師匠と弟子・3
俺は、あの男が、嫌いだ。
数日前に雪が降った後、晴天が続き季節が逆戻りしたような日が続いた。随分暖かくすごしやすかったがそれも結局昨日までで、今朝は凍える寒さが戻ってきていた。
────今日の当番は俺か。
朝起きて、思ったことはそれだった。
本当なら件の雪の日が当番日だったが、その日はルシアナに代わってもらっていた。代わってもらって良かったと思う。雪の日にあの踏み分け道を行くのはつらい。
それでもいつか当番は回ってくるし、そうなれば行くより他にない。それが今日だというだけのこと。
気合を入れて布団から出る。
しかし、凍みる寒さに速攻で心が折れた。
ほぼ自営業で時間の融通がきく職についててよかった。こんなどうでもいい時にしか役に立たない利点だけれど。
面倒なことはとっとと済ませようと思っていたが、早朝からの訪問はやめて昼過ぎに家を出ることにした。
どうせ朝行ったって、あの男は寝ているだけだ。
森の真ん中にぽっかりと開いた空間に、そのぼろい小屋はある。
「師匠」
そいつはその小屋の横に作られた畑の真ん中に立っていた。
中途半端に長めの髪が冷たい風に揺れている。痩せぎすの体に雑にはおった上着の裾はほつれていた。相変わらずだらしないヤツだ。
「ああ、おはよう」
「もう昼ですよ。何言ってんすか」
特にこちらから話すべきことはない。
一応は声をかけた。主は放っておいて、あとは作業に徹しよう。
畑の前を素通りし、小屋の戸を開ける。ルシアナの後だから中が整理されていることには驚かない。いや、逆に・・・この状態を数日維持できてることが驚きなのか?
部屋中央のテーブルには、今回のノルマが置いてあった。
ここの主が村の医者から注文を受け、作成された薬の数々だ。
無駄なものが全て片付けられてるおかげで、目的のものを見つけやすくて助かった。
小さく燃える暖炉にあたりながらそれを眺めた。
そう言えばルシアナが引くほど感動しながらあれの偉大さを語っていたっけ。これが噂の軽量化がどうとかってやつか。
確かにこれらがこんな僻地で手に入るのはすごいことで、そこのところだけ切り取ればあの男には感謝しかない。それは認める。師匠はすごい。でも結局あいつはこれで金を稼いでるわけだし、ちやほやする意味もこうやって世話を焼く必要もあるようには思えない。単純に薬を作り金を受け取る、等価交換ってやつをしてるだけだろう。
等価交換・・・。
まあ、等価というには、安値ではあるか。
この当番がただの配達業で、本来の価格の差額分で働いてると思えば────いや、俺に明確な報酬はないのだからやはりこれは働き損だ。
「・・・まあいい」
不満はあるが納得して始めたことだ。
仕事と思えば諦められる。
持ってきた荷物をテーブルの上にだし、代わりに置かれていたものを袋に詰め込む。
袋の底にあった注文メモを目立つところに置き、重しをしてなくさないよう注意する。確かに小奇麗になってるとはいえ、この小屋でこんな紙切れ、すぐに所在不明になってしまう。
一応周囲を見回し、とりこぼしがないか確認した。
ここの主はどうでもいいが、村の人が困るのは忍びない。
そうして小屋の中を改めて見ると、驚異的なまでに整理と掃除がされていることがわかる。
ルシアナの能力の高さは相変わらず────いや、磨きがかかっているのではないか?そりゃ村で神童と言われたのも頷ける。あの部屋をここまで回復させるのは神くらいにしかできねえよ。
整理された本棚。
整然と並んだ背表紙。
その文字を追う。
綺麗に分類分けしたのはルシアナだろうか。
きちんと並べばこんなに壮観な景色になるのか。
学術書、魔術書、どこかの国の童話────物量はもちろん、並んだ分野の広さも計り知れない。
・・・・これは、村に────そうだ、村にこそ必要な、ものだ。
この本を。
この知識を。
盗みたくて、いや実際盗もうとして、俺は────。
「ザンデル?」
名を呼ばれた。
あからさまにびくついて、伸ばしかけた手を抑えた。
振り返った先には半開きの戸から顔を出す師匠がいる。
「・・・・なんすか、師匠」
声が上擦らないよう、平静を心掛けて返事した。
俺の行動は不審だったろうか。焦っているのがバレていないか。いや、勘のいいこいつは多分もう全てを悟ってる。でなければこんなバツの悪そうな顔はしていない。なのに、全てを理解した上でこいつは、
「いや、荷物、わかるかなと思って」
────何も、言わないのだ。
いつもそうだ。
いつだってそうだ。
あの日も今もどんなときも、こいつは何もかも知ったような顔で俺を見透かし見下して、絶対的優位な場所から憐れむように蔑むんだ。
俺はこいつが嫌いだ。
理由は言葉にできない。生理的嫌悪に近い。俺の昏いところを抉ってくるその目が、その丸いメガネすら、とにかく癇に障る。
そもそもこいつは怪しい。
何者なのか知ってるヤツが一人もいないんだぞ。
疑うべきことは山ほどあるじゃないか。
それでも。
「わかりますよ。ルシアナのおかげで」
────袂を分かつことはできない。
作り笑いを顔に張りつけて、いつものように取り繕う。
こいつが何も言わないのなら、俺も何も言わない。
こいつは村の役に立つ。俺の役にも立ってる。今はまだここに必要な人間だ。
エリアスはこいつに盲目過ぎる。ルシアナは村から出て行った。他の知りうる限りの弟子たちもこいつを頭から信用して疑わない。
俺は違う。絶対に信用しない。何もない、出来損ないの弟子の振りをして、こいつから全てを盗んで奪って吸い尽くしたら────正体を暴いて追い出してやる。
「テーブルの上ので全部ですよね。配達分を代わりに置いといたんで、後は適当にやってください」
「ありがとう」
「じゃあ俺は帰ります」
荷物を抱えドアの方へ────そいつが立ってる方へ歩く。
「ああ、うん。その、ルシアナは」
「戻る前の日に寄るって言ってましたけど?」
「そうか・・・ザンデルは仕事の話は聞いてるのか?」
「ルシアナのですか?」
何か言ってただろうか。
休みという割に忙しそうにはしてたが、詳しくは聞いてない。そもそもこっちは休暇ではないし、そんなにゆっくり時間を取って会ってはいないから話す暇もなかった。というか、師匠の偉大さを延々聞かされてたら時間がなくなったんだ。あれは多分会話じゃない。
素直に事情を伝えると、少し残念そうに頷いて師匠は道をあけた。ちらりと見たその顔は、迷うように視線をあちこちに飛ばしている。
何か言いたいことでもあるのか。
他の誰かなら気を回して水を向けてやるのだろうが、俺にそんな義理はない。
「失礼します」
気付かなかったことにして外に出て、そのままそいつの前を素通りし森を目指す。今から踏み分け道を歩いて村まで帰り、荷物を配達した後に残していた今日の仕事を終わらせなければならない。こんなのにかかずらってられるか。
なのに。
「ザンデル」
名を呼ばれ、立ち止まるしかなかった。
振り返ると困ったような笑みを浮かべた師匠が畑を指差していた。
「少し話していかないか」
「・・・───いや、」
「頼むよ」
言って、相手は頭を下げる。
跳ねのけづらい空気に閉口した。
仕方ない。当番を引き受けたツケだ。
「・・・・・・じゃあ、少しだけっすよ」
荷物をドア横に置き、畑の方へ歩いていくその背を追った。
────その背の光景には、ひどい既視感がある。
いつか見た背中。いつなのか思い出せない過去に。
それは、畏怖の混ざった、あまりよくない記憶な気がする。いや、俺は長いことここに通い、長いことこの背を追っていたのだから、こんな光景は茶飯事のはずで。
だから、当然だ。
そう、これは普通の、思い出の光景だ。
頭を数回振って妙な感覚を払う。
顔を上げると、師匠は既に来た時と同じように畑の真ん中に立っていて、メガネ越しに俺を見ていた。
「畑を見て行って欲しいんだよね」
楽しそうな物言いだった。
ルシアナの件ではないことに拍子抜けした。そんなに重要な話でもなかったのか?
「珍しい苗でも?」
「いや、よくあるやつ」
「冬植えの薬草ってありましたっけ」
「あるよ。でも今年はちょっと実験も兼ねてて」
耕かされた畑の畝には既に苗が植えられていた。冬植えでは育たない種類のものが多い。
「また雪が降ったら枯れますよ、こんなの」
「そこを改良してみたんだ」
水を差してやろうとした言葉に、より一層楽しそうに返されてしまう。
やたら自慢気でもあった。
・・・自慢したかったのか?これを。
珍しいな。
「通年で収穫できれば便利だし、そうできればザンデルには経過を見ていて欲しかったから」
「はあ────まあ、ありがとうございます」
木箱が転がっていたのでそれに腰掛け畑を見回した。
師匠は機嫌よさげにずっと品種改良の流れを語っている。
半分何言ってるのかわからなかったが、半分はなんとなくわかるので、接待感覚で合いの手を入れていたらどんどん饒舌になっていった。
本当に、珍しい。
エリアスに話せばもっと────いや、あいつはこういうの専門外だから、話が弾むことはないな。俺相手だから呼び止めたんだろう。当番に入ってるので畑に一番詳しいのは俺だ。
視線を落とし、小さく息を吐く。
こういう話を聞いてると痛感する。
俺はまだなにも成せてなくて、だからこいつを追い出すことはできないことを。
師匠の話は思ったより長く、話の切れ間を見つけて無理矢理切り上げさせた。
どんだけ自慢したかったんだ。
何を植えてどう改良したいのかは聞いてやったし、こっちもそれなりに意見はしたし、師匠も満足しただろう。この件についてはレポートまとめて見せるから、と異様に嬉しそうに告げるからそのうち嫌でもこの技術は盗める。
事程左様に、あの男は便利だ。
役に立つから面倒はみる。
でも、大嫌いだ。
あの男がいつからどうして何故ここを選んで住み着いたのか誰も知らない。昔、村の大人に聞いて回った時も、誰一人出自を知らなかった。村一番の年寄りですらだ。その時は名前も年齢も何もかもわからなかった。そんな奴が、森の中に不自然にできたような空き地にいて、こそこそ隠れ住んで森からほとんど出てこない状況が普通と言えるか?
それを不自然と思わない皆がおかしくはないか?
全てが怪しいし、存在があやふやで、気持ち悪い。
そう考えていくと、弟子の数を絞って一分野にしか特化しない教え方してるのも怪しく思えてくる。
正確には、一分野に1人だ。
地学だけ、建築だけ、簡単な魔術だけ、算術だけ、俺は農工業を叩き込まれた。いや結局は、鍛冶や、そういう工作系を主にやった。ルシアナだけは優秀過ぎて学問一般を全て習得したが、それでもそれは役人になるための知識であって、多分他の弟子が学んだことはよく知らないんじゃないだろうか。
他にもいろいろ、怪しいことは多かった。
それは絶対そうなのにやはり誰も疑ったりしないから、俺だけが不信感を募らせていっている。
でも。
なにより。
一番に怪しいのは。
それが嫌悪の理由ではないと、確信できる自分だ。
何か別の理由があるのに、生理的嫌悪を催すほどの何かがあったはずなのに、何一つ思い出せない。言葉にできない。
それが一番、不審だ。
当番分の荷物を抱えて森を抜ける。
一切振り返ることなく早足で帰路についた。
師匠にあった日は、必ず昏い気分になる。
森には化け物がいる。俺はそれを知りながら、「役に立つから」なんて言い訳を重ねるだけで何もしてない。
来たるべきその日なんて待たずとも、俺が思うことが正しいなら、あの男を一分一秒だってここにとどまらせてはいけないのに。
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