいが、店と相性が良くないとかで、あまり持ち歩いている姿を見ない。


 まあ、依頼にそういう技術なり物なりを扱うことは少なく、あったとしても店にいる何人かは扱えるから問題は(今のところ)ないのだが。


 兎にも角にも無事に道を得て、僕たちは玩具屋さんに至る。彼女は真顔のまま店を見た。

「さっさと行くわよ、宙。演出は任せたわ」

「うん、行こうか」

 ガラガラと音を立てて引き戸を開けると、楽し気な鈴が頭の上でちりんちりんと鳴った。

 小さな店だ。年季の入ったドアマット、木製の古棚が壁に沿って置いてあって、簡素なレイアウトでいくつかおもちゃが飾ってあった。市販のものの棚、手作りのものの棚、総じて商品数は多くはないが、掃除はどこも行き届いている。

 店の奥にはレジカウンターがあり、背後に暖簾がかけられたドアが見えた。あそこから、居住スペースに繋がっているらしい。


 七波が「ごめんください」と声をかければ、ややあって男が出てきた。五十を越えたくらいか、巨木のような無骨な男だった。顔色はいいが、右足を引きずって、無表情に白髪頭だけで頷いた。

「いらっしゃい。ごゆっくり」

七波は僕をちらりと見てから、ゆっくりと男に近づいた。

「突然にすみません。ヤスモトトモチカさんですか」

前置きもなにもない。当然、訝しむように男の目が細められた。眉間に深い皺が刻まれる。

「……そうだが、すまないね、きみは? 生憎と君くらいの年頃の子に心当たりがないもんで。社会科見学なら事前に電話くらい欲しいところだが、なにか勧誘とかなら間に合ってるから──」

いいえ、と七波は首を振った。

「あなたのご友人からのお届け物を預かってきましたので、お届けに参りました。宛先はヤスモトトモチカさん宛でしたので」

「…………すまない、わけがわからないが、どうして君が俺宛の荷物を? 順を追って話してくれるか」

「それがお望みでしたら、もちろん。その前に先にこちらをお渡ししますね」


 七波のアイコンタクト。

 僕は木の葉の招待状をクリアファイルから引き出すと、えいやと宙に投げた。

 ひらりひらり、優雅に舞ったそれはレジカウンターの上に着地する。彼の目には何もないところから突然に現れたように見えたのだろう、ギョッと七波と、木の葉をとを比べ見ていた。

「驚いたな、手品か」

「懐かしいかなと思ったんです」

「久しぶりに見たには違いないが……」

「狐のご友人も、あなたに手品をよく見せていたと聞いています。そちらはその狐さんからのお手紙です」

「狐? お手紙? 葉っぱが?」

「狐のご友人から、葉っぱのお手紙です」

「…………」

男は言葉に迷っているようだった。そりゃそうだろうとは僕も思う。あまりに童話的メルヘンチックだ。


 暫く推し黙った後、不意に思い至るものがあったらしい。男はハッとして、木の葉を手に取った。刻まれた文字をなぞって、首を傾げて、再びそれを見て、刻まれているものを凝視して、ようやくなにかを確信したらしい。

「狐? ……待てよ、きみ、今確かに狐と言ったかな?」

「ええ」

七波はにこりと微笑んだ。

「中途半端な変身をする狐だろう? それで、完璧に人間に擬態できていると思っている奴だ! ははは、懐かしいあいつか」

「思い出されました?」

ちらりとこちらを見た七波の合図で、僕は今度はクラッカーを鳴らす。最近のクラッカーはゴミが散らからなくていいな──と考えながら、音だけしか聞こえないであろう男がビクッと体を揺らした。これでは賑やかしというか、ポルターガイスト担当である。

「数十年ぶりにお友達に会いたいと言う話でしたので、頼まれて来ました」

七波は仰々しくお辞儀して、照れたように微笑んだ。


 男は笑い声を上げた。実に楽しそうな声で、すっかり表情は明るいものになっている。

「はははは、なるほどな。確かにあいつの使者らしいな。間違いないだろうさ、その狐が探している智哉トモチカは確かに俺らしい。しかし、本人が来るべきだろう」

 智哉は一気に若返ったように見えた。

 彼はどかりと近場にあったスツールに腰掛けて、無遠慮に七波を見上げた。

「きみ、この辺の子じゃないだろう」

「はい。電車を乗り継いで来たんですよ」

胸元の校章らしきバッジをさりげなく指先で撫でて、七波は小さく首を傾げた。

「お手紙、読めますか? 書いてあること、私にはさっぱりなんです」

「それはそうだろう。これは十つくらいのガキんときに、あいつと二人で考えた暗号だ。……それは覚えているんだが、なにせン十年も前の話だからな、読み方はうろ覚えだが──要件は聞いているかな」

七波は困ったように一瞬だけ視線を彷徨わせてから、僅かに眉尻を下げてみせた。

「三日後に結婚式があるから、来て欲しいそうなんです」

「こりゃまた急だ」

あいつらしいや、と智哉はまた笑った。


 聞けば、昔から狐はそうらしい。

 耳と尻尾を隠せない変化で人間だと言い張り、派手な音と手品めいた術で驚かせて来て、時間感覚がとにかく適当なのだ。早過ぎるか、遅過ぎるか、ちょうどいいところがわからない。

 約束をすっぽかす事も多くて、たったひと夏の内、彼がまともに約束通りに現れたのは片手で足りるほどだった。

「まあ、だから約束なんざしないことが多かった。あいつは鼻がよく効いていたもんだから、寺の石段に座ってりゃあ勝手に来やがる。待ち合わせをするより正確なんだ、待ち合わせをしない方が。おかしな話だろう」

 智哉は眼鏡をレジの引き出しから取り出して、掛けてから葉の模様を手近なメモに書き出した。法則性から、記憶を辿ることにしたらしい。

 うんうん唸りながら頭を掻いた。

「あいつ、元気してるのかい。俺はちょうどさ、親父の転勤で別れも言えなかったから、気になっていたんだ」

「元気です。奥様がとても綺麗な方だと、誇らしそうでした」

「へえ、美人の嫁さんねえ。あいつにか」

ほろり、ほころぶ。


 彼は引き出しを引っ掻き回して、金色の折り紙を取り出した。葉を見ながら、慎重に例の文字を刻んでいく。たった六文字。やはり解読不能だが、本人はある程度思い出したらしい。

 手紙の返事だよ、と彼は口角を釣り上げた。

「昔のことは、案外覚えているものだな。あいつは確か、キラキラした折り紙が好きだった。オーロラ折り紙とか、金色の折り紙とか」

書き終わったそれを器用に折り畳んで、近くの棚から竹蜻蛉をとりだすと、それに結びつけた。すまないね、と七波を見る。

「返事を届けてもらってもいいかな、お嬢さん」

「ええ、お預かりします」

七波は大切に手紙を受け取った。後ろ手にして、智哉から見えないように、僕に手渡す。

 

 町の鐘が鳴る。

 時計の針を確認して、七波は「そろそろ帰りますね」と微笑んだ。鞄を持って、礼儀正しく頭を下げる。

「わざわざ来てくれたのに行くとも行かないとも答えられずに、悪かったね。ここのところは身体の調子が悪くてなあ」

智哉はのそりと立ち上がると、片足を引きずりながら入り口まで先導した。途中、棚にある玩具のアクセサリーやらシャボン玉やらを数点とって、七波に持っていくように渡した。

 七波はぱちくりと瞬きを繰り返した。

「いいんですか?」

「礼代わりだよ。まったく、奴も結婚だのなんだの、急だよなあ。それに巻き込んですまなかった。代わりに謝るよ」

「本当に突然ですよ。私、ちゃんと言ったんです。人間ってそんなに暇じゃないのよ──って」

七波は膨れ面を作る。それを笑いながら、

「ははは、その通りだよ。本当に、あいつは昔から変わらないんだ。全く、自分で来やがれっていう話だよなあ」

智哉は懐かしそうに呟いた。


 からころと、またドアベルが鳴る。慌てて僕が外に出て、七波がゆっくり出て、智哉はそれじゃあ気をつけて、と手を振った。

「わざわざ手紙をありがとう。嬉しかったと、あいつにも伝えてくれ」


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