素粒子とパワースポットと右往左往

犬丸寛太

第1話素粒子とパワースポットと右往左往

 世界とは何か。大雑把で極端な問いに対し、我々は様々な答えを返すだろう。

 答えに窮し、神の名を口にするものもいるだろう。

 紀元前の昔、ある人は世界は物質に満たされていると言った。また、ある人は、世界は水に満たされていると言った。

 ある時、デモクリトスという偉大な知の巨人が居た。未だ世界が蒙昧な“教え”という天蓋に覆われる前、彼は世界を知るために、あらゆる思索を巡らせていた。

 現在の様に加速器はおろか顕微鏡すら無い時代、彼は世界を示す一つの答えを見出した。

 世界はそれ以上分割不可能な大きさの無い点。原子によって構成されている。

 時代はさらに進み、物質を構成する最小単位は素粒子ということになっている。

 私は物理学者ではないし、しがない物書きなのだから、これ以上、世界について言及する事は避けようと思う。

 前置きが長くなってしまったが、私は人間の感情というものについて深く興味を持っている。

 物質を構成するものが原子、ないし、素粒子であるとするならば、感情を構成するものは何なのか。

 四畳半のボロアパート、洗濯物越しに春の日差しが私を照らす中、私は思索に耽っていた。早い話、退屈だった。

 先刻物書きとは言ったが、生計を立てられるほどの物ではないし、さりとて、今更ネクタイを締めて満員電車に尻から無理やり入り込み、誰かに頭を下げるような日々は想像するだけで怖気が走る。

 適当に新聞等を配って、物書きでもやっていた方が私には向いている。

 いつまでも埒の開かない日々を送る私は他人から見れば社会負適合者なのだろう。それはそれで構わないがこの退屈というものだけは頂けない。

 私は今朝の朝刊でちらと見た記事を思い出していた。何やら付近の古めかしい神社が実はパワースポットだという話だ。

 一体いつからあるのかも知れぬ神社に突如噴出したパワーとは何なのか。

 まぁ、退屈しのぎにはなるだろうし、何か小説のヒントが浮かぶかもしれない。ここはひとつ騙されたと思って出かけてみよう。

 私はやおら立ち上がり着の身着のまま玄関のドアを開ける。相変わらず立て付けの悪いドアを強引に押し開け外に出ると春とはいえ少し肌寒い。やはり明日にするかと思い悩んだが部屋に戻るのもそれはそれで面倒だ。ええいままよ。歩いていればその内体も温まるだろう。

 私は路地を出て、目抜き通りをほてほてと歩く。代り映えの無い、下町のいつもの風景。

 八百屋やら、魚屋やら、刃物屋やら威勢がいい事で何より。

 しかし、ジャージにサンダルでも目立たないのは気分が楽だ。

 桜並木はぼちぼち花を散らし、白と桃色と盛り始めた葉の薄い緑が鮮やかだ。

 私は春の終りのほんの一瞬にだけ見せるこの葉桜こそが桜の最も美しい頃だと思う。

 うろ覚えの道のりを右往左往しながらやっとのことで私は目当ての神社に辿り着いた。

 神社へは長い石段が続いている。その先に小さな木製の鳥居が見える。こう言っては何だが、どうにも場末感が否めない。本当にパワーがあるのだろうか。

 一体何段あるのか知れぬ石段を私がぜいぜいと息を切らしながら登っていると後ろから若い女の声が聞こえた。

 横失礼します!と勢いの良い声と共に私と同じく、いや、パリッと糊のきいたジャージ姿の高校生が風のように私の横を石段何するものぞとばかりに駆け上がっていく。

 きりっとした柑橘系の匂いに鼻をくすぐられ私はもうひと踏ん張りと一気に石段を駆け上がった。

 鳥居の前に着いた頃にはもはや息も切れ切れ、体中から汗を噴いていた。

 私は何とか息を整え鳥居の前に立ち、一礼をする。

鳥居をくぐるとそこには木々に囲まれた境内と小さなお社が建っていた。

辺りは風が木々を揺らす音ばかりで人界の音は一切聞こえない。

昔、何かの本で読んだことがあるが、多くの神社が林に囲まれているのは、音と視界を遮り、人界と切り離す一種の結界の意味を持っているという。

気持ちよく吹く風は私の汗を取り去り、穏やかに流れる時間を深い深呼吸でもって吸い込む。心地が良い。

目を閉じ、境内の神気に浸っているとパンパンと弾ける音が静かな境内に響き渡る。

お社に目を向けると先ほどの高校生が手を合わせ深くお辞儀をしている。

二礼二拍手一礼。

若いのに大したものだとじじむさい事を考えていると、頭を上げた高校生が私に気づいたようで声をかけてきた。

「おじさん早いですね!ここの石段結構きついのに。」

 まだギリギリ二十代だと言いかけたが自分の風体を思い出してやめた。碌に整えてもいない頭髪に無精ひげ、おまけにくたびれたジャージ。

 打って変わって高校生のなんと瑞々しい事か。肩ほどで切りそろえた短髪に袖も裾もまくり上げ、見える肌は良く日に焼けている。柑橘系を思わせる匂いは香水のような甘ったるい嫌な物ではなく、まさに青春だとか、爽やかだとかそんなイメージを否応なしに思わせる。

「いつもここで特訓してるの?」

「いやぁ、特訓だなんてそんな大したものじゃないですよ。」

 彼女は少しはにかみながら答えた。

 話を聞いていると彼女は近くの高校の陸上部らしかった。

「今度大会があるんでいつもより多めに走ってます。」

「ちなみに今日はどれくらい走ったの?」

「十周くらいですね!」

 気が遠くなる。こちらは登るだけで精一杯だというのに、やはり若さだろうか。

「おじさんはここに来るの初めてですか?」

「なんか今朝新聞で取り上げられてたから興味本位でね。おかげでえらい目にあったよ。」

「えっ、もしかして不審な女が毎日目撃されるとかですか!」

「いやいや、なんかこの神社パワースポットらしいよ。」

「パワースポット!確かにここに来るといつも元気になるんですよね。」

「確かに、たどり着くまではしんどいけどいい所だね。」

「ですよね!あっ、でもパワースポットとかで取り上げられちゃうと人がたくさん来そうですね。それはなんか嫌だなぁ。神社的には良い事なんでしょうけど。」

「小さい記事だったし、大丈夫じゃないかな。それに、あの石段を見ると皆引き返して行くよ。」

「あはは!確かに!」

 彼女はニカっと笑って見せた。

「そういえばおじさん、なんの仕事してるんですか。平日休みの仕事ですか?」

 なかなかぐさりと来る。

「えーと、小説家かな。」

「えっ、凄い!私運動ばっかりであんまり小説とか読まないんです。どんな名前で書いてるんですか?読んでみたいです!」

「本名で書いてるんだけど、なかなか売れなくてね。近くの本屋には無いと思うよ。」

 実際に確認しに行った事があるから確かだ。悲しいかな現実である。

「うーん、それじゃあ、おすすめの小説とかありますか?できれば、その、恋愛小説とか・・・。」

「スポ魂とかじゃないの?」

「馬鹿にしてますね!これでも花も恥じらう乙女です!」

「ごめんごめん。今度何冊か見繕っとくよ。」

「ありがとうございます!」

「明日もここで特訓?」

「そうですね。やれることはやっておきたいので!」

「じゃあ、明日同じ時間にまた来るよ。その時また。」

「はい!現役の作家さんが選ぶ小説!楽しみです!」

「そんな大したものじゃないって。でも責任重大だな。早速選びに行くよ。」

「お願いしますね!できれば青春モノで!」

 私はその場を後にして早速書店へ向かうべく石段を下り始めた。

「おじさん、お参りしていかないんですか?」

 おっと、すっかり忘れていた。

「おじさんもうボケが始まってるんじゃないですか!うちのばあちゃんもよく買い物に行って何も買わずに帰ってくることがあるんですよ!」

「あはは・・・。」

「ボケ防止にはやっぱり運動ですよ!明日から私と一緒に走りましょう!」

 かなり、ぐさぐさと来たが、彼女の言葉も一理ある。程よい運動は脳の働きを活性化させ、集中力を上げる効果がある。

「君みたいに何十周もは無理だけどそうしようかな。」

「決まりですね!それじゃあまた明日!」

 参拝を済ませた私は今度こそ神社を後にする。石段を下り切った頃には膝が笑いを堪えきれずガクガクしていた。

 書店へ向かう途中、振り返ると彼女はまた石段を駆け上っていた。

 一方の私は必死に杖になりそうなものを探していた。

 ほうほうの体で書店に辿り着いた私は早速恋愛小説のコーナーへと向かい色々と物色してみる。

 正直な話、恋愛小説は門外漢だ。棚から取り出しては軽く内容を読んで良さそうな本を平積みしていく。

 気づくと目の前には甘酸っぱい本の塔が出来上がっている。てっぺんに檸檬でも乗せたい気分だったが流石に不審極まりない。ただでさえむさいおっさんが恋愛小説の棚に小一時間かじりついているのだ。

 私は何冊か見繕って、積み上げた本はきちんと棚に戻し書店を後にした。辺りはまもなく夕暮れだ。

 自宅へ戻った私は購入した何冊かの内一冊を試しに読んでみた。なんとまぁ、こいつはどうにも。

 昼間考えていた事を思い出す。

 感情、とりわけ青春の情動はきっとクエン酸か何かで出来ているに違いない。

 明日この本を持っていくのはやめよう。私は自分の名前が書かれた本を書棚にしまった。



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素粒子とパワースポットと右往左往 犬丸寛太 @kotaro3

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