第21話 俺の事…嫌いになりましたか?

 日曜日。夕夏は家事を済ませて、意を決して陽太の部屋のドアを叩く。


「陽太くん。プリンあるけど、一緒に食べない?」


 部屋から出てきた陽太を夕夏は強張った笑顔で迎える。昨日の内にデパ地下で買った高いプリンをソファーで陽太と食べる。陽太の様子を窺いながら話を切り出す。


「陽太くん…そのごめんね」


「なんで謝るんです?」


「その、ママ活の事。きっと、私のせいだから…」


「え…?」


「母が…亡くなってから、あの女の暴走を止める人がいなくなったんだよね?私も仕送りしなくなった。だから、あんな事…」


「いえ、少なくともここに来てからした事は、俺自身がしたことです。もう二度としません。約束します」


 二人とも黙ると時計の音だけが部屋を支配する。外からの陽気がゆるりとした時間を伝えてきていた。


「もっと、気にかけてあげれば良かった。でも、私は……あの女と関わるのが嫌で…、嫌で…


昔から、私のこと『ブス』だの『地味』だの馬鹿にして、男自慢してきては、『お前は一生できないだろ』って見下してくる。


本当に、ほんとに…大嫌いだった!」


 がり勉で地味だった夕夏。自分の夢と将来のために努力している夕夏の事を、『自力で稼ぐしかない残念な女』と嘲笑あざわらっていた。

 自然と涙が零れる。

 俯く夕夏の頭を陽太は撫でる。


「夕夏さんは、とてもきれいな人ですよ。俺には眩しいくらいです…。だから、泣いたりしないでください」


 顔を上げた夕夏の頬を優しく撫でる陽太。目尻に溜まった涙を人差し指で拭ってくれたが、夕夏は慌てて自分で涙を拭く。


「いや、違う!違う!そうじゃなくて!私が慰めてほしんじゃなくて、私が陽太くんを慰めたいの!」


「俺を…?どうして?」


「それは、陽太くんが傷付いていると…思って。その、『体を売る』なんて、嫌な事だと思うから…」


 陽太の顔が陰る。

 夕夏は彼の傷を抉ってしまったと肝を冷やしたが、陽太は意外にもおねだりしてきた。


「なら、お願いを聞いてくれますか?」


「なに?」


「膝枕してくれます?」


 逡巡しゅんじゅんしたが、すぐに膝に招いた。陽太は眼鏡を外して、夕夏の膝の上に頭を預ける。頭を撫でてほしいと甘えてきたので、癖っ毛な髪を掌で包んだ。


「陽太くん、その、お金がほしいのって、まさか借金があるとか?」


「いえ、借金はありましたけど、家と土地を売ったお金で返済してます」


「じゃあ、どうしてお金が必要なの?」


 なんとか金銭が必要な理由を聞き出そうとしたが、陽太は黙ってしまった。


「夕夏さん、売春してた俺の事…汚いって思いますか?」


「ううん、そんな事思わないよ…。その、なんて言ったらいいか分からないけど、陽太くんは、好きでしてたんじゃ…ないよね?」


「そうですね。気もない女性と寝るなんて、気持ち悪いだけでした。セックスする度に穢れていく気がして…女性が怖くなった時もありました」


 夕夏は陽太の頭を撫でていた手を止めて放した。自分が触るのも不快なんじゃないかと思ったからだ。

 陽太はそんな夕夏の動きに気づき、体を動かして離れていった手を引き止める。自分の頬に持ってきて、夕夏の手に擦りついた。


「夕夏さん、俺の事…嫌いになりましたか?」


「ううん、そんなことないよ」


 『本当に?』と再度確認されたので、夕夏は『うん』と返した。


「俺、夕夏さんに拒絶されたんじゃないかって、それが辛くて…夕夏さんの顔、まともに見れなくて…」


 陽太が夕夏を避けていたのは、夕夏が怒った事への反感ではなかった。陽太の目元を親指で撫でると隈があるのを見つける。ずっと寝れていなかったのだ…。


「私、陽太くんのことだよ…嫌いなるはずない」


 夕夏に『好き』と言われて、陽太は自分の『気持ち』を伝えてしまいそうになった。ぐっと飲み込んで顔を反らす。


 夕夏の『好き』という言葉は『甥』としての感情だ。自分が欲しいは『それ』ではない。


 夕夏は陽太の肩に手を当てて、彼が眠るまでずっと擦っていた。









 包丁を使う音で目を覚ます。陽太はソファーの上でタオルケットを被っていた。彼は起き上がって、台所に立つ夕夏に近付く。


「起きた。今日はカレーだよ!これなら私も失敗しないよね!」


 揚々とニンジンを切っていた夕夏だったが、陽太は寝起きの目でそのニンジンをよく見た。


「夕夏さん。ニンジンは皮を剥かなきゃダメですよ?」


「あっ!忘れてた!」


「夕夏さんは本当に料理だけはダメダメですね」


「うっ、うるさい!」


 陽太は笑ってざく切りになったニンジンの皮剥きを手伝う。二人で食卓を囲み、談笑しながらカレーを食べた。


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