きつねこんこん あめふらし

一 宙

「結婚式ですって! しかも、明々後日!」

 高い声が楽之稀屋を揺らす。僕としても驚きの言葉で、苦笑するしかない。

──昔の友人を、三日後の式に招きたい。

流石にそれは無理がある。



 じめじめと湿気が鬱陶しい水無月の某日、楽之稀屋たのまれやに一人の珍客が来た。

 見た目は成人男性のそれだが、目元は狐面で隠して、耳は狐、しっかり尾も生えて、よくよく見ればつま足も狐のそれである。

「いやあ、変態はそこそこ苦手でね。え、変身? 細かいことは言うなよう」

 狐は和かに笑いながら勝手に上がり込んできた。

「別に、狐の姿のままで構いませんのに」

店長もまた笑顔でこれを迎えた。

「いいや、これは僕のこだわりなんだ。それで、ここは楽之稀屋だよね?」

「ええ、間違いなく」

店長は狐に椅子を薦めると、すぐに奥に何かを言いに消えた。そうなると、僕だけがその場に残されることとなる。


 この店に迷い込むお客は多いけれど、迷わずにやってくる客もそれなりにいる。そういうものは大体、人以外のモノだ。

 この狐も散々、この店を探していたらしい。

「ようこそ、楽之稀屋へ。随分迷われましたか?」

僕が湯気立つお絞りを出すのをじっと眺めながら、狐はこれでもかと頷いた。

「うん、めちゃくちゃに探したもんだ。いやあ、探し始めたのはどれだけ前だったかな。二、三回、桜が咲いたり散ったりがあったっけ。とにかく、なんでもやっているという楽之稀屋、ようやく、ぎりぎり、間に合った!」

狐は満面の笑みでそう言った。


 どうにも彼には探し人がいるらしい。

 うんと昔、人の年で言えば三十から四十年ほど前に出会った人で、これがどうにも探し出せない。名前は知っているが、昔の住居からはとうの昔に引っ越していたそうな。

 そこで思いついたのが、噂に聞いていた『楽之稀屋』なのだと言った。

 頼みごとはなんでもござれなこのお店、確かに彼の要望には添えそうだ。人探し、何処にでも通じているこの店ならば、いとも容易い。

「人探しのご依頼ですね」

僕は笑顔で言って、それなら適任は……と思い浮かべる。


 ちょうど、思い浮かべたその人がガラス戸を引き開けて現れた。彼女の背後にはお盆を手にした店長がいる。

 ばちり、セーラー服の彼女と目が合った。制服姿ということは、学校帰りにそのまま来ていたのだろう。

七波ななみ

僕が呟くと、

「こんにちは、宙。久しぶり」

彼女は目を細めて微笑んでから、すっと視線を狐に移す。顔を向けた瞬間に営業的な笑みを被って、小さくお辞儀をした。

「お待たせいたしました。本件を担当させて頂く"七波"です」

わあ、と狐は目をまんまるくして、七波に無遠慮に顔を寄せた。

「本当に人間がいるんだねえ、楽之稀屋!」

七波は笑顔を貼り付けたまま一歩下がる。

「近いです、お客様」

「なんだい、七波嬢は気にしい・・・・なんだねえ。まあいいや、なんにせよ、人間の世は人間が一番歩きやすいよねえ。こいつは幸先がいいや!」


 これなら簡単に見つかるぞと取らぬ狸の皮算用、手を叩いて喜ぶ狐に、店長は割って入るようにして、そっとお盆を差し出した。

「ええ──まずは、外も暑かったでしょう。腹でも満たしながら、御用件について話しましょうか」

「そうそう、この店は頼み事ついでに飯も食えるんだったな。へえ、聞いた噂は嘘をつかないらしい」

狐は舌舐めずりをした。

 

 本日は冷やしおでんと、紅生姜の稲荷寿司。

 稲荷寿司は豆皿にちょこんとひとつ。おでんは大根、トマト、油揚げに茗荷がガラスの器に盛られて涼しげである。そばには小さな徳利も添えられていて、狐は舌なめずりをひとつ。

「味は海っぽいが、おお、懐かしい。昔食べた気がするな。こいつは中々好きな味。人間の世界の味がする」

「あなた、人間をお探しなのでしょう。ちょうど良いかと思いましてね」

「あれれ? 君に人を探しているって言ったっけ? この子には言ったけど」

「大体わかるんですよ」

店長は嘘か誠かわからないようなことを言って、微笑んだ。


 狐がすっかり平らげるのを待ってから、本題に入る。即ち狐が楽之稀屋を探していた理由である。

 狐はぺろりと唇を舐めて、どこからか大きな木の葉をひっぱり出した。テーブルの上に置かれたそれは、大層立派な葉っぱではあるものの、葉っぱは葉っぱだ。僕は首を傾げて、七波はすんと落ち着いた顔でそれを見ていた。

「これを届けて欲しいんだよね。でも、宛先がわからない。それを探して欲しいってわけ」

確かこの葉っぱが好きだったのさ、と嘘か本当かわからないようなことを言って、狐は葉をおしつけてきた。

「大丈夫、届けてくれたらわかると思う。その宛先っていうのが──」

僕は姿勢を正した。彼も姿勢を正してくる。七波を向いて、にこりと微笑んだ。

「人間さ」

「人間……ですか」

駄目だ、あまりにアバウト過ぎる。

 僕は助けを求めるように店長を見た。手掛かりがほとんどなくても、店長ならば相手を探すことは容易なのだろう。しかし、今回の担当は七波である。

 店長はゆっくりと首を傾げた。

「具体的にどなたのことでしょう」

「人間と言えば、ヤスモトさん家のトモチカ坊主だろうよ。おっと、七波嬢も人間だったか! まあまあ、細かなことはともかくさ、こいつを人間のトモチカ坊に届けてくれればそれで良いのさ!」

胸を張って言うが、それでもやはり雑だった。こうも大雑把に人間代表にされたヤスモトトモチカ御仁も、きっとこれには驚くに違いない。


 僕はゆっくりと音を噛み締めた。

「ヤスモトトモチカさん、ですね」

「うん、よろしくね。三日後までに届けてよ」

狐は悪びれることもなく言い放つ。

「はあ」

 呆然とする僕。

「は?」

 唖然とする七波。

「そうですか」

 店長だけは微笑みのまま頷いた。

「件のトモチカくんを探しようはなくもないのですが、よろしければもう少し詳しくお話しくださいますと……ヤスモトくんもトモチカくんも、人間の世には割とある名前です」

「へえ、知らなかったや」


 店長は仰々しく葉を手に取ると、灯りに翳して透かしてみて、ひっくり返して、なるほど、と頷いた。

「このままでも探せはしますが、お急ぎでしたらもう少し色をつけていただきましょう。相手がわかることでしたら、なんでも良いですよ。トモチカくんとの思い出なり彼の特徴なりを教えていただけますか。ツテを辿れば、道は繋げられます」

「特徴、特徴、よしきた、お安い御用だとも」

狐はドンと己の胸を叩いた。


 狐の語るところによると、ヤスモトトモチカという少年は①黒髪黒目芝生頭の小さな男の子であり、②稲荷寿司のような日に焼けた肌であり、③稲荷寿司とおもちゃを作るのが得意で、④珍しいおもちゃをいつももっていた、⑤川が綺麗な山間の小さな町に住んでいた少年……ということらしい。裏山の神社に伸びる石段に腰掛けて、よく二人で遊んだのだと。


 七波はひどく遠い目をしていた。僕も同じ顔になっていたと思う。

──なんの手掛かりにもなりゃあしない!

ちらりと店長を見れば、やはり彼だけは澄ました顔をして、こちらに気がつくと薄く微笑んだ。大丈夫、と唇の動きだけで伝えてくる。


 本当だろうか、と僕は不安を拭えない。いくら物を届けるだけとはいえ、宛先がわからなければ郵便物は届かない。

 楽之稀屋において、基本的にあらゆる場所への道を繋げるのは店長だけだ。彼さえ把握できれていれば、僕らの心配は無用なのだろうけれども、本当に相手がわかったのか不安である。

 そ、とそばに来た七波も同じ気持ちなのだろう。

「死神の台帳でも捲るのかしら? 一枚一枚、妖狐と縁あるトモチカくんを探して?」

小さな声で囁く。ひどく小さな声なのに、店長には届いていたのか、彼はゆるりと頭を振った。そんな必要はない、と言うことらしい。


 狐はあれやこれやと思い出話に花を咲かせた。

 やれ、小川でザリガニを釣っただの。裏山でクマゼミを獲っただの。祭りがあったときに、ひとり抜け出してきたトモチカ少年と食べた焼きとうもろこしだの。ある時は手品を見せて驚かせ、ある時は花火を見せられて驚かされ。

「夏ばかりですね」

僕は首を傾げた。

「うん。冬になる前にあいつは引っ越したからね。ボクを置いてさあ。だから、たったひと夏の仲にすぎない。だけど、どうしても忘れられなくてさあ。ボクはあいつと秋も冬も遊びたかったのに。せめて、晴れ姿は見てほしくなったんだよね」

狐は嬉しそうに顔を綻ばせた。あいつ、驚くかな、嫁さんは大層美人だからね──。


 妖狐にとっても、少年にとっても、たったひと夏は短い断片だろう。その少年は覚えているかもわからない。

 僕ははて、と眉根を寄せる。聞き捨てならないセリフが聞こえてきた気がする。七波が低く、

「晴れ姿?」

と呟いた。店長から受け取った葉っぱをクリアファイルに挟み込んでから、七波は近づけたり遠ざけたりして、その模様を睨みつけた。丸と棒を組み合わせた記号が踊る。文章であるらしいが読み取れない。それを僕に「持ってて」と押し付ける。


 七波はゆっくりと首を傾げた。

「お客様、不躾ですが、これは何のお手紙ですか? 急ぎというお話ですけど」

「結婚するから、それの招待状だよ。人間はそうするんだろう、だからさ、せっかくだから人間の様式に則ってみたのさ!」

七波の頬がピクリと痙攣した。

「式は、いつ……」

「三日後だよ」

悪びれもないその声に、ついに七波が天を仰いだ。


「結婚式ですって! しかも、明々後日って! 本当にばか! 三日後までに届けてもどうしようもないわよ!」

 僕も無茶苦茶だと思う。店長はこら、と七波を嗜めた。

「お客様に、ばかはないでしょう」

「そ、それはそうだけど……ごめんなさい。言葉がすぎました」

七波は口を尖らせながら、無茶苦茶よと葉っぱを睨みつけた。

「でも、狐さん──でいいですか。狐さんは人間社会の目まぐるしさを知らないんだわ。たとえすぐに見つけられても、連れて来られるかは別よ」

「それはトモチカ坊に委ねるよう。流石に無理強いするつもりなんて微塵もないさ」

狐はにこりと微笑んで、そうだ、と手を叩いた。

「せっかくだし、きみたちはぜひ来てくれるよね! 友だちを呼ぶと、嫁さんに言ってしまってね」

「ええ、店を代表して私が伺いましょう」

店長は僕と七波を廊下の方に促しながら、後は任せて、と囁いた。早く行けと言うことだろう。


 七波は仕方ない、とばかりにため息をついて、廊下に置き去りにしていたスクールバッグに招待状をしまった。

「急ぎ頼んでもいいですか、七波?」

「わかった。ただし、宙もついてきてもらうわ」

七波はちらりと僕を見た。僕も元よりついて行く気だったから、頷きで返す。

「いいよ、七波。僕は多分相手の人には見えないから、そこにいるだけになるけど」

「それでいい。あなたは盛り上げ担当、いざって時の護衛担当、見届け担当。私がその他の担当。──それでいい? 店長」

「ええ、あとはよしなにしてください。廊下の三番目のドアを、近くに繋げておいたから、まちがえないように行ってらっしゃい」


 なんと、店長は既にヤスモトトモチカ氏の目星をつけていたらしい。誰かを特定すれば、店長が近くまでの道を繋げてくれる。仕事が早いのね、と七波はため息をついた。僕は戸を開けると、中の暗がりに足を踏み入れて、迷子防止にと、七波に手を差し出した。

 歩き出した僕らを見送って、店長はゆるゆると手を振ると

「出たところに、『ヤスモト玩具店』があるはずです、そこにいる男性を訪ねてください」

ゆるりと微笑んでいた。


 ──と、まあそういうわけで、僕と七波は店を送り出されたのである。


 



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