第41話 私もダメな叔母さんだね

 起きたら一人で横になっている。一緒に寝ていた夕夏は布団の中には居らず、体を起こして彼女の姿を探す。ブラウン調の扉の向こうから物音が聞こえる。キッチンに夕夏がいるのだろう。陽太は目を擦りながらスマホで時間を確かめる。


 現在、18時15分。すでに夕方になっていた。


 陽太は慌ててベッドから立ち上がり部屋を出て急いで帰ろうとした。


「夕夏さん、俺もう帰ります!」


「えっ!ああ、待って!待って!陽太くん!」


 キッチンにいた夕夏の後ろを通り過ぎ、玄関で靴を履こうとした陽太を夕夏はひき止める。


「今日はもう帰らなくていいよ。海藤さんには家に泊まるって言ってあるから」


「えっ、でも、そんな事……」


「陽太くん!」


 慌てる陽太の頬を包む夕夏。彼女より少し背の高い陽太の目を覗き込む。


「君はなんでもかんでも自分の中に溜め込みすぎだよ。もっと自分の意見をいって、わがまま言ったりしていいんだからね」


 それは陽太にとっては無理な話だった。あんな女の元にいて『自分の意思』など持てるはずない。相手の気持ちを読んで、お金の事を気にして、その日の生活を成り立たせるなんて、『14歳の子供』がすることじゃない。

 大人になるしかなかった彼を、本来の姿に戻してあげたかった。


「無理して、嘘ついて、海藤さん達と親子のフリをしなくていいの。お二人にもそう伝えてあるから……ね?」


 陽太の不安や焦燥は分かる。でも、親子は一朝一夕でなれるものじゃない。陽太の心にこれ以上負担をかけたくなかった。

 陽太は夕夏の手を掴んで、しばらく擦り寄った。気持ちを落ち着かせてから、目を反らしておこうとしたキッチンの異物に触れることにした。


「ところで、夕夏さん。フライパンの中の『黒こげ』はなんですか?」


 陽太にフライパンの中の失敗作を見つかってしまい、キョドる夕夏。


「……や、…野菜炒め……」


「はぁ、夕夏さん。野菜炒めって一見簡単そうですが、野菜は堅さによって炒める時間が違います。大きさも変えて、入れる順番を考えなければ、火の通りやすい野菜はあっという間に真っ黒こけですよ」


「はい、実践して痛感しました」


 陽太の料理指導を受ける夕夏はショボくれる。成長のない自分が恨めしかった。


「夕飯なら俺が作ったのに…」


「いや、なんでもかんでも陽太くんに甘えちゃいけないと思って、料理やお弁当も自分で頑張んなきゃね」


「…そんなに全部頑張らないで下さい。俺、夕夏さんにご飯作るの好きなんですよ?」


 陽太の表情には一抹の哀惜が漂う。


「料理が下手な夕夏さんのために炊事するのが幸せでした。だから、夕夏さんが料理完璧になったら、俺の居場所がなくなっちゃう…


このままで、いてくださいよ」


 陽太は夕夏の手を握り、寝落ちする前に言おうとした言葉を紡ぎ出した。


「夕夏さん、俺がこのまま海藤家の子になって、18になったら、おれと結婚してくれますか?」


「えっ、えっっ!」


「俺と婚約してください」


 陽太くんにプロポーズされた。陽太くんにプロポーズされたぁ!陽太くんにプロポーズされたようぅ!


 気が動転して、思考が月のように恒転している。有頂天になって固まっている夕夏を、陽太は困らせてしまったのかと思い、一歩引いてしまう。


「それとも、夕夏さんは俺の事をまだ甥っ子としか思えませんか?」


 夕夏は陽太の告白を1度断っている。『甥っ子だから』という理由で踏み止まったあの時の答えに、今度は続きが出せるのだろうか。



「甥っ子だよ…」



 夕夏の言葉に陽太は力なく手を放そうとした。けど…


「甥っ子だけど、甥っ子じゃなければな~って思ってた。そしたら、陽太くんの告白、OKしてた」


 照れたように笑う夕夏に陽太も釣られたように綻ぶ。


「私もダメな叔母さんだね」


「『元』叔母さんですよ」


 二人とも笑みがこぼれた。陽太は夕夏に軽くキスをして、彼女を抱きしめた。


「嬉しいです。好きですよ、夕夏さん」


「うん、私も好き!」


 台所で抱き合う夕夏と陽太。前はキッチンで振ってしまったが、今度は受け入れた。


「さて、プロポーズも上手くいきましたし、フライパンの中の『爆弾』を処理しますか!」


「ひどい!そこまで言わなくても!」


「あんな見た目なのに、味には自信があるんですか?」


「いえ、見た目と予想通りだと思います…」


 『ですよね』と笑う陽太。味噌汁を作るのは彼に任せて夕夏は食器の用意をする。陽太がコチュジャンと水溶き片栗粉で中華風に味付けし直した野菜炒めは、かなりマシな味になっていた。


 陽太からプロポーズされたのに、晩飯が飯マズでは最悪な思い出になるところだった。





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