第9話 愛着



――コン、コン。


窓の外は既に暗く、小さなランプを片手に読んでいた八枚目になる計画書から顔を上げた。

微かに聞こえた音は御者からの合図で、今夜泊る宿がある街へ入ったのだろう。王都までの旅路も残り半分、概ね平和なものだと口元を緩めた。


「リスティア様、そろそろ宿へ到着……」


どうも静かだと思っていたら、リスティア様はクッションに埋もれ寝息をたてていた。

初めの頃は警戒されていたからか頑張って起きていたが、今ではこうして直ぐに眠ってしまう。


泣き言の一つも、文句を言うこともなく、淡々とありのままを受け止める子供。それがどれほど異常なことなのか、リスティア様は理解されているのだろうか?


馬車が止まり開かれた扉からリスティア様を抱いて降りる。

クラウディスタの名で宿を予約していたからか、慌てて駆け寄って来ようとする亭主に向かって口元に指を立てた。私と私の腕の中にあるものを交互に見たあと何かを察した亭主が静かに部屋へと案内する。

自身はフードを深く被り、腕に抱いているリスティア様は上布で包み隠す。

王都ならまだしも、このような場所でリスティア様の存在を知られるわけにはいかない。


だが、全てが初めてだと頬を染めて嬉しそうな顔をされては、移動だけではなくもっと他にも何かと思うのは当然のことだろう。事前に立てた計画に沿って、人が少ない小さな街には泊るだけにして、その代わり大きな街ではフードを被って買い物などを楽しむことにしている。


宿の階段を上がり、廊下の奥にある部屋の扉を亭主が開けた。

一番上等な部屋を用意するよう言ってあったが……。


「この程度か」


王都やその近辺にある街の宿と比べても仕方がないと分かってはいても、やはり王族が休むには不十分だと眉を顰める。

案内を終えた亭主に口止め料として金貨を渡し、早朝出て行くことを告げ部屋から追い出す。扉が閉まり足音が聞こえなくなったのを確認したあと、リスティア様をそっとベッドに下ろし横たえた。


「苦労なされましたね……」


瞳を隠す為に長く伸ばされた髪は傷み、頬は日に焼け、服から覗く手足は細く骨ばっている。

尊い血を持つ方が、何故このような苦労を味わうことになったのか。


一通の手紙が王の元へ届いた日、私は現王の矛として王宮へ呼び出された。

厳重に人払いをされた王が口にした「王女を迎えに行け」という言葉に驚き、声が出なかったのは記憶に新しい。

私に向かって手紙を投げたあと口を閉ざしてしまった王に困惑しながらも、粗末な紙を開いた。


手紙の書き出しは国王陛下への挨拶だった。粗末な紙に似合わない美しい文字で、手紙を出したことを詫びる言葉と、余命が短く幼い孫を残してこの世を去ることが気掛かりだと書かれていた。

ここまでであったら王が個人的に親しくしている者とのやり取りで終わったのだが、問題はここからだった。

孫の瞳はバイオレットで、まだ幼子であるなら瞳の色を隠すのは他愛ないが、成人したらそれは難しく、外へ出なくても良い環境を与えてほしいという内容だった。


王族特有の瞳を持つ、幼い少女。


『忘れていたが、王女が一人いる。面倒なことになる前に此処へ連れて来い』


書類を捌き執務を行いながら放たれた命に何か尋ねることはなく、頭を下げたあと足早に王宮を出た。

平民が手紙を出して国王の元へ届くわけがなく、一度だけという約束でやり取りをする方法を指示していたらしい。

王の侍従からそう聞き、手紙の主が住む村へ急いで向かったのだが……。


『その婆さんなら、数日前に亡くなったよ』


小さな村に着き、王女が住む家を探す為に声を掛けた男性からそう告げられた。

手紙は数ヵ月前のもので、王都から村までは馬車を飛ばしても一月は掛かる。間に合わなかったのかと悔しく思いながら王女が住む村の外れへと駆け出した。

村から距離を取り隠れ住んでいる場所は防犯などと呼べる代物はなく、古く小さな家は拙い技術で何度も修理された跡がある。

その家の前に静かに佇み動かない少女が王女なのだと気付き、胸が苦しくなった。

とても小さな後ろ姿が家の中へ入って行くのを見守り、木に背をつけズルズルとしゃがみ込んだ。


――吐き気がする。


まだ祖母の死から立ち直ってもいない幼い子供に、今迄音沙汰のなかった父親が呼んでいると伝えるのか?

この何の援助もされず裕福とは言えない環境に捨て置かれていた子に、貴方は王女だと言えるわけがない!


『どうして、このようなことに……っ』


罪悪感と不甲斐なさで自身に嫌気がし、気付けばその場で夜を明かしていた。

だが、どのようなことがあろうと王命には逆らえない。

なるべく丁寧に、決して怯えさせないようにと、そう決意して扉を叩いたのだが。


結果は、王の使いにあるまじき……いや、騎士としてどうなのかと頭を抱えたくなるような行動と言葉しか出なかった。


あれでは警戒されて当然だと苦笑しながら、スヤスヤ眠るリスティア様から離れ、扉の前に置いた椅子に座る。


「イシュラ王とリスティア様は、とても良く似ておられます」


バイオレットの瞳と目が合った瞬間、本物の色に鮮烈に惹き付けられ目が離せなかった。生まれながらの王族のような威厳を備えた少女が、父親など必要ないとハッキリ口にしたときの苛烈な眼差しに、平伏したくなるほど心が震えた。


まだ年端もいかない子供相手にだ……。


王政国家であるフィランデル国の王には血筋だけではなく、才能、実力、能力、体力、経験など、様々なものが求められる。

しかもそれらに加え、絶対的忠誠を誓う王の矛と盾、現国王が認めた者だけが次期王候補に指名され、その者に何か起きない限りは絶対に覆らない。

王位継承権を持つ国王の子達はそれぞれが未熟だと判断され、まだ誰も次期王候補に指名されてはいない。

だから王宮へ留まるのであれば、彼女も次期王候補となる資格を得る。

長い旅路で疲れが抜けないのか、深い眠りの中にいるまだ幼い少女。


「……はぁ」


小さな王女を無防備な状態で放って置くことはできず、一度王宮へ戻り、急ぎ王へ報告に上がった。


『此処にいる者達は、皆聞いておけ』


前回とは違い人払いをせずそう告げた国王陛下。

王の執務室で共に政務を行う側近達、護衛騎士、侍従長は顔を上げ、突然やって来た私に顔を向けた。

王から目線でさっさと報告しろと促され、覚悟を決め、先ずは王女が存在していたことを報告し、その王女に追い返されたことを口にした。


『……どういうことだ?』


仕事優先でどのような報告であっても片手間に聞く王が、リスティア様のことだけは動きを止め真剣に聞いている。その姿に側近達が密かに驚きを見せるなか、椅子の背凭れに身体を預けた王がふっ……と声を零した。


『この国の王女だと告げたのか?』

『はい』

『この私が、王宮へ呼んでいると伝えたのか?』

『はい』


肯定の返事をすると、どこか唖然とした王が片手で顔を覆う。

驚かれるのも無理はないが、まだ報告は終わっていない。リスティア様から伝えろと言われた言葉をそっくりそのまま続けて口にした。


『いない者……必要ないだと?』


喜ぶどころか、地位も権力もあるこの国の王に期待などしていない。

誰が聞いてもそう取れる言葉に、王だけではなく執務室にいる面々が驚きを隠せずにいた。


『くっ、はっ、ははははは!何だ、そいつは。王女の地位など必要ないだと?』


王位を継いでから数十年間。ずっと無表情だった王が声を上げて笑ったことに目を疑い、同時に嫌な予感がした。


『リオルガ。絶対にその子を連れ帰れ』


リスティア様の意思など関係ない。イシュラ王がそう命じれば従うまでだ。

王位継承権を持つ王子達、王妃と側室。彼等や彼女達が家族のように接している王女と同じ年齢の男爵令嬢がいるこの王宮で、決して歓迎されないであろう少女の姿を思い浮かべキツク目を閉じる。

できたら、王都から遠く離れたあの村で、彼女が第二の家族だと頬を染めて話していた者達の側で静かに過ごさせてあげたい。


王女であろうと、リスティアという平民の少女であろうと、そのどちらにも着いていきたいと思う自分に酷く眩暈がした。


『駄々を捏ねるようであれば、首に縄を付けてでも引っ張って来い』


王が発した言葉は侍従長が眉を顰めるほど酷いものだったが、その声音は優しくとても楽しげだった。




「この国の王女は、リスティア様ただお一人だけです」


あの王を笑わせ絶対にと口にさせたのだから、リスティア様が傷つくようなことは王が許さないだろうという妙な確信がある。


室内の小さな灯り消し、どうか良い夢をと囁いた。


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