第9話 運命の人

 その後の、僕とさくらの恋の行方が気にならないかい?

僕は大阪朝陽丘学園高校での一年留学を終え、カナダに帰国し、無事にカルガリーの高校を卒業したんだ。

日本アニメ研究会のメンバー全員がグラジュレーションのガウン(卒業式に着用するガウン)を羽織、頭には博士帽を被り、僕は無事に皆と一緒に卒業式を迎えることが出来た。

カナダの高校では卒業式の後にプロムと呼ばれるダンスパーティが行われる。

僕以外の3人(ミッチョ、ジョーダン、エリック)は、プロムにはそれぞれの彼女をエスコートして参加した。

僕の彼女のさくらは日本にいるから、このモテ男の僕が、人生に一度きりの高校の卒業式のプロムに、彼女なしで参加したんだ。

僕がプロムのダンスのパートナーとして女子の誰にも声をかけていないと知った同級生の女子生徒数名から声をかけられたが、僕は丁重に彼女達たちの誘いを断った。

親友の彼女たちは豪華なドレスに身を包み、ミッチョたちは自分の彼女が準備したドレスの色と同じ色のネクタイを購入し着用していた。

少し羨ましいとは感じたが、それでも僕は少しも寂しくはなかった。

彼女なしで参加したプロムだったけど、ビンゴゲームで僕はマックのアイパットが当たった。

一等賞の商品はスポーツカーだったが、スポーツカーが当たったヤツは、既に両親から車をプレゼントされ自家用車持ちヤローだったので、会場はブーイングの嵐だった。


 そうそう、僕とさくらの恋の行方の話だったね。

カナダでは受験という制度がない。

高校一年生から三年生の成績でGPA(Grate Point of Average )が決まる。GPAとは、日本で言う偏差値の様なもので、GPAで進学できる大学と学部が決まる。

GPAから行ける大学と学部がセレクトされ、その中から自分の行きたい大学に自身で願書を送り、願書を送った大学には高校からその大学に個人の成績書が送られ、あとは大学側で合否を生徒に通知してくる、それが一般的な方法だ。

僕は日本の高校に留学していたことが響いて、第一希望だったトロント大学には入学できなかったが、第二希望のカルガリー大学に入学することが出来た。


 「大学は、カルガリー大学に決まった。専攻は政治学だ。」

とさくらには報告したが、彼女がカルガリー大学の何を知るわけでもないと思っていたのに、僕が9月にカルガリー大学に入学して、少し大学生活に慣れた10月にさくらからサプライズドニュースを知らせるメールが送られてきた。

さくらは、カルガリー大学の日本での姉妹校を自分で調べて、カルガリー大学の姉妹校である関西学院大学(関学)を受験していた。

そして関学に合格し、学部がなんと国際学部だと言うではないか。

さくらは、

「ベンに会いに、カナダに行きます。ベンと同じ大学で勉強するためにカルガリー大学に行くから、ベンの家族とも話ができる様になるために、頑張って英語を勉強するわ」

と書いてあった。 

さくらは、関西学院大学の2年生の1年間を使って、カナダに留学しカルガリー大学に入学してくると言う。

それを聞いた僕が取った行動は、

さくらは1歳年下なので、

「関西学院大学がカルガリー大学の姉妹校なら、僕も2年生の1年間を使って、関学に留学する」

と決意し、僕たちは関学で一年間一緒にキャンパスライフを過ごし、翌年にはさくらと一緒にカルガリー大学でのキャンパスライフを過ごした。

つまり、4年間の大学生活のうち、2年間の時間を一緒に共有したんだ。

僕とさくらは、関西学院大学在学中、関学よさこい連炎流に入部し、週3回キャンパスでよさこいの練習に励んだ。

僕が、よさこい連炎流の練習に初めて参加した日、僕が知っているとても懐かしい顔がそこにあった。

「ベン先輩」

その響きも懐かしかった。

「エルビスじゃないか。なんでエルビスがここにいるんだい? まさか関学に入学したのか?」

「そうっす。頑張りました」

「すげ~、学部は何?」

「国際学部っす」

「お前が国際学部に? 信じられない!」

「ベン先輩に、『折角イングリッシュネーム付けたんだから、これからは英語に興味持てよな』って言ってもらってから、俺英語に興味持つ様になって、さくらも関学の国際学部を目指すって聞いて、さくらでも目指せる範囲なら俺にも出来るかもって思って、頑張ったんす」

「何よそれ、ひどーい」

さくらがプリプリと怒りだした。

「ベン先輩、勘違いしないで下さいね。俺、さくらのこと狙ってませんから。さくらは、俺のタイプと違うっす」

「何よそれ、もっとひどくない」

「ブハハハハ」

「キャハハハ」

なんだか、再び楽しい留学生活が始まりそうだ。


 僕が関学に在学していた1年間、帰国を前にした5月に北海道で行われたYOSAKOI SORAN FESTIVAL に僕たちは参加したんだ。

YOSAKOI SORAN FESTIVAL には、230組の演者がエントリーし演舞を披露された。

YOSAKOI SORAN FESTIVALでは、僕は関学の3年生としてさくらは2年生として炎流のメンバーとして踊った。

僕たち関学は、その年のYOSAKOI SORAN FESTIVALで13位という高成績を出すことが出来た。

僕はこの大学で4年間炎流のメンバーとして踊りたかったと心から思えるほどに、このステージから大きな感動をプレゼントしてもらった。今でも北海道で、皆で食べた海鮮丼の味が忘れられないほどだ。

関西学院大学は兵庫県西宮市にある。

関学は関西で最も多くの留学生が在籍している大学だと聞いた。

僕が高校留学をしていた当時、ホームスティをしていた水木さんの家は西宮市のお隣の宝塚市だったので、大阪朝陽丘学園高校に留学していた経験から、西宮市は地の利も良く知るところだった。

僕は、2回目の日本留学では、JASSOの奨学金を申請し、80万円の奨学金をもらうことが出来た。

JASSOとは、独立行政法人の日本学生支援機構だ。JASSOでは、学生に対する貸与奨学金事業や留学支援、また外国人留学生の就学支援を行っている。

僕は、高校生の時にも留学をさせてもらった。その上に、大学留学となると親への負担が大きくなると思い、関学の大学寮だと寮費が4万円と格安だったので、僕は今回の留学ではホームスティではなく、大学寮に入寮することにした。

10ヶ月の留学に対して受け取った奨学金は80万円、月8万円計算だ。そこから寮費が4万円、寮には大きな共有キッチンがあり、自炊すれば4万円で十分に補えた。

また大学生になってからの今回の留学で取得した学生ビザは日本で仕事をすることが許された。

僕は宝塚南口駅前にあるTall Tree という名の英語教室で英語を教える仕事を得ることが出来た。Tall Treeの経営者は白人のニュージーランド人だったが、日本人と結婚し日本で暮らしていると聞いた。

僕は週に2日、一コマの英語の授業を受け持った。時間給は6,000円、月48,000円を稼げたので、留学費用は持ち出しが全く必要ではなかった。


 僕は関学には学費は一切支払っていない。

カルガリー大学と関学は姉妹提携をしているので、関学の生徒がカルガリー大学に留学する際は、その生徒はカルガリー大学の学費が免除される。

逆のパターンの僕は、関学の学費が免除されたことになる。

つまり、翌年さくらがカルガリー大学に来る時は、カルガリー大学の学費は無料ということになる。


 関学の大学寮は阪急の宝塚駅から徒歩10分のところにある。

僕の二度目の関西での留学生活は順調にスタートした。

僕が居住する関学の国際寮は、全18ユニットある。一つのユニットには4室の寝室があり、一つのユニットに4人の留学生が入居している。

現在、僕が住む国際寮は満室だ。そこには、72人の留学生たちが住んでいる。

72人は、世界中の関学のパートナーシップ大学から来た留学生たちだ。

僕のユニットには、アメリカ人、韓国人、中国人と僕とでシェアしている。

アメリカから来日したアンソニーは黒人だ。彼は殆ど日本語が話せない。

韓国人のセサンは英語がまあまあ話せる。

でも中国人のコウさんは英語が殆ど話せない、その代わり日本語はもの凄く上手だ。

コウさん曰く、中国の大学で理系を学ぶ学生たちは英語が出来るが、文系の学生たちは英語が出来ないが日本語は出来ると教えてくれた。

72人いる寮生の中で、僕が一番仲良くしていたのは、ノルウェイからの留学生のエリックだ。僕のカナダの親友と同じ名前だ。

72人の留学生の国籍は、アメリカ人が16人、カナダ人が4名、イギリス人が3名、オーストラリア人が3名、ニュージーランド人が1名、ブラジル人が2名、デンマーク人が1名、ドイツ人が5名、フランス人が2名、ノルウェイ人が7人、スペイン人が1人、中国人が8名、台湾人が3名、香港人が1人、韓国人が6人、インドネシア人が5名、タイ人が1人、ベトナム人が2人、ラトビア人が1人の計72人だった。

僕が知る限りは、寮生のほぼ全員が日本政府からの奨学金を得て来日していた。

僕もその一人だ。

この奨学金についての日本人の認識を知り、僕は驚愕したことがある。

関西学院大学で、日本人学生たちと奨学金について話題になった時に、一人の女子学生が

「え? ベン奨学金を貰って留学したんだ。ご両親はどんなお仕事をされているの?」

と聞いてきた。

「??? 僕の父親の職業と奨学金に何の関係があるんだい? 僕の父親は商社マンだけど」

「商社マンなのに、どうして奨学金が必要だったの?」

「??? だから僕の父親の職業と奨学金に何の関係があるんだい?」

「だって、お金に不自由していないじゃない」

「??? 君は関学から奨学金はもらってないの?」

「もらっているわけないじゃない。だって関学の奨学金の申請の条件は、親の収入がいくら以下であること、成績が優れていること2つの条件が定められているもの」

「なんだって? 日本では奨学金は経済的に恵まれていない人しか受けられないのかい?」

「え? カナダは違うの?」

「当たり前だろ。カナダだけじゃないぜ、北米では、奨学金の認識は、成績が優秀な人が援助してもらえる制度だから。もちろん経済的に貧しい人も申請できるけど、成績が悪ければ対象にはならない。代わりに学生ローンという制度があるから、大学の学費が支払えなくても学生ローンを使えばお金は貸してもらえる。但し、学生ローンは就職後に返金の義務はあるけどね。カナダ人の殆どの大学生は何らかの奨学金を申請するし、奨学金をもらう為に良い成績を出そうと頑張って勉強している。なぜならば奨学金は返済義務がないからね」

「へ~そうなんだ。日本でも学生ローンはあるけど、学生ローンで学費を支払っているとか、大学から奨学金をもらっているとか、あんまり大きな声では言わないかな。だって恥ずかしいし」

「恥ずかしい?? なぜ? 奨学金を貰えたイコール優秀な学生の証じゃないか。僕が滞在している関学の学生寮にいる72名、は全員奨学金をもらっているぜ。関学からじゃないけど、日本政府から」

「なんで日本政府が?」

「君がもしもカナダの大学に留学したいと思っているなら、カナダ大使館でも日本からくる留学生のために奨学金を出しているぜ。条件は厳しいけどな」

僕は、彼女の奨学金についての認識を聞いた時には少なからずショックを受けた。

海外留学に行きたいなら、行く国での奨学金制度はしっかり調べて、利用すべきだと僕は思う。

日本人でも良く知られていると思うが、アメリカの名門ハーバード大学。卒業者の中には、ジョンFケネデイ、バラク・オバマ、ジョージWブッシュ、など歴代のアメリカの大統領の名前があげられる。ハーバード大学の学費は1年間で約700万円と言われている。日本の私大と比較してもかなり高額な学費だと言えるだろう。しかしながら、ハーバード大学に通う学生たちの中でこの1年間の学費を自費で支払っている学生など殆どいない。殆どの学生たちが何らかの奨学金をもらっている。奨学金という意味は返済を必要としてない支援金という意味だ。その支援を受けるために、優秀な成績を修める必要があるので、北米では大学は勉強をする場なのである。日本の大学の様に、入学さえ出来たら、後は普通に学校に行っていれさえすれば卒業できる様な大学は北米にはない。


 僕は、英語とドイツ語とスペイン語と日本語とほんの少しのフランス語(カナダの公用語は英語でフランス語)が話せるので、殆どの寮生とコミュニケーションが取れるので沢山の寮生たちと仲良くなった。

ここでは、ヨーロッパからの留学生も意外と多い。ノルウェイ人は7人もいた。大阪朝陽窩丘学園高校でもノルウェイからの留学生(ブレーデ)がいたし、ノルウェイの若者たちには日本留学は人気なのかもしれない。

僕たちが住んでいるのは、関西学院大学国際寮Ⅴだ。関学には寮が5つあるが、その内の国際寮ⅡⅣⅤの3つの寮が留学生専用の寮となっている。

関学は、大阪に関西学院千里国際学園というアメリカンスクールを経営しているらしい。

千里国際学園を卒業する高校生たちは、エスカレーターで関学に進学してくらしい。

この千里国際学園でも海外からの留学生を受け入れているらしく、高校生専用の国際寮も持っていると聞いた。

この話を美月パパに話をしたら、

「時代は変わったな。昔は日本に出稼ぎに来る外国人はいても、日本語を学ぶために留学してくる外国人なんて滅多にいなかったのに。今はそれだけの数の外国人が日本語を勉強しに日本に来ているんだね」

と言っていた。

パパさんは更に

「私は学生の頃、英語が苦手だったので『みんなが英語を学びに海外に行く様に、近い将来は世界の人々が日本語を学びに日本に来る様になって、僕が英語を喋れなくても外国の人が日本語を話せる時代が来るかもしれないじゃないか』って大学時代に友人に言ったんだよ」

「それで、友人は何って言われたんですか?」

「『お前は馬鹿か、そんな時代が来るはずがないだろう』ってけんもほろろに言われたよ」

僕は、けんもほろろという言葉以外は理解できた。

「わずか30年前の話なのに、今同じことを言っても誰も私を馬鹿扱いしないかもしれないね。そう思わないかいベン?」

「確かに、そうですね」

世界共通語が英語なのはこれからも決して変わらないだろうが、「一番学びたい言語は日本語」の時代は来るかもしれない。

僕は、寮内で仲良くなった学生たちと、良く日本の漫画談義を楽しんでいる。

ここにも沢山いた! 僕はそう思った。

フランス人のクロードは、ルパン三世が好きだそうだ。それはそうだろう。アルセーヌルパンはフランスの小説家モーリース・ルブランが発表した推理小説「アルセーヌ・ルパンシリーズ」の主人公である怪盗が模された漫画なのだから。

韓国人のイサンが知る日本の漫画の知識は日本人並みだ。

子供の頃から、あたりまえの様に名探偵コナンやちびまる子ちゃん、ドラえもんなど日本の漫画が韓国語で放送されていたと言う。

イサンは関学の日本人の学生たちと子供の頃観ていた漫画の話題になると、まるで日本で育ったかの様に話題についていける。イサンが韓国で観て育った漫画と関学の友人たちが日本で観て育った漫画がまるで一致しているので驚かされた。

間違いなく日本の「MANGA」が、日本への留学ブームに拍車をかけていると僕は思っている。いや、間違いないだろう。


 関西学院大学の寮内には、学生たちがくつろげる大きなリビングルームがある。大きなTVが設置されていて、僕たちは夕食後そこに集まり、ビールを片手にTVを観ることが多いのだが、

ある日、みんなでいつもの様にリビングでTVを観ていたら、「あなたが選ぶ日本のアニメベスト100」という番号が放送されていた。無論、僕たちは大盛り上がりでこの番組を観たんだけど、番組では年代別のランキングが紹介されていた。

1960年代のランキング紹介(僕たちはもちろんまだ生まれていない)の時に、

突然フランス人のクロードが

「このアニメ、俺子供の時にフランスで観てたよ。超懐かしいわ」

1960年代のアニメなのに、遠く離れたフランスでフランス語放送されていたなんて驚きだ。

その時に、紹介されたアニメは「ハクション大魔王」。僕は初めて見る漫画だったけど、

アラジンと魔法のランプを連想する漫画だったが、かなりキャラの強い主人公たち(ハクション大魔王、かんちゃん、あくび)がフランス語を話すなんて、とてもミスマッチの様な気がした。


 そして、日本のTVで放送されるコマーシャルに出演している外国人タレントの豪華さに、僕たち留学生は声をあげて感嘆してしまう。

いくつか列記してみようじゃないか。

ソフトバンクのコマーシャルにはジャスティンビーバー

缶コーヒーBOSSのコマーシャルには、トミー・リー・ジョーンズ

フィットネスグッズのコマーシャルには、サッカー選手のクリスティアーン・ロナルド

カプセル珈琲のコマーシャルには、ジョージ・クルーニー

ビールのコマーシャルには、ジョニー・デップ

なんて豪華な俳優陣なんだ。

「ジョニー・デップと一緒にギター弾いているアジア人は誰なんだ?」

と誰かが言い出した。

誰一人、そのギタリストの名前を知らなかった。

さくらに聞くと、さくらは興奮して

「嘘でしょ。福山さんよ。福山さん。日本一のイケメン俳優の福山さんよ。覚えておきなさい!」

と叱られてしまった。

福山雅治、覚えておくことにしよう。


 関学の国際寮は、水木さんの家からも近かったので、僕は定期的に水木さんの家にお邪魔して夕食を良くご馳走になった。

当然だが、僕が高校生の時に中学生だったケイは高校生になっていた。

僕は外国人だから日本の高校については良く分からないが、ケイは灘高校という高校を受験したらしい。

しかし残念ながら結果は不合格で、本人は不本意ながら全寮生の岡山白陵高校(岡白)という高校に入学したとパパさんから聞かせてもらった。

しかし、僕が週末に水木さんの家に遊びに行くと、いつもケイの姿を目にした。

パパさん曰く

「岡山白陵高校もとてもレベルの高い高校なんだけどね、本人はプライドが許せないらしく、寮生とも馴染めず、毎週末に新幹線を使って宝塚に帰ってきているんだ」

と少し困った顔で僕に話してくれた。

水木さんの家の空気は、僕がホームスティをしていた時とは違って、重い空気に覆われていた。

さくらにそのことを話すと

「灘高校なんて、日本のトップ3に入る天才児が行く高校やん。岡山白陵だって、岡山のトップの高校だよ。うちの姫路に住んでいる従弟が今、岡白目指して浜学園(関西でトップの進学塾)に通って勉強しているのに、岡白に受かってるんだから十分やんか。何が不満なん?」

とまくし立てられた。

何回も言うが、僕は外国人だから、灘高校や岡山白陵高校とか言われてもチンプンカンプンだ。

ただ、両校ともに優秀な高校だと言うことだけは理解ができた。

そんなある日の土曜日に、ケイがいるなら水木さんの家に遊びに行こうと考え、水木さんの家に電話を入れたら、ママさんが出て、ママさんは僕だと分かると、泣きながら

「先週、ケイがバイクで事故を起こして、今入院しているの。今から病院に行くので、しばらくは遊びに来てもらっても不在だから」

と言われる。

僕は驚き、

「僕も今から病院に行きます」

と言って、ママさんから聞いた病院の名前(宝塚市立病院)をグーグルアースで調べて僕も急いで大学寮を飛び出した。

病院で、パパさんとママさんを見つけた。

パパさんは男の人なので、毅然としていたが、僕の姿を見るなりママさんは僕にしがみついて泣き出した。

パパさんが

「バイクの免許など取らせなければよかった。先週帰宅した時に、友人にバイクを借りて運転したらしく、大型トラックと接触事故を起こして、ケイは命には別状はいが、背中を強く打ったことで背骨を損傷し、一生車椅子での生活になるらしい」

僕はパパさんが話す日本語を大体理解することが出来た。

あの快活なケイがこれからの人生を車椅子でしか生活が出来ないなんて、僕もママさんと一緒になり涙を止めることが出来なかった。

僕は確かに水木家の家族の一員ではない。

しかし、ホストブラザーの一大事を他人ごとの様に考えることは出来なかった。

僕は毎日、ケイに会うために病院に通った。

ケイは愛嬌があって、いつも家族を笑わせてくれるムードメイカー的存在だった。

しかし、病院でのケイは人が変わってしまったみたいに、誰とも口を開こうとしなかった。

特にパパさんや、ママさんが何か言うと、

「うるさいねん。放っておいてくれ」

と怒鳴り、手に届くものをママさんに投げつけたりした。

その様子は、退院してからも変わらなかった。

ケイは全てが投げやりになり、ケイは高校も辞めると言い出したそうだ。

僕はしばらく、大学の授業がない全ての時間を水木家にお邪魔して、ケイと過ごすことに費やした。

ケイは僕にだけは(家族ではないからだ)物を投げつつけたり、暴言を吐いたりはしなかった。

僕はケイに英語を教え始めた。

これから生きていくために、

「身に付けられるものは身につけておけ」

と本当の兄の様に、ケイに厳しく接した。

実際、僕にはカナダにケイより1歳年下の弟がいる。

ケイが僕の弟ならば、車椅子でも生きていける様に出来るだけの物を身に付けさせるだろう。

ケイは最初、僕のお節介を嫌がったが、毎日家にいて、出来ることといえばリハビリをするために病院に出かけるだけだったので、僕との英語勉強を受け入れてくれる様になった。教え始めて気がついたことだが、ケイは本当に頭が良い。

さすが、岡山白陵の生徒だけのことはある。

英単語を覚えるのも早いが、一度教えた英文法は直ぐに記憶し、応用問題にも容易についてこられる。

僕は、ケイに毎日英語で日記を書く様に勧めた。

初めは3行で良いからと言ったが、1ヶ月後にはノート半分、3ヶ月経つ頃には1ページ全文英語で書く程になっていた。

ケイは結局、岡山白陵高校には戻らなかった。一人息子を心配するママさんは半狂乱になったが、パパさんは、ケイを通信制高校に転校させた。

「通信制高校ってどんな高校?」

とさくらに聞いたら、

「学校に登校せずに、レポートなどを提出し高校の単位が取れる高校だよ」

と説明してくれた。

通信を英語で検索するとコレスポンデンスという単語が出てきた。

???と思って、さくらの説明を聞いて、オンラインで高校の卒業資格が取れる高校「オンライン・ハイスクール」が日本にあると、僕は理解した。

僕は、ケイが転校した通信制高校のホームページを英語翻訳にかけ、隅から隅まで目を通すと、海外留学コースがあることを知った。

海外の高校に行きながら、日本の通信制高校の単位が取得できると書いてある。

高校留学の経験を持つエリーの説明では、通信制高校は日本の文部科学省が認めている日本の高校なので、エリーがカナダの高校に一年間留学し36単位を大阪朝陽丘学園高校の単位に移行できた様に、ケイも在学する通信制高校の単位に移行が出来るはずだと教えてくれた。

僕はパパさんに相談する前に、ケイに

「カナダの高校に留学しないか?」

と彼自身の心に響くものがないかを確かめた。

「車イスの僕に出来るかな?」

と意外にも前向きな質問がケイから帰ってきた。

「僕の家族が教育委員会にかけあってみる」

と、僕が日本の高校に留学した様に、ケイもカナダの高校に留学すればいい。

後悔なんか絶対にさせるかよと思い、僕は直ぐにパパさんとママさんに相談し、そして僕の両親に

「一生に一回の僕の願いを叶えて欲しい」

と電話で頼み込んだ。

父親がカルガリー教育委員会に出向き、ケイの受け入れの談判をしてくれた。

僕も父も知らなかったことなのだが、カルガリー市内には、スレッジホッケークラブを持つ高校が一校存在した。

スレッジホッケーとは、下半身に障害を持つ者がアイスホッケーを行えるように改良された障害者のスポーツだ。カルガリー市近郊の高校に在籍している障害を持つ高校生ならば所属できるクラブらしい。

僕が水木ファミリーにホームスティをしていた高校生だった時に、僕はパパさんに

「どうして僕をホームスティに受け入れてくれたんですか?」

と聞いたことがあった。パパさんは

「僕は学生の頃にね、アイスホッケーをしていてね。カナダはアイスホッケー大国だから、カナダに強い憧れを持っていたんだよね。息子のケイにも小学校の6年間アイスホッケーを習わしていたんだよ。関西にはアイスホッケーを教える教室(リンク)がなくてね。やっと見つけた教室に6年間通わせたんだけど、中学生になって地元の友達と遊ぶ時間が減るのを嫌がって、ベン君が来日した時にはケイはアイスホッケークラブを辞めていたんだけどね。君のプロフィールを見た時に、趣味がアイスホッケーと書いてあったから、ケイの良き友達になってくれたらと思いホストファミリーを引き受けたんだ」

と、聞いたことを思い出した。

僕は父に

「ケイは健常者の時にアイスホッケー経験者だ」

と説明し、もう一度教育委員会に足を運んでもらった。

教育委員会は、

「障害者を受け入れてくれるホームスティ先を見つけることは困難だ」

と言うので、父は

「我が家がホストファミリーとなり、高校までの送迎は全てホストファミリーがする。我が子同然として協力するので、高校の受け入れを認めて欲しい」

と懇願してくれた。

9月入学のための入学申込み締め切り日は、奇跡的に一週後だった。

それからケイと水木パパとママの決断は早かった。

留学させると決めた水木ファミリーは1週間という短期間に全ての必要書類を準備し、僕の父はそれらのコピーを持って三度カルガリー市教育委員会に出向いて、9月からケイはカナダの高校への入学が決まった。


 カナダ大使館に学生ビザの申請をし、僕のカナダ帰国の航空券をケイの訪加日に変更し、

僕はケイを連れてカナダに帰国した。

今では、ケイは我が家にホームスティしながら、カナダの高校に通い、校内では車イスで過ごしているが、高校のスレッジホッケークラブに所属し、前向きに障害を受け入れ留学生活を送っている。

僕も幼い頃から地元のホッケークラブに所属していたので、ケイがプレイするスレッジホッケーの練習には必ず同行し、応援にも力が入った。

その半年後の2月にさくらがカルガリー大学に留学してきた。

僕はまるで夢を見ている様だった。

週末になると、僕の家には、僕の家族とケイとさくらが一緒に夕食を食べている。

その光景を目にすると、この景色は夢ではないのかと目をこすって見つめなおしてしまう時がある。


 僕とさくらが初めて性交渉を交わしたのは、さくらがカナダに留学してからだ。

僕の初体験は、グレード10(高校1年生)の時だったが、僕は日本でさくらに手を出すことはしなかった。実家暮らしのさくらに、ホームスティ暮らしの僕が、さくらに手を出せるわけがない。

結局、チキンな僕は日本でラブホテルを利用することさえも出来なかった。

カナダに留学に来たさくらは、再び僕の手の届くところにいたが、ケイが我が家でホームスティしている環境では、なかなか彼女を僕の部屋に誘うことは照れ臭かった。

僕たちが結ばれたのは、さくらの大学寮だった。

僕が関学に留学中に滞在していた国際寮は、1ユニットで4ベッドルームのシェアルームだったので、女の子を寮に連れて来ることは出来なかった。

さくらが入寮したカルガリー大学の大学寮は、個室だったので、男子生徒の僕でも遊びに行くことが出来た。

カナダの大学は日本人が想像を絶するほど広大な敷地内にあり、大学というよりも小さな町に近い。

居住地で言えば、大学寮以外にタウンハウスも完備されている。タウンハウスに優先して入居できるのは、家族を持つ学生だ。家族を持つ学生は夫もいれば主婦もいる。子供がいても大学に通える様に、大学内には保育所もある。なんだってあると言った方が正解だろう。

さくらの部屋は、学生寮らしく、家具はシングルベッドと勉強机だけだ。

クローゼットはあるが、下着などが片付けられるチェストオフドローワー(引き出しが付いた洋服タンス)が欲しいとさくらが言うので、僕たちはWALLMARTに出かけてちょうど良い大きさのチェストオフドローワーを25カナドルで購入した。

あまりの安さにさくらは驚いていたが、アメリカに本社を置く世界最大のスーパーマーケットWALLMARTに行けば、なんだって低価格で売られている。

さくらの部屋に置かれたWALLMARTで買ったチェストオフドローワーの上には、北海道で行われたYOSAKOI SORAN FESTIVALに参加した時の関学よさこい連炎流のメンバー全員と撮った写真が入った写真立てと、僕とさくらとケイと僕の家族が並んで撮った写真が入った写真立てと、もちろんさくらの日本の家族の写真も飾られている。


 何回かさくらの部屋を尋ねたことはあったが、その日はいつもの様にさくらとキスを交わしていたら、さくらが、僕の背中にまわした手がぎゅっと力強く僕を抱きしめてきた。

僕は、それはOKの合図と思い、さくらをそっとシングルベッドに押し倒した。

さくらは、僕の行為の間ずっと目を閉じていた。

北米の女の子なら、激しくキスを要求してきたり、反対に僕の体をキスしてきたりするんだけどな。日本の女の子は消極的なのか? それは、さくらだけなのだろうか?

僕は、右手でさくらのブラウスのボタンを外した。

ブラジャーのホックを外す時には、さくらはそっと背中を持ち上げて、僕を導いてくれている。

露わになったさくらの裸体は、絹の様な白さで、白人のそれとはまた大きく違っていた。

僕はアジア人の女性の裸体を見るのは、これが初めての経験だった。

さくらの胸は、白人の様なグラマラスなものではなかったが、形は綺麗で、僕の大きな掌の中にすっぽりとおさまった。僕は、右の乳房、次に左の乳房を優しく唇で愛撫し、僕の唇はさくらの胸からお腹、そしておへそと下に這わせ始めた。

さくらは目を閉じているが、「あっ」とか「うっ」とか、彼女のセンシティブな部分を愛撫する度に漏れ聞こえてきた。

僕は右手でさくらのパンティの中に手を滑らせると、その密林はとても小さく、まさぐるとクリトリスが見え隠れしている。僕はさくらのバジャイナに口づけしながら、見つけた小さなクリトリスにそっと触れてみると、さくらの体はピクっと硬直した。

「優しくしてね。私初めてだから」

「うん、優しくするよ」

さくらは、バージンだった。

僕は、硬直した僕の下半身をそっとさくらのバジャイナに押し付けると、さくらの顔が傷みで少しゆがんだ。

「痛い?」

「うん、優しくして」

「うん」

僕は、高校時代、数名のガールフレンドとセックスしたが、これほどに痛がった子がいなかったので、どうしたらさくらの痛みを軽減してあげられるのか考えながら、優しく優しく僕の物をさくらのバジィナに挿入した。

やっとさくらの痛みがおさまった箇所を定位置と認識した僕は、腰をゆっくりと動かし始めた。

僕のゆっくりとしてリズムに合わせて、さくらも腰を動かし始めた。

すると、さくらは

「ベン、使ってくれている?」

とそっと耳元でささやいた。

「使っているよ」

コンドーム無しのセックスなんて、僕には出来ない。

僕はクリスチャンだ。

もしも彼女が妊娠することになったら、僕は間違いなく学生結婚する。

赤ちゃんは神様の一人子だ。中絶するなんて僕には考えられない。

そもそも、カナダでは中絶が認められていない。どうしても中絶を希望する子は、アメリカに渡って堕胎の手術を受けている。

カナダの高校には、託児所がある高校が各市に1校は準備されている。

子供を出産した高校生は、校区内の高校ではなく、同市内の託児所がある高校に通っている。

彼女たちが授業を受けている間、託児所に預けられた赤ちゃんは、デイケアの資格を持つ職員が面倒をみてくれる。授乳も、休み時間の度に母親が託児所に来て授乳もできる環境が整っている。もちろん施設の利用料は無料だ。

それくらいに、高校生の年齢で妊娠し中絶できずに出産した子が多いということになる。

僕が大学生になった今では、母は「コンドームは2枚重ねで使いなさい」とまで言わなくなった。僕の年齢で子供が出来たら、学生結婚すれば良いと考えているのだろう。つまり、やっと僕は母親から大人の男として扱われる様になったんだ。


 一年間のカナダ留学を終えたケイは、日本に帰国した。

カナダの高校に1年間留学したことで、通信制高校を卒業に必要とする単位のうち36単位を取得し、大学は北米の大学に進学する準備を始めているらしい。

今度は僕を頼らない様だ。

そして、続いてさくらも1年間の留学生活を終え、日本に帰国し、今は関西学院大学の4年生だ。

僕はカルガリー大学卒業と同時にカルガリーの街を出て、父親の知人の紹介で、バンクーバーにある弁護士事務所で働き始めた。父親の知人から「将来、政治家になりたいと考えているならば、色々な州の弁護士事務所で勉強することが良い経験になるはずだ」と勧められたからだ。

おじさんには言っていない。僕が政治家を志した理由が、ナルトの五影に憧れ、僕も五大陸を動かせる政治家になりたいと思う様になったなんて、言えるはずがない。

政治家になれた時には、僕のオフィスにナルトの英語版を全巻揃えて、この漫画が僕の原点だと胸を張って話したいと思う。


バンクーバーに引っ越し、僕が最初に向かった先は日本の書店ブックオフだった。

しかし、ロブソン通りを何回往復しても、ブックオフが見つけられない。しびれを切らして、日本のラーメン屋の山頭火でラーメンを食べ、お勘定の時にブックオフの場所を尋ねたら、

「ブックオフは閉店しちゃいましたね」

と言われた。

大大大ショックだった。

その帰り、バンクーバー公立図書館にぶらりと立ち寄って、好きなアメリカ作家の小説を探していたら、JAPANESEと書かれた多言語の書籍を扱っているコーナーを見つけた。何気なく、興味のもてそうな本はないかと探していると、懐かしい「MANGA」と書かれたコーナーを見つけた。

駆け寄り、そのコーナーに陳列された漫画本を手に取ると、全て英語版の日本の漫画だった。背表紙を見ると、カルガリーの書店で扱っていた漫画と同値段。しかし、ここは図書館。全ての本が無料で借りられる。僕は既に手に持っていた小説を元あった場所に返し、借りられる限界の冊数の漫画本を借りて、機嫌を良くしてバンクーバー公立図書館を後にした。

ちなみに、バンクーバー公立図書館(Vancouver Public Library)は、建築家モシェ・サフディの作品だが、コロシアムの様なデザインでとてもお洒落だ。コロシアムの中は、図書館のみならず、連邦政府のオフィスや売店などとともに「バンクーバー・ライブラリー・スクエア」として市民に利用されている。図書館には世界の言語の書籍・児童書・雑誌・新聞・DVDが揃っている。

すげ~、大都会バンクーバー。なんだってあるぜ。これなら、ブックオフが閉店しても、へっちゃらだ。


 さくらは関西学院大学卒業と同時にワーキングホリデイイビザを申請し、カナダに再渡航を予定している。

ワーキングホリデイビザとは、二国間の協定に基づいて青年(18歳~25歳または30歳まで)が異なる文化(相手国)の中で休暇を楽しみながら、その間の滞在資金を補うために一定の就労をすることを認められ査証のことを言う。

日本とカナダでは、1986年にワーキングホリデイ制度が開始され、カナダ政府は日本人に対して毎年ワーキングホリデイビザ許可証を6500人分発行している。

日本が提携しているワーキングホリデイ協定国は現在18ケ国もある。

オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、イギリス、アイルランド、フランス、ドイツ、デンマーク、ノルウェイ、韓国、台湾、香港、ポーランド、ポルトガル、スロバキア、オーストリア、ハンガリー、スペインだ。

これだけの国の人々が、ワーキングホリデイの行先に日本を選ぶのには、何か理由や目的があるはずだ。その理由に日本のMANGAの影響力が加味していることは言わずと知れたことだろう。

さくらはすでにワーキングホリデイビザ許可証の発給書を手にしている。3月の大学卒業後直ぐに来加予定だ。


 僕たちの未来は、これかも続くだろう。

僕の両親は、さくらのことを凄く気に入っている。

僕たちが結婚するかどうかはまだ分からない。僕も社会人1年生として、今は自分のことで精一杯だ。

僕は、さくらのカナダでのワーホリライフをできる限り応援するし、これからもずっと僕の横でさくらが微笑んでいて欲しいと思う。


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