師匠と弟子・2 #1
例年より早く雪が降った。
夜半からの雪は村にも森にも普通に積もり、今は薄い銀世界が広がっている。
けれど、それもきっと昼前にはなくなってしまう。時期的にも晩秋なのか初冬なのか微妙なところだ。積もるほど降っても残ったりはしないだろう。
雪を見ると思い出すことがある。
例えば、師匠とのあれこれ。
でもそれは、思い出すと恥ずかしくなる、黒歴史というやつだ。
思い出さないように記憶に蓋をするのが多分正しい。
ソリを引きずりながら踏み分け道を行く。
小さいけれど荷物の運搬には手ごろなサイズだ。
もともとの雑草の伸びからソリは使えると踏んでたが、雪のおかげで少なくとも往路はより楽になった。家で眠ってたのを探しだした甲斐があったというものだ。
木々の向こうにいつもの小屋が見えてくる。
王都の街並みを見慣れていると、小屋というより納屋に見えてしまう。よくこんなので冬を越せてる。
息を吐く。吐く息は白い。
────師匠には、もっと、いい暮らしをしてほしいのに。
弟子の誰もがそう思い、本人の頑強な意志で達成されない願いを反芻しながら、古い小屋のドアを叩いた。
しばらく待つ。返事はない。
まあ、それも形式的なものだ。
鍵は預かっている。返事がなくても気にはしない。
「師匠、入りますよ」
ソリに乗せてきた荷物を担ぎ、ソリ自体は壁に立てかけておく。
ドアは外開きだ。これが内開きだったら、きっと中には入れない。
少し嫌な音を立てて戸は開いた。金具が錆びているのだろう。その辺りの修繕も手配するべきなのか?────考えながら足を踏み入れ、重い荷物はとりあえずドア脇の床に置く。
中は案の定荒れている。
でも聞いてたよりは床が見えてるから、ここの主もそれなりに頑張ったのかもしれない。
・・・・・ま、それも、全然足りないけどね。こんなの片付けたうちに入るわけない。
師匠はもっと、頑張るべきだ。
改めて中を見回す。
部屋のほぼ中央に置かれたテーブルの上には大量の布袋が置かれている。あれが今回持って帰るべき荷物なのだろう。確かに素手で一人で持ち抱えるには多い量だ。ただ、それ以前に、あの量をこの日数でこなしたって事実の方が驚嘆すべきことに思える。
しかもそれはもしかしたら、通常よりも圧縮されてるのではないかって話だった。本当ならこの机の上にあるものの、さらに倍のものを担いで帰らなければならなかったのかもしれない。
師匠はすごい。
そのすごさの残りカスでもいいから、もう少し違う方面にも振り分けてくれたら嬉しいのだけども。
「師匠」
中央のテーブル。
その手前。
・・・と言っていいのか、テーブルの真横にここの主が転がっていた。
それは文字通り、本や物に囲まれて転がっている。昔なら倒れてるのではないかと毎回焦っていたものだが、今では寝てるのか倒れてるのかの見分けくらいはつくようになった。
これは寝ている。
完全な寝落ちだ。
唯一褒められるのは、この天候もあるし、一応暖炉に火が入ってることだろうか。そのおかげで中はわりと暖かい。手配した薪は有効活用され、弟子の忠告はちゃんと効いている。
良かった。
エリアスの働きは無駄ではなかった。
「師匠!」
駄目元でもう一度声をかけた。
もちろん相手が起きるわけもなく、微動だにしない姿に吐息して現状を受け入れることにした。
仕方ない。
こうなるだろうと思っていた。
今が休暇であり、暇であるのをあてにされてる節もあったし。
とりあえず、主が目を覚ますまで、掃除をしておくことにした。
まず邪魔なのはここの主であるところの師匠だ。
叩き起こすなり寝室へ引きずっていくべきなのだろうが、わたしに単純にその腕力はない。ないからもう師匠は放っておく。一応毛布を上からかけておいて、風邪を引かないようにはしておいた。
次いで、ぐるりと見まわし、手を付けるべき場所を確定する。
自分にはわかるようにやっている、という師匠の言葉は本当だ。この荒れ果てた部屋には何かしらの法則がある。ただしそんなもの他人にはわからないからゴミ屋敷に見えるのだし、そんなだから片付けろとどうしても言いたくなる。でも、言ってもきかないからこっちが勝手に片付けることになる。その繰り返しだ。
その中で、触れていいか悪いかのラインがあるのを知った。
基本的に師匠は怒らないが、ラインを越えれば当然怒る。その場合には、静かに抗議してくるので、普通に怒られるよりなんとなく心臓に悪い。
ただ、その明確なラインはわからない。ここを離れてしまってたからより一層不明瞭だ。
それでも眺めれば雰囲気はつかめる。今興味のあるもの、今研究していること、今手元に置いておきたいであろうものの置き方に感覚的な法則性がある。それらにはなるべく手を触れず、関係ないものはとっとと片付ける。ここに通ってた頃そうしていたように、多分今でもわたしならそうできる。
まずは床を見えるように。
雑に積まれた本を整え、新しい本棚を有効活用する。
大方の本が片付けば、一応は暖炉ではなくちゃんと台所で料理ができる。いろんなものがいたるところに侵食しているから、片付けないまま暖炉以外で火を使うなんて怖くてできない。
この小屋が壁設置型のランプを採用していて幸いだ。
普通に蝋燭をつかってたら2日と待たずに火事になってる。
と言っても、台所は台所でやはり荒れている。ここは料理でなく作業台として使われてるんだろう。薬を調合するのもここでするから、その材料や道具で雑然としていた。
そう言えば調合って煮炊きしたりしないだろうか。薬湯とか。ものによるだろうけど・・火を・・・やはりこんな状態で使えないから、ここで作業して、暖炉に鍋をかけて作ったんだろうか。
何事もないのだからちゃんとしてはいるのだろうけど────。
想像すると怖い。
あまり考えないことにして、台所として機能するよう、放置された道具類を片付けた。
小屋の中はただの荒れ地から人の住む場所へ変わり、生活ができるよう機能したのを確かめてから、昼食の用意を始めることにした。
日はもう割と高い。雪は融けてしまっただろうか。
持ってきた荷物から食材を見繕い、簡単な野菜スープを作る。
2日分くらいのパンがあったから、昼はそれとスープだけで充分だろう。夕飯はその残りと・・・パンをかじってそうだな、師匠は。
まあ、大人なんだから、そこまで世話をする必要もないか。
溜息つきながら鍋をかき回していたところで、かすかに衣擦れの音が聞こえた気がして振り返る。
転がっていた師匠が億劫そうに起き上がり、ぼんやりとわたしを見ていた。
「おはようございます、師匠」
「・・・・・おはよう・・ルシアナ?」
「はい。ルシアナですよ、師匠。覚えてくれてましたか?」
長い沈黙の後。
師匠はただ眉根を寄せて。
結局、 問いに答えはなかった。
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