過去 #1

 国を建てなおしたいと思ったのだ。


 もう、20年は前になるのか。

 長く続いた先王の統治は歪みが出ていて、そもそも国内は上手くいっていなかった。

 お決まりに賄賂が横行し、中央の貴族は腐敗して外を見ず、地方の貴族は中央を見なくなっていた。首都は一見栄えていたし、城の中は栄華を誇っていたけれど、実際はいつ崩壊してもおかしくないぎりぎりの内政だった。

 そんな時に、国境で小競り合いがあり、あっという間に戦争へ突入した。

 これまでにだって小競り合いくらいはあった。喧嘩を吹っ掛けられて、それをいなして、なし崩しに平常へ戻る。国境警備の人間からはよく聞く話だった。だからいつものやつだと皆が思った。まあ、よく聞く程度に繰り返されているなら、それは自国がなめられてるってことなのかもしれないが────そもそもこの国は大陸の西の端にある、割と大きめの王国だ。真っ当に統治するなら肥沃な土地と海が国を豊かにしてくれる。翻って相手は東に隣接する小国で、開戦当初は国力差から早々にケリがつくと思われていた。

 しかし相手はそうではなかった。

 恐らく周到な準備と根回しをしてそこに至った。

 重ねた小競り合いもその一端だったかもしれない。

 予想に反して国境を越えられ、防衛線はどんどん内部へ下がっていった。他国は中立を保ち、国境沿いの地方貴族の一部が早々に旗色を変えた。無論、敵ができることでその他国内の大部分の意思統一はできたけれど、そうやって国全体がまとまったときにはいろいろと手遅れだった。結局軍隊が上手く機能せず、敵国を王都の近郊まで侵入させてしまう。

 終わったと誰もが思った。

 僕もその一人だ。

 あの時は本当に覚悟を決めた。

 それでも王国が負けなかったのには3つ理由がある。

 1つは立地だ。

 王都は西に海、南北には険しい山、開かれた道は東の平野に通じるものしかない。王都はそういう、攻めにくそうな立地を選んで発展してきた。大まかに言えば海を背にした谷間に作られた町ということになるのだろう。

 そんな天然の要害が、すんでのところで王都陥落を免れさせた。

 1つは敵国の補給線の長さだ。

 王国は広い。敵は王都へ真っ直ぐ進み、短期決戦を目論んでいたのだろう。面で侵略したわけではなく、補給線の維持は尚更必須だ。その維持がぎりぎりもたなかったことがこちらに有利に働いた。

 そして最後の1つ。

 国の危機に現れた英雄の存在だ。

 まあ、英雄と思っているのは多分、この世界で2人だけだろうが。

 そもそもそいつは強くない。だから別に戦いに打って出たわけじゃない。一人で無双して敵将の首でも取ったというなら本当に英雄だ。でも、あの男にそんなことができるわけがなく、当人はまあまあ賢くて魔術をかじっただけの、気の弱い他人が苦手な青年だった。

 存在感のない、地味で、だらしない男だった。

 貧乏な下級貴族の三男とか微妙な立ち位置で、かろうじて手に入れた王宮図書館の司書だか手伝いだかの職で日々を暮らしていると聞いた。

 そいつが第二王子とたまたま知り合い、王子と知り合いだった僕と知り合い、図書館の隅で友情を育んだ。そんなことができたのは、その3人ともが誰にも将来を期待されない立ち位置で、ただただやることもなく暇だったからだ。

 多くの話をした。

 基本的には雑談だ。

 そんな3人が悪化していく戦況に危機感をつのらせたとき、とうとう、薄暗い書架の狭間で未来へつながる重大なことを決めた。

 今の王はもう駄目だ。

 クーデターを起こそう。

 それは割とあっさり出た言葉だ。

 最初は冗談混じりに。でも誰も冗談とは思ってはいなかった。王都から敵軍が見えてくればやるしかないと思わざるを得ない。

 王子が決断し、あの男が計画を立て、僕が根回しをした。

 外を見てない王様。国は戦争で混乱している。未来を憂う者は多く、僕らへの味方は少なくなかった。当然駆け引きもしたし、貴族への対応は面倒だったが、夢見たことは確実に実現していった。

 振り返れば、若さと勢いで始めたことが自分でも驚くほど上手く進んでいったのは、不思議を超えて少し気持ち悪くも思う。渦中にいた当時は気にならなかったが、考えるほどにできすぎていた。

 まあ、理由はわかっている。

 要はあの男の計画が完璧だったのだ。

 あいつは本当にすごい奴だった。

 多分、すごかったんだ。

 だからあいつは英雄だ。

 クーデターは成功し、王と第一王子は幽閉された。第二王子が王の代理として軍を掌握し、王都目前の敵軍を追い返した。作戦はあいつがたてた。勝たなくてもいい、負けなければいいのだと言って。

 かろうじて引き分けに持ち込んで、両国での話し合いが始まり、王国としては損も得もないところで妥結した。その進行案の骨子を作ったのもあいつだったらしい。有利に進められると信じてた敵国としては狐につままれた気分だったに違いない。

 そうして、王国はあらゆる意味での再建の道を歩き始めた。

 第二王子は新王となった。

 夢ばかり見てた若者は実権を握り戦後処理を経て現実を見るに至り、それでも挫けず夢を諦めることはなかった。図書館で暇を持て余しながら語っていた夢を一つずつ叶えようと今も努力している。

 幽閉していた王や側近の貴族たちは、殺されはしなかったが監視はつけられて飼い殺しにされている。憂いを絶つために厳しい対応をした方が良かったのだろうが、さすがにそこまでの度胸が僕らにはなかった。

 そして僕は閑職に回された。

 いや、望んでそうした。

 それが僕のしたかったことだからだ。

 今も元王子とは交流があるし、きっと望めばその側で働くこともできるのだろう。一応その程度の身分はある。それでも今のままがお互いに有益だとお互いに知っている。僕は使われる側が性に合ってるし、そもそも、僕は────国を建てなおしたかっただけなのだ。

 国は建てなおせた。

 だからこれでいい。

 問題は────この国の英雄だった。

 戦争末期に影で暗躍した男は、そんな活躍を誰にも知られることなく、その後、徐々に病んでいった。

 心が。

 国の平穏と引き換えに、国の膿を吸いつくして衰弱していくようだったと、後で聞いた。

 実際はそんな文学的なことではもちろんない。

 クーデターから戦後処理まで、その重圧はあった。あらゆる意味で疲れただろう。しかしそれより彼を苛んだのは、多分、周りの嫉妬だ。ものすごく単純な構図だ。出自のよくわからないものが重用されれば既得権者はおもしろくない。そんなどうでもいい話だ。

 大方落ち着いた頃、僕は気楽に早々に閑職へ異動していた。

 新王は彼を側近へ取り立てようとした。当然だ。あいつはすごいのだから。

 しかし彼にはその程度の身分がそもそもなかった。活躍が影過ぎて彼のすごさを知る者が少なかった。知っていたとして、快くそれを祝福できる空気が王宮内にはなかった。彼と王は徐々に切り離されていった。程度の低いいじめが横行したはずだ。彼の味方はいなかった。そして、そんな状況をあしらえる器量が、あいつにはなかった。

 彼も結局、すごくも完璧でもなかったということだ。

 そんなもの無視すればよかった。

 大きな後ろ盾に胡坐をかいていればよかった。

 というか、僕や王に助けを求めればよかったんだ。

 しかし彼にそれはできない。そういうやつで、そうなると予想でき、そうできないと知っていたくせに、僕は一仕事終えた清々しい気分で彼を一人見捨ててしまった。

 目立たなくとも、あいつは王子の横で語った夢の通りに仕事をしてると、僕は信じて疑っていなかった。

 顛末を知ったのは彼を見捨てて1年ほどたってからだ。

 具体的に何があったかは知らない。友人として王様から書簡を受け取り、彼が病んでいると知っただけだ。

 自分は動けないから様子を見て欲しいという文言に、僕は速攻でかけつけて部屋のドアを蹴破りその有様を見た。そして、何も言えず立ち尽くした。

 今でもはっきりと覚えている。

 真っ暗な部屋に開いたドアからの光だけが差す。廃墟のように荒れた部屋だった。何よりも大事にしている書籍すら乱雑に放り投げられ、寝台の横にうずくまった彼は部屋のゴミの一つにしか見えなかった。夢を語っていた頃だってだらしないやつだったが、それは生きた人間の範疇でそうだというだけだ。その時目の前にあったものはそんな可愛げのあるものではなかったし、そもそも生きてる人間には到底見えなかった。

 終わったと思った。

 それは、王都を敵軍が包囲するより遥かに、絶望的な気持ちだった。

 僕らの友誼は終わった。彼の将来は終わった。いやそういうことじゃない。このままでは彼の人生そのものが終わってしまう。

 せめてそれは回避しなければ。

 彼が国を救ったように、僕らが彼を救わなければ。

 使命感に支配されながら駆け寄って、抜け殻に近いそれに話しかけた。僕から逃げようとかすかに身動ぎする体をつかんで、ここに繋ぎ止めようと必死だった。返事はなくとも話は聞いてる、そう信じて。

 抜けた魂がいくらか戻ってきたような顔色になって、話す相手が友人だと認識してくれて、力の抜けた彼に向かって自然とその言葉が口から洩れた。

 「ここから逃げろ」

 「必要なものは揃える」

 「王都から離れて全部忘れろ」

 一方的な提案に、彼は何か答えたのだったか。

 ともかく彼はそれを呑んだ。その提案は間違ってなかったと、今でも思う。

 準備の間は僕の自宅に匿った。王には当たり障りない手紙を返した。ヤツには会う機会もあるだろうから話はその時でいい。書面に残して話がもれることの方が怖かった。

 何とか連れ帰った彼の方は、完全な対人恐怖を発症していて、匿っている間は部屋の隅に縮こまって一言もしゃべらなかった。

 詳しく聞く気はなかったし、それでいいと思った。

 ともかく急いで田舎に家を用意し、とある早朝、そこまでの路銀と最低限の荷物を持たせて自宅を出た。

 なるべく早く、誰にも知られず、こいつを王都から引き離す。

 それだけを考えていた。

 ここにいては、僕らは多分彼を守れない。

 その朝、その道程は、本当に正しい選択だったのだろうか。

 町の外れまで、ついて歩きながら何度も言った。

 ついていきたいが無理だった、一緒にいてはやれない、ここを離れられない、助けると言って何もできなくてすまない、でもおまえに生きて欲しいのは本当だから────そう、何度も。

 そのうちに中央では綺麗に舗装されていた道がいつのまにか途切れてなくなり、広い農地と土がむき出しのでこぼこ道が眼前に広がっていた。

 不意に彼が立ち止まり、遅れて僕も立ち止まる。

 振り返り名を呼びかけたが返事はなく、日の出までまだ時間のある少し暗い中で表情の見えない相手をただ見つめた。

 その視線に目を合わせてくれることは終ぞなく、彼は下を向いたまま小さくつぶやいた。

 「ありがとう」

 1年ぶりのその声を、あの時どんな気持ちで僕は聞いたのだったか。

 か細く力のない声に心臓をしめつけられた。申し訳なさでこちらが死にそうだった。会話ができるなら言いたいことは多くあったのに、その全てが霧散してしまった。

 「・・・・・・いや、いいんだ。元気でな」

 「逃げてごめん」

 「その気になったら戻ってきてくれればいい」

 「────ほんとに、」

 「いいから。生きて、また会おうな」

 平和になってから言う台詞じゃないなと独白し、それにつられて彼が小さく笑い、ああこいつは生きてるとやっと実感して、そこで初めて気持ちに整理がつけられた。

 「林が見えるな」

 指さす方向には小さな林があり、そこに馬の影が落ちている。

 「馬を用意してる。ちゃんと乗り手はいるから、お前はついていくだけでいい。そいつが新居へ案内する。とりあえず落ち着くまででもそこで過ごせ」

 行け、と背中を押した。

 「会いに行くから」

 彼はつんのめるように一歩目を踏み出し、よろけながら数歩進み、そのまま振り返ることなく真っ直ぐに林の方角へ歩いて行った。

 しばらくして林から二人を乗せた馬が出て行く。その姿が見えなくなるまで見送った。


 それから彼には会っていない。

 用意した家は使われなかった。

 道中、立ち寄った町で案内人はあいつを見失い、そのまま、行方は杳として知れない。

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