第6話 日本のクリスマス・ホリデイ

 冬休みを前にして、クラスではクリスマスをどう過ごすかが話題になった。

どう過ごすって、家族と過ごす以外に、高校生達がどこに行こうとしているのか会話を聞きながら僕は不思議だった。

洋紀は

「24日はUSJのクリスマスパレードを見に行って、25日はみんなで徹夜カラオケがいいじゃねえの」

と言う。

僕は絶句した。

僕の人生で、クリスマスに友人たちと集ってどこかに出かけるなど考えたことが一度もなかったからだ。

カナダでのクリスマスは、24日は親戚全員が我が家に集まり、七面鳥の丸焼きなどのご馳走をたらふく食べるのが恒例だ。

子供の頃はクリスマスイブの夜には、サンタさんのためにクッキーと牛乳、トナカイのために人参を用意して暖炉の下に置いておいた。朝起きると、暖炉に吊り下げられた僕の名前が刺繍されたクリスマス・ストッキングには必ずサンタさんからのプレゼントが入っていたし、サンタさんのために置いたクッキーは食べかすだけがお皿に残り、牛乳は空になり人参の姿もなくなっていた。

幼かった僕は、トナカイが引く橇に乗ったサンタさんが僕の家にやって来たんだと信じていた。

毎年小学校で書いたサンタさんへのお手紙には、欲しいプレゼントを真剣に悩んで書いたし、北極から小学校に届くサンタさんからの手紙の返事も心待ちにしていた。

小学生の高学年になる頃に、やっとこれは子供だましなのだと知るのだが、僕の母は子供たちが大きくなった今でもクリスマスイブにはベッドに入る前には、クッキーとミルクと人参を暖炉の前に置くことを決して忘れない。そして、翌日のクリスマス当日はクリスマス・ツリーの下に置かれている家族や親戚からのクリスマス・プレゼントを開く家族行事は、一年で一番楽しい時間だった。


 クリスマスのあることで、僕はブレーデと口論になった。

ブレーデが

「サンタクロースはノルウェイに住んでいる」

なんて言い出すものだから。

「は? サンタクロースはノースポール(北極)に住んでいるに決まっているだろう。どの絵本に登場するサンタクロースだって北極に住んでいるじゃないか(少なくとも僕が子供の頃に北米で読んだ絵本はそうだった)。それに僕は小学生の頃、毎年アメリカで通っていた小学校で北極に住むサンタクロースに手紙を書いたし、小学校に届くサンタクロースからの返事の住所は北極だったとはっきりと覚えている」

と反論した。

「おまえは、ノルウェイのサンタクロース村を知らないのか? カナダにある道路標識はせいぜい『エルクに注意』くらいだろうが、ノルウェイのサンタクロース村の道路標識には、『サンタに注意』の標識が掲げられているんだぞ」

もちろん僕たちの口論は英語だ。

サンタクロースはどこに住んでいるかで、僕とブレーデの友情にマジでひびが入りそうだった。

決着が付かない僕たちの口論は、クラスメートの日本人たちに真意を正してもらうことにした。

「サンタクロースはどこに住んでいると日本人は思っているんだい?」

とクラスメートたちに聞いたら、

「え? ノルウェイじゃないの?」

「なんか、TVでノルウェイにサンタ村があるって観た様な気もするけど」

などの感想が飛び出してきた。

ばか洋紀ときたら、

「え? オーストラリアじゃなかったっけ?

俺、サーフボードに乗って海パン履いたサンタクロースの切手見たことあるぜ」

と言い出す始末。

多数決を取ると、断トツにノルウェイ派が多かった。

僕はショックだった。

確かにノルウェイは北国ではあるが、それでも今までサンタクロースがノルウェイに住んでいるなんて考えたこともなかったし、ましてや日本人までもそう思っていたなんて。

僕はホームスティに帰って、カナダの親友たちにこの話を聞かせたら、

「日本人は馬鹿か。サンタクロースが住む場所は、氷と雪に覆われた北極と物語では譲れない設定じゃないか」

と僕の思いを代弁してくれた。


 サンタクロースが北極に住んでいると考えない日本人の常識を知り、頭がクラクラしていると言うのに、洋紀から

「ベン、クリスマスは何して遊ぼうか?」

と聞かれた時に、

「日本人はクリスマスを家族と過ごさないのか?」

と聞くと

「小学生じゃあるまいし、日本では恋人同士のための日になっているんだよ。」

と教えられた。

「恋人のための日? デートなら他の日にいつだってできるじゃないか」

と言い返すと、

「カナダではクリスマスイブにはラブホは満室にならないのかよ」

と言われた。

「ラブホって何?」

と聞くと、洋紀は

「お前、ラブホも知らないのかよ。ラブホテルに決まっているじゃないか」

と言って、僕のノートに洋紀はLOVE HOTELと書いたんだ。

僕は英語のネイティブスピーカーだ。それでも、その英単語の意味を知らなかった。

「何、LOVE HOTELって?」

洋紀は最初、「冗談だろ?」と笑っていたが、カナダにラブホがないことを知って驚きだした。

「じゃあ、お前エッチしたくなったらどこでやるんだよ」

と言い出した。

「僕のベッドルームか彼女のベッドルーム」

と言うと、

「すげ―、親にばれないの?」

「ばれる?」

僕はしばらく、その日本語の意味を考えるために沈黙が続いた。

「僕の高校1年生の誕生日プレゼントが収められていた箱の中には、プレゼントと一緒にコンドームが5箱入っていたけど」

「それまじ? スゲエ!」

「母親は、コンドームは1枚じゃ心配だから2枚重ねて使えとまで言って干渉してくるから鬱陶しいけどね」

「参りました!」

と洋紀は僕に向かって頭を深々と下げてきた。

僕たちはその日の放課後に、天王寺まで歩き、洋紀は、ラブホテルという建物の見学ツアーをしてくれた。

冬休みに入ると帰国予定のブレーデも僕たちのツアーに付いてきた。

まだ夕方だと言うのに、僕たちは何組かのカップルがそれらの建物に入っていく姿を目にすることになった。

僕たちは洋紀にお願いしてカメラマンになってもらい、僕はさっきまで口論していたブレーデと二人、ラブホテル銀座の煌々しいネオンをバックに肩を組んで記念撮影をしたんだ。ここは天王寺、なぜに名前がラブホテル銀座なのか僕には全く理解できなかった。

洋紀に聞こうかと思ったが、子供扱いされたくなかったので、聞かないでおいた。

今日この場に来て、建物の外観は全く異なるが、ラブホテルは北米で言うモーテルに近いホテルだと言うことを認識することが出来た。

そう洋紀に言うと、

「モーテル。それそれ、ラブホテルと同じ意味じゃねえのか。日本では、ラブホのことモーテルとも言うぜ」

と言うが、北米で言うモーテルとは、ドライブ旅行者が気軽に、安く泊まることのできるホテルというのが基本コンセプトで、今日目撃したサラリーマン風の男と女が、手を取り合ってこそこそと周りに目を配りながら入っていく怪しげなネオンの建物のことではない。

カナダでも大人たちは、モーテルをラブホテルの様な使い方をしているのだろうか? 

僕が知らないだけかもしれないとも思ったりした。

僕が想像出来る範囲は、コンドームは1枚よりも2枚使用の方が安全ということだけだった。


 僕のホストファミリーの水木さん(この頃には、僕はやっと正しく水木さんと発音ができる様になっていた)の家でもクリスマスを前にして慌ただしくクリスマスの飾り付けが始まった。

水木さんの家のクリスマス・ツリーは今まで見たこともない程に小さな物だった。

僕のカナダの家のクリスマス・ツリーは天井に届く程のサイズで、脚立に乗らないと、ツリーのトップに鎮座しなければいけない星のトップカバーをはめることは出来なかった。水木さんの家のクリスマス・ツリーは中学生のケイの背丈と変わらなかった。日本の住宅事情を考えると、きっとこのサイズが日本のクリスマス・ツリーのスタンダードなのだろうと理解した。

それでも、リビングにクリスマス・ツリーが飾られるだけで、グンとクリスマスムードが広がった。

僕は、日本で過ごすクリスマスは今回が始めてだったので、ホストファミリーと過ごすことに決め、洋紀からの誘いは断ることにした。

ホストのパパさんもママさんもとても良い人だ。とても親切だし、ケイだってとても可愛い。

クリスマスイブには、水木さんの家にはゲストは誰も来なかった。

僕たち4人はママさんの手作りの手巻き寿司をお腹一杯に食べ、そしてサンタさんの砂糖菓子と苺が乗ったホールのクリスマスケーキを4当分して食べた。

「明日のクリスマスは誰の誕生日か知っているかい?」

とケイに聞いたら、

「昨日は天皇誕生日でしょ。えーと明日はサンタクロースの誕生日だろ?」

と、ケイは真顔で答えてくる。

「明日は、イエスキリストの誕生日だぞ。なぜ日本は天皇陛下の誕生日は祝日なのに、イエスキリストの誕生日は祝日じゃないんだ。パパさんは、クリスマスに会社に行くだなんて信じられないよ」

日本に来て4ヶ月が経つが、日本では未だに驚くことばかりだ。

学校は、ぎりぎり冬休みとなりクリスマスはお休みだが、北米でクリスマスに営業しているのは、警察、空港、消防署、と限られた職種だけだ。

翌日のクリスマス当日には、僕はサンタクロースからではなく水木ファミリーから手渡しでクリスマス・プレゼントを受け取った。

僕がスターウォーズ好きだと話したことを覚えていてくれて、僕はスターオーズのスエットシャツをもらった。

スターオーズのスエットシャツは凄くカッコ良くて、直ぐに着て写真を撮り、メープル4の3人にメールで送り自慢した。

パパさんは、僕がプレゼントしてもらったスエットシャツを着用すると

「ベン、そのトレーナーよく似合っているよ」

と言ってくれたのだが、トレーナーって何?

Trainer? 調教師が何だって? 

パパさんの説明では、日本人はスエットシャツのことをトレーナーと呼ぶらしい。

Why Japanese people?


 僕は、Why Japanese people? を決め台詞に使う外国人の芸人が大好きだ。日本語で話す彼のジョークが理解できる様になったのは最近のことだが。実に納得できるし、僕の笑いのツボにはまってしまった。

このお笑い芸人は、日本語の矛盾について指摘し、Why Japanese people? と問い笑いを誘っているが、まさに僕も彼と同じことを感じていた。

日本人はこの単語は英語と思っていることがあるが、それは英語ではないし、反対にそれは英語なのになぜそんな発音で読むのかと考えさせられることが多い。

トレーナーはその一つだが、衣服で探せばパーカーって何だ。フーディのことらしい。

身近な物を探せば、ノートパソコンって何だ。ラップトップのことらしい。

アルバイトって何だ。パートタイムジョブのことらしい。

朝日丘学院高校の英語国際科の生徒達もそうだったが、日本人は勝手に英語だと思いこみ、英会話に英語ではない単語を織り交ぜて喋ってくるから、僕には理解不能になってしまう。

例えば、He is a very famous Japanese movie director. (彼はとても有名な映画監督だ)と言いたいのだが、ヒィ イズ ア ベリー フェーマス デイレクターと発音したりする。

だから僕には通じないのだ。

ディレクターって何だ。 

紙に英語を書いてもらって初めて僕は、ダイレクターだと理解ができる。

日本に来て驚いたことは数知れないが、その一つに、TVタレントやクラスメートでさえも、「Oh my god! オーマイガッド」という言葉を良く使用している。

この意味を分かって使っているのだろうか。

カナダ人の僕でさえ、神様をバカにした様なこんな汚い言葉は使わない。僕が家で使ったら、家族全員に白い目で睨まれるだろう。

日本人の皆さん、代わりにOh my gosh! オーナイガッシュに代えて使って欲しい。

さらに言おう、クラスメートの女の子が、僕に「shit」シィットと言ったんだ。

僕は自分の耳を疑った。

カナダの高校の女の子が、こんな汚い言葉を使っているのを聞いたことがない。僕はそう考えると、日本人がしかも女の子がシィットと言ったことがおかしくなって、彼女の前でお腹を抱えて笑ってしまった。

しつこい様だが、この程度の話は尽きることがない。


 先日、水木ファミリーと一緒に、家で音楽番組を観ていたんだ。

司会者が紹介した広島出身のロックバンド、ポルノグラフィティと紹介した。

僕は、飲んでいた珈琲を思わず吹き出してしまった。

ポルノグラフィティって、Why Japanese people? と叫びたくなった。

意味分かって使ってんのかよ? それもバンドの名前にだぜ。

ポルノグラフィティの意味をここに書いておこう。ポルノグラフィティとは、エロ写真という意味なんだよ。このバンドがエロ写真と日本語の名前でデビューしていたとしても、こんなに売れたんだろうか?

ポルノグラフィティって、お笑い芸人の芸名としか考えられないじゃないか。

僕が珈琲を吹き出してしまったので、ママさんが慌ててタオルを持ってきてくれた。

「ママさん、ごめんなさい」

「いいのよ。何か面白いこと、TVで言っていたかしら?」

「いやーバンド名が面白すぎて」

と説明しようとしたら、司会者が次のミュージシャンの紹介をした。

「お待たせしました。次はキンキキッズのお二人です」

僕は、再び珈琲を吹き出しそうになったが、手にしていたタオルをクチに抑えたので、ぎりぎりセーフだった。

キンキキッズって、なんなんだよと思いTV画面に視線を戻すと、画面の下の方にグループ名と歌のタイトルがテロップで紹介された。

テロップを見るとKinki Kids だった。良かった、Kinky Kids じゃなかった。

発音は同じだが、IかYで意味は全く異なる、Kinkyの意味は変態という意味を持つ。

「変態の子供達」って、こんなアイドルぽい男の子たちなのに、すげ~名前だ。

もう僕は笑いが止まらなかった。

一人で泣き笑いしていると、パパさんとママさんとケイは3人で見つめ合い、

「ベン大丈夫?」

と聞いてくる。

ポルノグラフィティとキンキキッズの名前が面白すぎると意味を説明すると、3人も大笑いし、パパさんが

「私は近畿大学を卒業しているんだけどね、私の母校は変態大学ということかい?」

と聞いてくる。

Kinky University? ブハハハ もうだめだ。

誰かが僕を笑い殺すつもりでいるらしい。

僕は泣き笑いが止まらなくなった。

パパさんは

「それでか、近畿大学が昨年英語表記を変えたとニュースで報道していたわ。英語名はKindai University に変更したらしい。なんでやろと思っていたら、そういう意味やったんか。そりゃ、国際学部を新設した大学名が変態大学とはよう言わんわな。ハハハハハ」

その通りだ。僕の私の大学名は変態大学ですと紹介したい学生などいる訳がない。いるならば、まさにそいつが変態だ。

僕は、帰国前にパパさんに頼んで、近畿大学に連れて行ってもらった。

僕の目的は、近畿大学の生協で、近畿大学のロゴが入ったグッズを購入するためだ。

きっと世界でここだけのはずだ。世界中のどこを探したって、大学の名前が「変態大学」なんて見つけられるはずがない。

僕は、Kinki Universityと書かれたボールペンを4本と僕のためにベースボールキャップを購入した。ミッチョたちがボールペンを手に取り、笑い転げる姿が目に見える様だ。


僕が日本に留学に来て3ヶ月を過ぎた頃から、僕と彼女のアビリルとはフェイスタイムの遣り取りが少なくなり、年が明ける前に、僕からアビリルに別れを告げると。彼女も反対はしなかった。

僕が来日したばかりの頃に、エリーに連れられてキデイランドに行った。

キデイランドは見事なほどにファンシーの世界だった。

アビリルは、Hello Kitty が大好きで、北米でも売られているHello Kittyグッズを集めていたので、僕はキデイランドで、アビリルの喜ぶ顔を思い浮かべながら、アビリルへのお土産を探した。

大阪のキデイランドには、関西限定品と書かれたHello Kittyの販売コーナーがあった。

そこには、Hello Kittyがたこ焼きの上の乗っているキーチェーンや、大阪城の前で着物を着たHello Kittyが印刷されたタオルなどが売られていた。

「見つけた!」

僕が思わず声に出して、関西限定品コーナーで僕が見つけた物は、

トラの着ぐるみらしき物を来たHello Kittyが、ちょこんとボールペンの上に乗ったペンに

「なんでやねん」と書かれている。

色違いのペンには「すきやねん」と書かれている。

大阪に来る機内で出会った関西出身の陽子さんから教えられた関西弁、実際に誰かが使っているのを聞いたことはなかったけれど、確かにここで使われていた。

僕は思った。Hello Kittyは大阪では、「まいどネコ」が正式名なのではないかと。


アビリルへの別れは、僕から言い出したことだったけれど、少なからず僕は傷ついていたので、大晦日には洋紀からの誘いを断り、僕は水木ファミリーの家の大掃除を手伝って過ごした。

夕食には、年越しそばという名の麺類が出てきた。僕は日本のラーメンが大好きだ。カルガリーにも日本のラーメン店はあり、カナダ人にも人気がある。夕食は麺類だと聞き喜んでいたら、一口食べたら、なんだかラーメンとは全く異なる味がした。不味くはないが、美味しいとも思えなかったけれど、上に乗っていた海老のてんぷらは極上だった。ママさんが作ってくれる天ぷらは間違いなく世界一美味い。

僕たちは年越しそばを食べながら、紅白歌合戦という番組を観ていた。

歌番組だったので、会話を聞き取る苦労もなかったので、僕も一緒に年越しそばを食べながら家族で紅白を観ていた。

番組の終わりに、良く知る音楽が流れ出した。「オールド・ラング・サン」だ。

北米でも、大晦日のカウントダウンにこの歌を皆で合唱して新年を迎えるのだ。

僕は思わず、声に出してオールド・ラング・サンを英語で歌いだしたら、パパさんもママさんも目を丸くして、

「どうして蛍の光を知っているの?」

と聞いてくる。

「これは英語の歌だよ」

と言うと、「知らなかった」と二人は驚嘆している様だ。

ママさんは

「この曲を聞くと、自然に涙がでちゃうのよね」

と言う。

涙? そんな言葉が一番似つかわしくない曲なのに、蛍の光っていったい何なんだ。

「この歌を聞くと、みんなにハイタッチをしたくなる曲だよ」

と僕が言うと、

「お国違えば、なんとやら」

と聞いたことがない言葉がママさんから飛び出し、僕は思わず単語帳にその言葉を書き加えたんだ。

12月31日、今年を振り返り、手に持つ単語帳の1ページ目に書かれた単語が目に飛び込んできた。

大阪に来る飛行機の機内で偶然隣に座ったバンクーバー在住の大阪出身の陽子さんが書いてくれた大阪弁リストだ。

日本に留学して4ヶ月が経ち、まだまだ日本語は下手くそだけれど、それでもここに書かれた大阪弁の意味は分かる様になった。

「もうかりまっか?」

「ぼちぼちでんな」

「まいど」

「おおきに」

これらの大阪弁を関西に来てから一度も聞いたことがない。

一度洋紀に、

「これらの大阪弁はどんな時に使えば良いのか?」

と聞いたことがある。

「誰がお前に教えたんや?」

「大阪に向かう飛行機の中で隣に座った大阪出身の女の人」

「さすが、大阪のおばはんやな」

と言う洋紀だったが、洋紀のお母さんだって、正真正銘の大阪のおばはんに違いないはずなのに、家に何度も遊びに行ったことがあるが、洋紀のお母さんもこれらの言葉を使っているのを聞いたことがない。

「俺のおかんか、せやな。時々使ってるかもしれんな。俺ら高校生は使わんけどな」

「エリーも、おばはんになったら使うんか?」

「せやな、使うかもしれへんな」

僕がカナダから持ってきた電子辞書には、これらの関西弁の単語は検索ができない。

「陽子さんが書いて教えてくれた関西弁は、いったいいつつこうたらええねん?」

僕は大阪弁で声に出して、そうつぶやいてみた。

洋紀は

「おっさんになった時、使うんちゃうか」

と教えてくれた。


 一月一日、元旦ニューイヤーデイ。

僕は水木さんのお母さんが住む家に、水木家族と一緒に出かけた。

僕は朝から何も食べていなかった。

ママさんが、

「今日は、水木家に午前10時に到着し、家族みんなでご馳走頂くからお腹をへらしておきなさい」

と言われた。

車で5分。

水木家のグラマーズハウス(お婆さんの家)はこんなに近かったのだ。

グラマーの家はとても大きな家だった。

日本で見た家の中では一番大きいかもしれない。

日本で、屋内にガレージが併設されている家を見たのも始めてだった。

水木さんのお母さんは、パパさんのお兄さん家族と一緒に暮らしているらしい。

パパさんのお父さん(お亡くなりになったそうだ)は歯医者さんで、パパさんのお兄さんがデンタルクリニックを継いだのだそうだ。この大きな家の意味は、それかと知って納得した。

グラマーの家には大きなダイニングテーブルがあり、キッチンから不足する数の椅子を運んだら、水木家全員11名が大きなダイニングテーブルに集うことが出来た。

おせち料理と呼ばれるニューイヤーフードが沢山テーブルに並んでいた。

パパさんのお兄さんが新年の挨拶をされ、僕たちひとりひとりが新年の豊富を話させられた。

僕は、日本にもカナダと同じお正月の習慣があることを知り嬉しくなった。

僕のカナダの家でも元旦には、お父さんから順番にNew Year’s resolution(新年の抱負)を述べさせられたのだ。

中学生のケイは

「灘高校受験に向けて一生懸命勉強します」と言った。

僕も真似て

「日本の高校で一生懸命勉強します」

と言っておいた。


 新年の豊富を述べ終えると、大人たちがお年玉袋を子供たちに渡し始めた。

僕も、お婆ちゃん、パパさん、パパさんのお兄さんから、お年玉袋を頂いた。

家に帰って、中身を見て僕は仰天した。

3人ともに封筒の中には一万円札が入っていた。こんなことがあっていいのだろうか。

カナダにはお年玉の習慣はないが、クリスマスにはプレゼントと一緒にお金をもらったりするが、親からでさえも高くて50ドル(約5,000円)、親戚からとなるともらえて20ドル(2,000円)が平均的にもらえるお金の相場だ。

僕の様な赤の他人にそれぞれ100ドル(一万円)あげる様な気前の良い人間に、カナダで出会ったことがない。

「凄いぜ日本! 愛してるぜ!」

と僕は叫んでいた。


 翌日の2日は初詣に行こうと、僕たちは車で伊勢神宮という所に出かけた。

かなり長時間車を走らせたが、パパさんが

「伊勢神宮には、日本のトップ3に入る、位の高い神様が住んでおられる、とても有難い場所なんだよ」

と説明してくれた。

クリスチャンとして育った僕に、神様にトップ3と言うランキングがあることも知らなかったし、ジーゼスクライス(イエスキリスト)はどのくらい位が高いのかなと考えてみたが、考えること自体が神様に失礼な気がして考えることをやめた。

それでも伊勢神宮に到着すると、清らかな気持ちになり、クリスチャンの僕は、ママさんがくれた5円玉をお賽銭箱に投げ入れ、見よう見まねで手を合わせて、この場に来られた幸せに、日本の神様にお礼を伝えたんだ。

わずか5円(5セント)で願いを叶えてくれる日本の神様って、すげえと僕は感心した。

イエスキリストは、全ての恵み(収入)の1割を教会に還元する様にと言っているのに(聖書に書かれている)。

僕は、高校生の時にアルバイトをしていたけれど、その時も給料の1割を僕の家族が通う教会に寄付してきている。

大阪朝陽丘学園高校の英語国際科の女子たちは

「クリスチャンって何かカッコ良いよね。私もクリスチャンになろうかな」

なんて気軽に言うものだから

「給料の1割を教会に寄付できるか?」

と聞いたら、

「嘘やん、クリスチャンになったら給料の1割を教会に寄付せなあかんの? それまじ? 無理無理、絶対に無理だし―。私クリスチャンになるの諦めるわ」

と即答されてしまった。

僕もまだ年齢的に若いので、1割の支払いには抵抗を感じる。

でも父と母は、

「神様に与えて頂いた恵みのたった1割を教会に還元するだけで、どれだけの幸せを与えて頂いているか考えてみなさい」

と言う。

確かに、僕の家族は全てについて幸せの中で暮らしてきた様に思う。

僕には上手に説明できないが、

「God lives here」

と言って、右手で左胸を叩くのは、僕の癖になっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る