部下と上司 #2

 昼時を過ぎ、人通りも少なめになるそんな時間。

 それでもやはり交通量の多い大通りを乗り越えて、事務所のある建物へ歩く。

 1つ通りがズレてるから表通りのような賑やかさは半減するが、それでも建物の前の道は割合明るくて広い。

 出店のおばさんに会釈しながら階段をのぼる。

 元々は非常口として作られた建物横の階段は、事実上うちの部署への直通路として利用されている。その2階のドアを開いて入れば、そこはもう事務所の中だ。

 3階建ての2階部分全てが、国土整備室の統括事務所となる。

 本当に完全にぶち抜きの状態で、正面入り口から2階へ上がってきてもドアすらない。元は何かの集会所として使われてたと聞く。一応通路と事務所を分ける程度に受付台は置いてあるが、それ以外に仕切るものはほぼ皆無だ。よく言えば風通しのいい事務所といえる。人数分の机と戸棚が2つあって一目でそれらが見渡せる。訪問客があれば対応は即可能だ。

 と、言えば聞こえはいいが。

 実態は、狭くて雑然とした、立派な部署名には恥ずかしい小汚い部屋である。

 今もドアを開ければ部屋の中は埃っぽく、置き場所もなく積み上げられた資料が傾いて崩れそうな机もあった。

 「おかえりなさい室長」

 そんな書類の山の向こうから声がする。

 普通にびっくりした。

 部下その1の声だ。

 「そ、そっちこそ帰ってたのか」

 事情があってここのところ皆出はらっていて、室内に人がいると思ってなかったから本気で驚いた。

 「びっくりしました?」

 「したよ。予定は明日だったろ」

 「室長だけじゃ不安でしょうがなくて急ぎました」

 「失敬だな」

 軽口を叩く部下を適当にあしらって、部屋と同様に雑然とした仕事机にたどり着く。そこに至るまでの道は狭いが、一応一番偉そうな場所に偉そうな机を置かせてもらっている。

 机上に「室長」とか書いた札も置いた。

 場合によっては肩書が大事なこともあるものだからな。

 その机の背後は壁で、一面に大きめの地図を貼っていた。

 机に寄りかかり、それを眺める。これは日課だ。

 地図はこの国をあらわしたもので、横幅は両腕を広げたより少し大きい。なのでこの距離で見ると視界に全てを一度にいれるのは難しい。一目で全体を見たいなら、もう2歩ほど後ろから見る方が多分いい。

 でも、これ以上机を下げられないから、どうしようもない。

 その程度に、この部屋は狭いということだ。

 戸棚も結局2つしかないわけだし、書類は片付かないし、未処理のものは箱に雑にいれて山積みだ。そのせいで狭い部屋は更に狭いし、他の部署と違って機能的な動線を確保するのは難しい。

 そもそもいつもこの雑然とした部屋を整理しまくっている凄腕の職員が10日以上いないからこんなことになっているのだが────まあそれはいいとして。

 いや良くないんだけど。

 多分そいつが戻ってきたら怒られるし。

 でもなんにしたって自分にはどうしようもないことだ。

 自分の机を整頓する暇もないのに他に気を回せない。

 単純に人は足りない。だから数に合わせて狭い事務所になってるわけだが、にしたってここは狭くて、他の役所と比べればただの倉庫のようだ。そんな状態なのに仕事は多い。だから人が足りなくなる。悪循環だ。唯一マシなのは日当たりと言いたいところだが、結局西日がきつすぎて、その光を受けるこのでかい地図はいい加減日焼けして色褪せ始めている。

 色褪せていく地図。

 色褪せすぎて使い物にならなくなる前に、目標を達成したい。

 せめてそのくらいのことはしたかった。

 だから。

 ちゃんとそれは果たせているか。

 日々、何かが進んでいるか。

 目標に限りなく近づいてるはずだと確認するために、ここに立つことをやめられない。

 「ピンは増えましたか」

 書類を1枚丸めながら、部下その1がお決まりの質問をする。

 「いや、全然」

 だからこちらもお決まりの回答を返す。

 「先は遠いっすね」

 「まあ、地道に行くさ」

 結局何も進んでなくて、部下に哀れまれるのが様式美になってしまっているとしても。


 国土整備室の最たる目標は、道を作ることだ。

 それはこの部署を作るときに決めた。国の最高機関ともいえる王からのお墨付きだ。

 最初は王都近郊から始め、中央から地方へ徐々に進めていこうとしていた。しかしそれでは遅々として進まないことを思い知った。そりゃ国土の広さを考えたら当然の結果だ。そしてそんな速度では僕が死ぬまでに理想を完遂することは不可能だ。

 なので、数年前に決断し、地方のあちこちに整備室の出張所を設けることにした。

 せめて東西南北で4か所、許されるなら各貴族の領地に一つ、出張所を作ってそこを道の始点とし工事を進めていけば、今よりもっと早く理想に近づく。

 最初にそういう発想に至らなかったのは、戦後の混乱とか資金の不足とか貴族の領地経営とか、まあ、しがらみが多いせいでその辺りに踏み込むのが面倒だった、というのが大きい。中央から少しずつ進めていけば、次はお前らの番だと納得させられそうだが、急に領地に入り込んで道を作りますとか言われたら警戒も半端ないだろう。

 決断して、各所との調整に数年。

 議会で話し合い、貴族のお茶会に入り込んで懐柔し、したくもない会話を重ねて内々での約束は取り付けた。ちなみに王様は僕の言うことに基本逆らったりはしない。

 上で話がつけば、今度は下だ。

 工事をするには人手がいる。もちろん整備室で調整はするが、現地での求人は避けられない。賃金を出すにしてもそれは単純に労働力の搾取だし、そもそも、地方には貴族も含め中央をよく思っていない人は多い。と、部下から聞いている。

 まあ、戦争前後のことを思えば当然だろう。僕もあれはないと思う。

 故に大々的に実地調査をすることにしたのだ。

 部下に各地方に飛んでもらい、聞き取りをする。

 反感の少なさそうなところから出張所を設け工事を始める。

 そうすれば噂も広まり、綺麗な道の魅力が伝わり、反感も減って出張所の存在と工事の正当性を認めてもらえる。認められれば協力を得られ、工事は捗る。捗れば理想に近づき、生きてるうちに僕の望みは叶うだろう。

 万々歳じゃないか。

 部下その1は、そんな任務から戻ってきたばかりということだ。

 日課を終え席に着く。

 部下が書類と格闘する姿がここからならよく見えた。

 「北方面の担当だったっけ」

 「そうですね。国境まで行きましたよ」

 書類から顔も上げず部下は答える。多分僕は馬鹿にされている。まあいいけど。

 「感触としては?」

 「可もなく不可もなく、ですかね。北はそんなに戦争とは関係なかったし、派閥は穏健派だから、国が責任もって整備するなら構わない、が主流でした」

 「なるほど」

 「まあ報告書にも上げますけど────」

 そこで言葉を切って、部下は顔を上げた。

 険しい顔で僕を見る。

 「難しいのは南じゃないですか?」

 「東じゃなくて?」

 「東は国に負い目がありますから」

 「まあ…そうか」

 敵国を引き込んだ領主は、国が完敗しなかったせいで立場が絶妙に微妙なことになった。証拠不十分で恩赦したことで逆に戦々恐々としてるかもしれない。

 「南は普通に排他的なんですよね」

 完全に書類に見切りをつけたのか、部下は体自体を僕へ向けて足を組み、長話に入る態勢だ。というか、それ、上司と会話する際の態勢なのか?…まあいいけど。

 「自分は北よりの町出身なんで、よくなるならすればいい、くらいのものです。でも南は────知り合いの商人も南との交易は苦労すると言いますし」

 「国内で交易って」

 「いや、ちょっと前なら本当に交易ですよ。領主は空気で住民は排他的で、入り込むには骨が折れるとよく聞きます」

 「でもそんな排他的で生活成り立つのか?」

 「南は長年自給自足でやってた地方ですよ」

 「今は」

 「基本は変わりません。でも南出身の商人が王都に店だすくらいですから、少しはマシになってるとは思いますけど」

 長年の風土はどうにもならないですよ。と、部下は言う。

 あと、室長のくせに情勢疎すぎ、とまた言われた。

 貴族との交渉ばっかしてんだからしょうがないじゃないか。

 いや、上の調整しか考えてなかったツケなのか、これが。

 「だから────」

 ペンを弄びつつ、部下はつぶやく。ぐるりと部屋を見まわして。

 「新人の初めての大仕事としては、今回の件は荷が重かったんじゃないですか?」

 今回、南へ調査に行ったのは、あの友人に似ている、掃除の得意な、ものすごく優秀なあの子だ。本人が名乗り出たのもあるが、出身が南だから任せたというのが単純な理由。たまには里帰りさせたいという気持ちもあった。

 だが、そう言われると、無茶だったのかと心配になるな。

 「まあ、南に役人志望の子がいるってところで、もうそんな排他的なこともないかもしれないですけどね」

 落ち込みかけた僕を擁護するかのように部下は言い、そして、不意に後ろへ振り返った。

 僕もその方向を見る。

 僕からなら正面の位置に受付があり、その奥に階段が見える。

 階下から聞いたことある声が聞こえた。すれ違う誰かに挨拶しているような、明るい女の子の声だ。

 「噂をすれば」

 部下は次の書類に向き直った。

 「室長のお気に入りが帰ってきましたよ」

 「部下はみんな僕のお気に入りだ」

 「認識のズレがすごい」

 言ってるうちに軽快な足音が階段を上ってくる。

 受付の向こうに久しぶりに姿を見せた新人は、両肩に荷物を下げた格好で笑顔を見せた。

 「おかえり」

 彼女の挨拶より前に部下が声をかける。

 「ただいまかえりました」

 それに答え、ルシアナはぺこりと頭を下げた。

 

 ────懐かしい。

 そんなどうでもいい所作でも、僕は友人を思い出す。

 「お疲れ様」

 誰も知らない多くの思いを乗せて声をかける。

 そのいくらかは、彼女の向こうの彼に対して。

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師匠と弟子 桜小路トム @stom

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