第4話 THE・大阪のハイスクールライフ

 登校日初日がやってきた。

僕は6時半に家を出るために、どうしても僕は朝にシャワーを浴びる人なので、5時半に起床した。

ママさんは僕のために6時前に起きて、僕のために朝食を作ってくれていた。

僕は小学校に入学してから朝食を自分の母親に作ってもらったのは土日だけだ(土日はブランチとしてパンケーキを焼いてくれる)。

平日の朝はどうしていたかと言うと、自分でパントリー(食品庫)から好きなシリアルを持ってきてボール皿に入れて牛乳をかけて食べる、それが朝食だ。冷蔵庫にフルーツがあれば、フルーツナイフで果物を切って、シリアルの上に乗せる程度だ。

僕の友人の誰に聞いても、平日の朝ご飯は皆そんなものだった。

カナダ人の家のパントリーを開けると、スーパーに陳列されているかの様に、バラエティー豊富なシリアルの箱が並んでいたりする。

日本のスーパーには、シリアルの種類が少ないので、反対に日本人はあまりシリアルを食べないと知り驚かされた。


 僕はママさんに

「僕のために朝早く起きなくていいよ。僕は大人だから、自分で朝ご飯くらい準備できます」

と伝えたのだが、ママさんは僕の留学期間、毎朝僕のために朝ご飯を作ってくれた。

ママさんは、朝からソーセージやベーコン、目玉焼きやスクランブルエッグを焼いてくれたりした。こんな豪華な朝食が食べられるのは、僕のカナダの家ではお休みの日のブランチくらいだった。特に僕が日本の朝食で感動したことは、パンの美味しさだ。

ママさんにそう言うと、

「6芹100円のスーパーで売っている食パンよ」

と言うけれど、こんなフワフワの食パンを北米で食べたことがなかった。

日本のパン屋を巡ると、お菓子パンが多いことは不思議だったが、日本のパン屋は北米の高級洋菓子店の様だ。世界中を巡ったことがあるわけではない僕だけれど、日本のパンの美味しさは、きっと世界一に違いない。


 ケイは徒歩30分圏内の中学校に通っているので、僕が家を出る時には、彼はまだ寝ている様だった。

通学が始まってからは、ママさんは僕のために朝早く起きて学校に持っていくためのお弁当まで作って手渡してくれた。

カナダでは給食がないので、僕の母もお弁当を作ってくれたが、それは小学生の頃のことだ。

僕が高校生になった時から、昼食はお弁当ではなくお金にして欲しいと母にお願いした。

カナダの高校にはカフェテリアがあり、そこでハンバーガーやフレンチフライなど購入できるし、学校にはフェンス(学校を囲む塀)がないので、休憩時間に学校の外のレストランに自由に食べに出かけても構わなかった。

生徒の中には、自宅に帰って母親にランチを作ってもらい、食べ終えてから学校に戻ってくるやつもいた。

僕は、ミッチョたちといつも近所のレストラン(ピザ屋やパスタ屋)やスターバックスに昼食を食べに出かけていたので、お弁当を持って登校する行為は幼いと思っていたからだ。

日本で久し振りにお弁当を渡され、それも自分の母親ではない人が、朝早く起きて僕のために作ってくれている姿を見ていたので、僕はママさんからお弁当を受け取った時に、なぜだか泣きそうになった。

そして、頭の中では「お弁当箱の唄」がリフレインしていた。


 大阪朝陽丘学園高校での新学期の始業式では、先生方の挨拶が終わると、僕の名前が呼ばれ、僕は体育館のステージに立ち、まずは英語でスピーチをしたんだ。

ステージ下に並ぶ多くの在校生たちからの反応は殆どなかったのだが、その後に僕が日本語でスピーチをすると、大きな歓声と拍手が沸き起こった。

僕の視界にはなぜか女子生徒の姿しか入ってこなかった。

なぜなのだろうと少し気になったが、緊張していたのでその疑問は直ぐに僕の脳裏から離れていった。

始業式が終わり、僕は外国人の英語の先生(白人のオーストラリア人だった)を紹介され、

「何か困ったことがあれば、彼に相談するといい」

と藤原先生に言われ、オーストラリア人の先生と簡単な挨拶を英語で交わしたが、彼もまた、オーストラリア訛りのイケていない英語だった。

北米(アメリカ・カナダ)出身の僕は、英語はやはり北米英語の発音が一番美しいと思っている。

そんな僕でも、ブリティッシュ英語(イギリス英語)の発音は嫌いじゃない。イギリス人ぶって気取ってブリティッシュ英語を使ってみることがあるくらいだ。

僕は藤原先生に連れられて、英語国際科の2年1組のクラスに移動した。

僕が教室に入ると、教室内に黄色い歓声が沸き起こった。

そんな中、クラス担任だと言う山上先生が僕を黒板の前に立たせて、

「彼がカナダからの留学生で、君たちのクラスメートになるので、仲良くする様に」

と生徒達に向かって話をしている。

僕は今、僕の目の前にいる生徒達を見て絶句している。

なぜなのだろう。

男子の姿が1人、2人、何回数えなおしても2人の男子生徒しかいない。

その他全員が女子生徒なのだ。

僕は、先生の話が終わると、女子生徒たちに取り囲まれ、まるでジャスティン・ビーバー(彼もカナダ人だ)にでもなったかの様に、彼女達から囲みインタビューを受けることになった。

「ベンは彼女いるの?」

「ベンは、日本の何のアニメが好きなの?」

「ラインID教えてよ」

などなど、彼女たちは一斉に話してくるので、聞き取るのに苦労していると、

その僕の姿を遠くから冷やかな目で二人の男子生徒が見ている光景、これは一体どういうことなのだ。


 「今日は授業がないので、もう帰って良いぞ」

と山上先生に言われ、隣の教室から僕の様子を見に来たエリーに

「この学校はどうなっているんだい? 男子生徒はどこに姿を隠しているんだい?」

と聞くと、エリーは

「私、言わなかったっけ? この高校は元女子高校で近年共学校になったばかりなの。だから男子の数が極端に少ないのよね。普通科に行けば、もう少し男子の数も多いんだけど、私達が入った英語国際科は女子ばっかりなんだよね」

と言うではないか。

「聞いてないし」

と少しふくれ面で言うと。

「ごめんって」

とエリーが素直に謝るから僕は何も言えなくなった。

ホームスティ先に帰宅した僕は、すぐにメープル4の三人にフェイスタイムで今日の出来事を伝えると

三人は大笑いで

「最高じゃないか! まるで人生の楽園だ」

と僕を羨んだ。

「人ごとだと思って、僕の立場になって考えてみろ」

と言ってやりたかったが、自分で決めたこの日本留学をこれ以上ネガティブな感情に押し下げたくなかったので、僕はこの楽園を楽しむことにした。


 僕のクラスには男子生徒が2人いる。

二人の名前は、洋紀と寛貴、両方共にヒロキだった。

僕は心の中で、彼らをヒロキ軍団と呼んだ。たった二人なのにと笑うだろうが、僕にとってはクラスメートの男子全員がヒロキなのだから、まさに彼ら二人は僕にとってヒロキ軍団だったのだ。

ヒロキ軍団は、決して親しそうではなかった。また極端に異なるタイプの二人の様に僕には見えた。

茶髪に染めた少しチャラそうな方が洋紀で、どこに行けばそれほどに分厚いレンズの眼鏡が買えるのかと思うほどの超ド近眼眼鏡をしているのが寛貴だった。

僕はまんまと洋紀の仲間に入れられ、校内では僕は常に洋紀と一緒に過ごすことになった。洋紀にとっては、唯一の友達が寛貴であっても良いはずなのに、洋紀の友達は全員、校内で目立つタイプの女子生徒たちだった。

そのため、僕も必然的に彼女たち(男は僕と洋紀だけ)と放課後も一緒に遊ぶことが多くなった。洋紀がつるむ女子生徒たちは必然的に僕の友達となっていったが、その中に照美という女子生徒がいた。彼女はみんなから「テルミー」と呼ばれていた。

「テルミー聞いてよ」

「テルミー何してるのよ」

「テルミーも行こうよ」

女子生徒達は、照美をこんな風に呼びかけるんだが、僕は心の中で「何て可哀そうな名前なんだろう」と思っていた。

名前が「Tell Me」だなんて、信じられないと思ったが、照美の本名が小野照美さんだと知った時には椅子からずっこけてしまった。

名前が「Oh No! Tell Me 」なんて人と日本で出会うなんて信じられなかった。

照美はエリーと同じく、高校1年生の9月から2年生の6月までアメリカの高校に留学していたらしく、留学期間は名前のことでとても恥ずかしい思いをしたそうだ。

特に留学生は、どのクラスに行っても自己紹介をさせられるので、名前を言う度にクラスメートたちから失笑されていたそうだ。それで、先生が照美に英語のニックネームを付けてくれたと言う。照美はアメリカではトレイシーと呼ばれていたらしい。先生は Terumi

のTからは始まる英語の名前を考えてくれたのだろう。

日本帰国後、日本のクラスメートたちからテルミーと呼ばれる度に、照美は「トレイシーと呼んで」と言い続けていたが、留学に行く前にテルミーと呼んでいた友達が、帰国後トレイシーに名前を変えたと言われても、なかなか受け入れてはくれない様子だ。

テルミーかトレイシー、僕だって間違いなくトレイシーと呼ばれたいだろう。


 僕はこの高校に入学して驚きの連続だったが、一番驚いたことは、彼らの放課後の過ごし方だった。

彼らの遊ぶ場所は、喫茶店でもなく、映画館でもなく、モールでもなかった。

もちろん、喫茶店や映画館やモールに行くこともあったが、週2日は放課後に彼女たちが遊びに行くところが決まっていた。

それは、ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)だった。

カナダは、アメリカと比較したら田舎かもしれないが、カルガリーにだって遊園地はある。何より、僕は幼少期をアメリカのニューヨークで育っている。

そんな僕でも、ディズニーランドやユニバーサルスタジオはアメリカにあるもので、一生のうち数回スペシャルなイベントとして旅行で行く所だと思っていたのに、大阪朝陽丘学園高校の高校生たちの多くがUSJの年間パスポートを所持していて、放課後にマクドナルドに行く感覚でUSJに行くのだ。

僕は洋紀に始めてUSJに誘わられた時に、

「今からだと時間が勿体ないから、日曜日に行こう」

と行ったら、

「勿体ない」の意味を理解してくれなかった。

そりゃそうだろう。

週2日行くと計算すると、1年間で年パスを利用して100回近く通っているUSJに行くのに、放課後の時間からだと勿体無いわけがないのだから。

大阪朝陽丘学園高校の近くには、USJだけでなく、日本一の高層ビルのアベノハルカスや天王寺動物園だって学校から歩いて行くことが出来た。

カナダの動物園では、ライオンやトラは広大な敷地で放し飼いされている。

僕らはフェンス越しに野生動物が広大な草原を駆け巡る姿を見ることが出来る。

僕は天王寺動物園にいる野生動物を見た時、ショックでその夜眠ることが出来なかった。僕の部屋よりも小さな檻の中で、驚くことに走るために生まれてきたチーターが、ノイローゼの様に6畳程の檻の中をくるくるとまわっていたし、シロクマが僕のスペインに住む婆さんの家のパティオにある噴水ほどのサイズのプールで泳いでいた。

そして、通天閣にも登ったが、カルガリーでは見たことがない、まるでマフィアが住む街の様な佇まいに、ここが本当に日本なのかと疑ったほどだ。

通天閣だけに留まらず、大阪は本当に不思議な街だった。

大阪の街は、裕福と貧困が混ざり合い、それを誰も意識せずに暮らしていることに、ただただ驚くしか僕には出来なかったのだ。

とりわけ、カルガリーから来た田舎者の僕にとっては、大都会大阪での高校生活はかなり刺激的だった。


 大阪での留学生活は最高だったが、北米にあって大阪にないものもあった。

僕は、カナダの高校に通っていた時にA&Wでアルバイトをしていた。

A&Wは、北米で有名なハンバーガーチェーン店だ。北米には、ハンバーガーチェーン店は、マクドナルド、バーガーキング、アービーズ、ウェンディーズ、と色々あるが、僕がA&Wで働いていた理由は、ただ一つ。A&Wのルートビアが大好きだったからだ。

ルートビアはビールじゃない。炭酸飲料だ。日本でA&Wがないはずがないと思い、ネットで検索すると、沖縄県に行けばA&Wがあるらしいが、東京にも大阪にもA&Wは見当たらなかった。

僕にルートビアの禁断症状が現れ始めた時に、ソニープラザというお店で、ルートビアの缶を販売しているのを偶然見つけた。一缶200円だった。カナダの倍の値段だったが、それでも嬉しかった。

僕はソニープラザで歓喜の雄叫びをあげて、そこで喜びの小躍りを披露した。

隣にいたエリーからは

「ここは日本よ、小躍りしない!」

と怒られた。


 もう一つ、日本にないものがある。

コーヒーショップのTim Hortons がない。

スターバックスは山ほど目にするのに、Tim Hortonsはなぜにない。

カナダでは、スターバックスよりもTim Hortonsの方が店舗数は多いと思う。

その理由は、顧客数がTim Hortonsの方が多いからだ。

Tim Hortons のICED CAPP は沖縄県にもソニープラザに行っても手に入らなかった。

「Tim Hortonsに行きて-----」

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