師匠と弟子

桜小路トム

師匠と弟子

 「師匠!」

 建てつけの悪いドアを開けると、中は相変わらずの汚さだった。

 いや、汚いというよりは、とてつもなく物が多いのか。特に本。仕事道具も多くあるが、とにもかくにも本が多い。本棚からはみ出したそれらは、机の上はもちろん床の上にも常にいくつもの山を築いている。

 本屋かここは。

 いや、本屋がこんな雑に本を扱ったりはしねえ。

 誰が来ても片付けろと口をそろえて言うけれど、主はありがちに「完璧に整頓されている」と主張するばかりで改善されたためしはない。誰がどう見たらこれが整えられた部屋だと判断できるんだ?

 そもそも先月本棚を増設したんじゃなかったか。

 何故、また、床に山が築かれてるんだ。

 っていうか────その主はどこだ。

 「師匠!しーしょーおー!」

 かろうじて踏める床を選んで中へ進む。

 晩秋の朝は寒いと言うのに暖炉に火はついていない。外より幾分暖かいから気にならなかったが、改めて考えればこの温度で過ごすのは風邪をひくくらいには寒いんじゃないか?

 いや、まあ、でも、こんな部屋で火をつけたら火事になってしまうか。

 いやいや、主もそこまで馬鹿ではないか。暖炉を使うくらいの甲斐性はあるだろう。現に暖炉の前に本の山はない。ならば、夜のうちに薪が燃え尽きたのだ。だからこそ、中は少し暖かいのだ。

 そうあってほしい。

 これ以上の面倒ごとはいろいろと困る。

 「師匠、どこですか!」

 返事がない。

 寝てるのか。

 外にはいなかったから絶対中にいる。

 だったらこの奥の寝室と言う名の書庫で、本に挟まれて寝落ちしているのだろう。

 たった二部屋しかない狭苦しい小屋だって言うのに、その奥の部屋のドアに辿り着くのも一苦労だ。積まれた何もかもをなぎ倒して直進したい欲望にかられながら、それでも家主の希望に沿おうと踏める床を頼りに進む。

 なんだかんだで相手は師匠なのだから一応は敬わなければ。

 奥の半開きになったドアまであと数歩。

 机に手の届くところまで来れたので、その上に持ってきた荷物を置く。

 もちろん、机の上の、本の上に。

 そうして。

 「師匠ー?」

 一歩踏み出して。

 「!」

 なにか、ぐにゃりとしたものを踏んだ。

 驚いて飛びのこうとして、そんな空間がないのに嫌でも気付く。しかし既に体は、バランスをとるためたたらを踏んでいて、当然その行為は本の山へ突っ込んでしまう結果をもたらした。

 それでもなんとか被害を小さくしようと体をひねり、変な態勢で尻もちをつく。分厚い表紙の角が刺さる。遅れていくつかの本の山が崩壊した。

 ばらばらと散らばる本やそれ以外のナニカに埋もれ途方に暮れた視界の中で、件のぐにゃりとしたなにかの一部がかすかに動いた。

 まあ、知っていた。

 踏んだ時に、ここかよ、とは思った。

 こいつはほんとにとにかく自由だな!

 「起きろ!」

 転がってる主の尻を思いっきり蹴ってやる。

 相手はかすかに不満そうなうめき声をあげた。



 暖炉に火をつけた。

 ついでに何日も使われてなさそうな鍋に水を入れて湯を沸かす。やかんが見つからないのだから仕方ない。

 その後ろで主は不満そうに崩れた本を再び積み上げていた。

 本人言うところの系統立てた整頓をしているんだろう。

 「ちゃんと片付けろよ」

 「片付けてるよ」

 言いながら気持ち山を壁側に寄せている。

 確かに来たときよりはスッキリしたと言えなくもない。

 「本棚どうしたんだよ。床の分だけでも収められるはずだろ」

 「あー・・・」

 「・・・・・・・わかった、もういい」

 何か出物の古本でもあったのか。

 湧いた湯でお茶を入れて机の上に置いた。その頃には机周りに物はなくなっていて、なんとか落ち着いて座れる状況にはなっている。

 改めて中を見回す。

 この小屋は古い。

 座った椅子も、目の前の机も、暖炉も寝室も何もかも古い。新しいのは本棚だけだ。

 そんなところにずっと、主は一人で住んでいる。

 どこから来て、いつからいるのか誰も知らない。もともと建ってた森の小屋にいつの間にか住み着いて、徐々に村と交流をはじめた。知識をくれたり、薬をくれたり、簡単な魔術も使えて、請われれば大概のことは教えてくれた。素質があるヤツには魔術も教えた。一時期はここで学校まがいなこともやっていたらしい。だからそれらも弟子とするなら、多くの弟子がいることになる。

 出自の謎な、森の賢者。

 そんな風に評する人もいる。

 来るのに踏み分け道しかないないようなところに住んでるし、実際、年齢もよくわからなくて謎が多い人ではあった。 

 「まあいいか」

 そんな賢者は、何かを諦めたらしく立ち上がってこちらを見る。

 ひょろっとした体躯、頭髪は少し長めの薄茶色で、メガネ越しの目は細い。

 更に言えば、髪を結んでた紐がほどけかけてるし、寝起きのせいでか服はよろよろだし、見た目には本当に頼りなさそうだ。こんなのを師匠と呼んでいいのかたまに悩むこともある。けど。

 ────師匠はこういう人だ。

 向かいの椅子に腰を下ろし、礼を言いながら冷めかけたお茶に手を伸ばす。

 いつもの光景だ。

 置いてた荷物と一緒にコップを少し寄せてやる。そこでやっと持ってきていた荷物に気付いて、主は少し申し訳なさそうな顔をした。

 「わざわざありがとう」

 「まったくな。当番制でよかったよ」

 「当番?」

 「毎回は無理だし。他の奴らと持ち回りだ。気付いてなかったのか?」

 「いや、えーと・・・・・そんな当番作ってまでこなくても」

 「そうでもしないと本に挟まれて死んでるだろ。師匠は」

 「・・・・し・・」

 失礼な、と言いかけてやめた顔だった。

 思い当たる節があるのだろう。 

 今日の状況だって大体そんな感じだし。

 「とにかく、それで次のルシアナが来るまで食い繋げ」

 「ルシアナ、戻ってきてるのか」

 珍しく驚いた顔をした。

 懐かしそうだ。

 「一昨日こっちに着いたらしいよ。会いに行ってやれば?来月には帰るらしいぜ」

 「──・・・─」

 「?」

 変な間があった。

 「まあ、そうだね」

 苦笑して、包みを開け始める。

 その沈黙に、選択肢を間違ったことを知った。

 「・・・・・・・まあ、別に、来るんだから会いに行く必要もないけどな」

 「そうかな」

 「ああ」

 「じゃあいいか」

 「いいよ」

 「助かる」

 「ちゃんと掃除しとけよ」

 「ルシアナは怖いからなあ」

 その冗談めかした呟きは聞き流した。確かにルシアナは怖いヤツだ。とりあえず部屋が汚いとぶちキレる。

 そう言ってる間に、机の上は持ってきた食材で埋まっていった。荷物の大半は保存食だ。まともに調理しないことがわかっているから、かじるだけでなんとかなるようなものも多い。

 要するに、この訪問の主目的は食材の配達だった。

 「果物がある。珍しいな」

 「それこの前の薬の報酬」

 「効いたって?」

 「師匠の薬が効かないわけないだろ」

 何を言ってるんだ。

 「そっか。じゃあ帰りにできてるぶん持って帰ってもらえるか」

 「わかった。あと、次回用のメモも入ってるから」

 「これか?────あー・・・これは・・」

 「なに?」

 「ルシアナには荷が重い。言葉通りに」

 「・・・・・確かに、これは」

 単純に注文量が多い。

 「二人で来るよ」

 「いや、なんとかしよう」

 「なんとかって、量減らせないだろ」

 「んー・・・減らせる、と思う」

 メモを眺めるその目はもう、心ここにあらずだと言っている。

 何か思いついたのか、最近そういう研究でもやってたのか。とにかく没頭し始めるとそれ以外に全く執着しなくなるのが、この人の怖いところだ。

 「師匠」

 返事はない。

 何かぶつぶつ言ってるのはひとり言だろう。

 「師匠!」

 「!・・・あ、ごめん。えーと」

 「朝飯は持ってきてるから、まずそれを食べろ。仕事はそれからでいい」

 「はい」

 「オレも仕事だからもう帰る。ルシアナが来るのは5日後だ」

 「わかった」

 「何よりもまず、日に一回は必ず食事をとれ。とにかく何かを食べろ」

 「何かって・・・」

 「自炊しろとは言わないから」

 「料理くらいするって」

 不審げな視線を向けると、主はすっと目をそらした。

 まあ、もう、その件はいい。

 「できれば暖炉の火は絶やすな。冬が近いからな」

 「そうだな。朝も冷えてきてるし」

 「薪は?余分はあるか?」

 「ん?ああ、大丈夫だって」

 これは駄目そうだ。

 「────薪は手配しておく。勝手に置いてってもらうから、それでいいな」

 「すみません」

 「他に何か足らないものはあるか?仕事のことでも」

 「大丈夫だよ。ちゃんと生活できるって」

 「どの口がそれを」

 「えーと・・・薪代渡すから」

 包みの一番下に金の入った袋がある。薬もそうだが、他にも細々した依頼をこなしていて、主にとってそれがここで暮らす生計たつきになっている。持ってきたいろいろの金はそこから出ていて、入っているはその残りだ。

 働き始めてわかったのは、その代金が破格に安いということだった。

 何かの信念なのか、そんなことにすら執着がないのか、確認してはいないがそれは心配の種の一つにはなっていた。

 「薪くらいいいよ。オレのおごりにしとく」

 「それは駄目だ。わざわざ来てもらってるのに」

 「じゃあそれは次来た時でいい。だから、師匠は、ちゃんと生活してくれ」

 「してるけど」

 「師匠のは生活とは言わない」

 「ひどいな」

 「ひどくてもいいよ。頼むから」

 ちゃんと生きててくれ────言いそうになって口をつぐんだ。

 そんなこと口に出せるわけもない。

 自分でもその考えにはちょっと引いている。しかしそう言わせるほどに、主の生活はちゃんとした人のそれとはかけ離れている。

 賢者と言うより仙人だ。

 けど主は仙人ではないし、だから霞だけ食って生きていけるわけでもない。

 飯を食わなければ死ぬし、寒ければ凍死する。

 そんな基本的なことが欠けているのだ、この人は。

 「・・・・・・心配性だな」

 「うっせえよ」

 「仕事、遅れるぞ。村に一度戻るんだろ」

 「ああ、うん。まあ、また来るから」

 「そうだな。ありがとう」

 「ちゃんと食えよ」

 「わかったから」

 主は苦笑いを浮かべ、オレもなんとなく笑った。

 

 うずたかく積まれた本に囲まれ、棚にはよくわからない薬草を束ね、森の小屋で主は今日も浮世離れした生活をしている。

 朝露に濡れた下草をざかざかと踏み分けながら帰路につき、ふと意味もなく古ぼけて小さなそこを振り返って見た。

 小屋と、仕事用の小さな畑は見慣れた景色だ。

 ここには何年も通った。

 オレは村に残った数少ない弟子の一人で、それは随分出来が悪かったことを意味している。

 主が弟子をとるのをやめた、その最後の年までいた、本当に不出来な弟子だった。

 ただ、不出来でも、生活していけるくらいの知識はもらえた。だから、ここまで育ててくれた恩返しを、こうやってずっとしていきたい。

 ────そのために、師匠には生きていてもらわないとな。

 それは村の願いでもあると同時に、誰よりもオレの願いであるのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る