師匠と弟子・2 #2

 「ひどくないですか?」

 「いやもう、それはほんとに、申し訳ないです」

 「反省してないですよね?」

 「してる、してます」

 かちゃかちゃとスープをかき混ぜながら師匠はしきりに頭を下げ、こちらには目を向けない。

 これは初対面で、知らない人に会った時にする態度だ。

 確かに数年ぶりの再会となるとこういうのも予想はしてたけど・・・相変わらずの人見知りに、怒ればいいのか懐かしめばいいのか。客がくるたび応対を任された日々は、やはり懐かしいと評するべきか。

 「思い出してくれたならいいです。とっとと食べちゃってください」

 「そうします」

 テーブルの上にあったものは荷物としてまとめて玄関脇に置いておいた。帰り際に拾えるように。

 注文内容をチェックしていて唖然とした。あの量をこのサイズにおさめたのが既に魔法みたいだ。本人はそれでも結果に不満そうで、そこまでされるとちょっとばかりイラっとする。

 もう少し威張ってもいいんじゃないのか。

 というのも変な話なので、口に出しては言わないが。

 その後、綺麗になったテーブルに昼食の用意をし、寝惚けた主を椅子に座らせて、今は向かい合って食事をしている。

 師匠は浮かんだ名前を口走っただけで、わたしの顔を覚えていたわけではなかった。いや、覚えてないわけではなく、思い出すのに時間がかかった。

 師匠の記憶領域は整然として大きいけれど、大きすぎて正しい引き出しを開けるのに時間がかかることもある。

 寝起きの顔を見ていれば明白だった。

 動いてない頭がどんどん冴えてきて、相手を認識し、「ルシアナ」だと理解し、状況を把握する。そこに至るまでのすごく不審げな顔は、我ながら思ったよりショックだった。そんな完全に他人を見るような目で見られるとは思ってなかった。

 それからはたと気付いて室内を見回し、何か言いかけてやめる動作を3回はした。

 でも文句は言われなかったから、わたしの掃除は完璧だったのだろう。

 「師匠」

 「うん」

 パンをちぎりながら話しかける。

 「エリアスにも言われてると思いますが、ちゃんと食べてちゃんと寝てください」

 「それは、ちゃんとしてる」

 「あの台所の状態で何をどうしてるって言うんです?ただの作業台じゃないですか。暖炉にだって鍋をかけた風でもなかったし、そもそも床に転がってるのがちゃんと寝るに当てはまると思ってます?」

 「それは、仕事がおしてたからで、いつもはちゃんとしてるから」

 「掃除も、きちんとしてください。冬は火を使うことも多いですから」

 「それは気をつける。ありがとう」

 「必要なものには手を付けないようにしましたけど、大丈夫でした?」

 「うん、完璧だった」

 「はは。ありがとうございます」

 それからは黙々と食事をした。

 師匠はこういう人だし、食事中に何気ない雑談をすることは稀だ。

 というか、多分、まだ雑談できる段階ではなかっただけか。

 静かな食事を終えて、中途半端にしていた掃除を再開した。小屋の主は何か文句を言ってたけれど、いちいちちゃんと論破してたら諦めて掃除に参加してくれた。

 多くは愚痴や文句だったけれど、少しずつ師匠の口数が増えていくのは嬉しかった。

 やっと「わたし」に慣れてくれた。久々に会うと一から関係を築き直さなきゃならなくて困る。もちろん師弟なんだから数時間くらいで慣れてはくれるし、師匠との会話は楽しいから別にいいんだけど。当番をかってでたのはこの過程を楽しみたいってのもあったから。

 「師匠」

 「ん?」

 まだ外の明るいうちになんとか許容範囲の清潔さを取り戻した小屋の真ん中で、主は疲れ果てたように座り込んで溜息をついている。

 「今日はもう帰りますね。また来ます」

 「うん、ありがとう。助かったよ。休暇は?来月には戻るって聞いたけど」

 「あと10日くらいです。師匠もうちに寄ってくださいね」

 「あー・・・まあ、そのうち。・・・・・休みまとめて取れてよかったな、ルシアナ。役人仕事は息が詰まって大変だろう」

 「ですね」

 確かに息は詰まる。

 収入は安定してるけど、関わる人数が割と多いから面倒なこともまた多い。師匠だと絶対に耐えられないに違いない。

 しかも今回の休暇には裏がある。

 「まとめて休みになったのはラッキーだったんですけどね」

 「何かあるのか?」

 不審げな声で尋ねながら師匠は椅子に座りなおした。いい加減に床にへたり込むのに飽きたのだろう。

 わたしはその問いにどこまで答えたものかと、荷物をまとめるフリをしながらちょっと悩んだ。

 「仕事を兼ねてるんです。この辺りって役所が一つもないでしょう」

 「ああ」

 「僻地の管理を地元民にほぼ丸投げにしてるのはどうかって話がちょっと前から出てまして、実際どうすべきかの実地調査を任されたんです。地元ですし話も聞きやすいだろうって」

 「役人・・・役所を?この辺りにおくのか?」

 「そうですね。これからまた地域を区切って配置を考えてってやってくんで、早くても春先の話になると思いますけど。でもこれって国にそれだけの余裕ができたってことだし、悪い話でもないですよね」

 師匠は曖昧に頷いた。すごく不満・・・いや、不安そうに。

 その反応が予想外で戸惑う。

 別に諸手を挙げて喜ぶとは思ってないけど、こんなにも歯切れ悪い態度をとるとも思ってなかった。あわよくば少しくらい協力してもらいたかったのに、これではお願いしづらい────というか、これ以上この話題には触れられない。

 何か役人に嫌な思い出でもあるのだろうか。

 それとも役人に関われないくらいやばい事情があるとか?

 この師匠が?

 確かに師匠の過去は謎が多いし、何があっても不思議ではない────けど、まあ、そんなのあるなら、そもそもわたしを王都に送り出してはいないか。

 「とにかくそんな感じで、仕事を兼ねた休みなんで、もう一日くらいしか顔出せませんけどまた来ますから」

 「いや仕事があるなら無理はするな。時間がもったいない」

 「・・・・・師匠」

 次の言葉を遮ってやる。

 そういう話はうんざりだ。

 「また来ますから、師匠も会いに来てください。そうすればわたしの時間も無駄にはならないし、師匠と話もできるし、エリアスの手間も省けますよ。すごく楽しいし、効率がいい」

 「でもな」

 「わたしは、師匠に、会いたいです」

 一語ごとに力を込めて宣言する。

 「・・・・・・・」

 師匠は困惑顔で口をつぐんだ。

 わかってて言ってるのかな、この人は。

 「じゃあ失礼します。エリアスの言うことちゃんと聞いて、ちゃんとしてくださいね」

 「気をつけるよ。ありがとう」

 ドア脇の荷物をさげる。なんだかんだでやっぱり重い。

 それを見て、後ろから師匠が気遣う声をかけてくる。声を、かけてくれている。

 ────・・・あー・・この「ルシアナに慣れた師匠」が、次あったときにはまたただの人見知りのおっさんに戻ってるかもしれないと思うと、ものすごく残念極まりない。

 5日くらいだったらこの状態を維持できるだろうか。

 確かに慣れてく過程も楽しいけど、毎回なのはやっぱり面倒だ。次また最初からだとそれこそ時間がもったいない。わたしは師匠と普通にいろんな話がしたい。前みたいに。弟子だったときみたいに。

 「ルシアナ?」

 あ。

 「だ、大丈夫ですよ。ソリ持ってきましたから」

 「・・・・ソリ?」

 「朝雪が降ってたんですよ。もう融けてるでしょうけど、下草があればソリは使えますからね」

 「村までは」

 「荷車を隠してきました。そこからは荷車曳いていきます」

 「・・・大丈夫なのか?」

 「大丈夫です。それよりも、自分のことをちゃんとしてくださいね」

 もう一度挨拶をして外に出た。

 日は翳り始めている。掃除に手間取り過ぎて、思ったより長居してしまった。

 すっかり雪の融けた森を眺め、一つ息を吐いてソリに手を伸ばす。荷物を載せてずるずると踏み分け道を引き返した。


 師匠は生活ができない。

 そう、エリアスはいう。

 その言に賛同する態で今日のことも引き受けた。

 彼がそう心配するから、放っておいたらいつの間にか死んでるかもって主張するから、師匠には一応ちゃんとしてくれってお願いはする。エリアスがそう言うから、と。

 でも、本当に、そんな心配いるんだろうか。

 師匠は放っておいても勝手にどうにかやってくんじゃないか。

 わたしたちが思うより、師匠は、したたか、なんじゃないだろうか。

 実際見ていれば確かに研究以外のことは何もしていない。衣食住に興味持ってなくて、人見知りで気が弱くて森の外に出ることをしない怖がりの変人で、だから、弟子であるわたしたちがいくらかの世話をしなければと────このくらいの世話はしたいとやってはいるんだけれど。

 それでもあれだけの能力があって、来歴は謎で、なんだかんだで村には受け入れられてるって要素を並べてみると、師匠はわりとまともに生活できるのに、わたしたちがただお節介で甘やかしてるだけなんじゃないかって、たまに思う。

 立ち止まり、振り返る。

 もう木々に隠れて小屋は見えない。

 足元のソリにこんもりと載せられた荷物を見下ろす。

 師匠はすごい。そして、強かだ。

 わかってて、甘やかされてるのかも。

 それでもいいし、そうであってくれればいい。他人を厭いながら他人と繋がることをやめられない、常人離れしてるくせに人間臭い、弟子の思いがわからないくせに優しく受け入れてくれる、だらしなくて頼りないのに思慮深くて強かな大人。

 だからこそわたしは。


 師匠をずっと好きなのだから。

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