第35話 【短編】 いつもの日常
ここ最近、ハゼルはとっても快適だった。
ふかふかのベッドに、適温な室内。そして一面の窓から望める眺望。海。そして美味しいご飯。
洗濯だって、ホテルのスタッフにお願いできるし、ルームサービスでジュースやフルーツは食べ放題。それだけでなく、市場に向かえば美味しい屋台がたくさんあって、賑やかで、幸せそうで。
何より金銭的心配が一切ない。今まであちこちでバイトしたり、内職したりして少ない給料の足しにしていたのだ。あのフォウでさえ内職をしていたくらいには生活に余裕はなかった。
そう。ハゼルはとっても快適だった。
だから、ハゼルは同時に危機感も持っていた。
「このままじゃ、うでがおちそうなきがする」
楽なのは良いことだ。
だが、楽すぎることは毒だ。せっかくフォウから教えてもらった色んな知識や技術がダメになってしまいそうだった。
ハゼルにとって、それは宝物であり、手放したくないものだ。
ならば、やるべきことはひとつ。
できることはやる、である。
まずは洗濯だ。幸いにしてケガも癒えたので、もうスタッフに甘える必要はない。
早速お願いして、洗濯場を借りた。
「よーしっ」
さっと腕をまくり、まずは下着類をさっさと洗っていく。
フォウも自分の下着はさすがに自分で洗うようにしている――今は静養しているのでスタッフにお任せだ――ので、これはハゼルの分だけだ。
ごしごしと丁寧に洗って、さっと水でそそいで脱水。
後は干すだけだ。パンパン、としっかりとはたいてから物干し竿につるしていく。
結構な力仕事だが、ハゼルはそこまで苦ではない。
次に、フォウの着物だ。
着物はさっきのようにゴシゴシとは洗えない。
大きいたらいに少し冷たい水をはって、洗剤を溶かしいれてから水にしたし、ゆっくりと押し洗いする。無理にこすったりする必要はない。そんなことをすると縮んでしまうからだ。
丁寧に押し洗いして、しばらく付け置きしてから水でしっかりとそそぐ。
後はキレイに干すだけだ。
脱水はしない。
これも縮んでしまうからだ。それだけに着物は水をたっぷり吸いこんでいて重いのだが、ハゼルはやはり気にしない。獣人だから筋力はあるのだ。
「ふう、こんなものかな」
納得のいく出来に満足していると、視線を感じた。
振り返ると、影から熱視線を送ってくるイリスがいた。
妙な迫力にびくっと肩を震わせると、イリスは足音さえ立てずに忍び寄ってくる。
「ハゼル」
「は、はい? こんにちは。ケガはもういいんですか?」
イリスもアデルの計らいでスイートルームの一室にいる。こちらも休養のためだ。まだ完治ではないはずだが、十分に動けるくらいにはなっているらしい。
「問題ないよ。派手に暴れるのはまだダメだけど」
そういうイリスは機敏に動いて見せた。
イリスの受けたケガは神によるもので、治癒魔法の効きが悪い。だからどうしても自然治癒に頼るしかないのだが、どうも元々の治癒能力が高いようだった。
ハゼルは安堵しつつも苦笑する。
「あの、それで、どうしてここに?」
「うん。そっちの部屋にいったら、ハゼルがここにいるだろうって聞いてさ」
「そうだったんですか。ちょうどせんたくしてたんです」
「見てたよ。恐ろしいまでの手際だった……!」
イリスは悔しそうに握りこぶしを作り、眉根を寄せて言う。
「その小さい身体で健気に頑張る姿はきゅんきゅんと来るんだが、けどその完璧具合に、こう、女子として敗北した気持ちになるんだ……っ!」
「そ、そうなんですか?」
「そうだ! つまりだな、私に掃除とか料理とか教えてくれないか?」
いきなりイリスが提案すると、がっつりハゼルに詰め寄ってくる。その威圧に負けて思わずあとずさりするが、イリスの方が早い。
あっという間に手を取られてしまった。
「頼む……! 私を女にしてくれ!」
瞬間、周囲がざわり、と色めきたった。
「え? あ、はい。ボクでよかったら」
ハゼルが戸惑いながらも答えると、さらに周囲が色めき立つ。
イリスは自分の発言がどういうものかを自覚していないし、ハゼルはそもそも知らない。ツッコミがいない最中、周囲は好奇の視線を注ぎつつそそくさとどこかへと消えていった。
「じゃあまずはせんたくからですね。といっても、ボクはあとタオルくらいなんですが」
「問題ない。私もこの布を洗いたいんだ。いつもはストールにしてるんだけどな」
砂漠色の布をイリスは取り出す。丁寧には扱っているが、少し汚れがあった。
ハゼルはまじまじと観察してから手触りを確かめる。
「なるほど。まるあらいしてもだいじょうぶそうですね」
「とにかく頑丈で手入れが楽なもの、でオーダーしたものだからな。メンテナンスに高額をかけてられない。消耗品だし」
「せんとうがありますからね」
ファッション目的ならばメンテナンスにも金をかけるものだが、イリスの場合は動き回るし戦闘もする。しかも剣術となれば接近戦だ。汚れるし破損するリスクはかなり高い。
妥当な判断だった。
ハゼルはさっそくたらいの水をはりかえる。水資源が豊富すぎるくらいな南港町は、いたるところに井戸があった。
「じゃあ、まずはみずにつけて、こうぬらして……それからせっけんです」
「ほうほう」
「よごれているところをじゅうてんてきに、こうすりこませて」
「ほうほう」
「あとはあわだてながらゴシゴシと」
「ふむふむ。ふんっ!」
「いやちからいれすぎですよ? やぶれますよ!?」
引きちぎる勢いで洗い始めたイリスを、ハゼルは咎める。
「む? そうなのか?」
「いくらがんじょうでも、げんかいがありますから」
「むう。いつもはこれくらいなんだが」
「きじをむだにいためます。こう、ゴシゴシとよごれをおとすイメージで」
「難しいな……」
イリスはそれからも悪戦苦闘し、なんとか洗濯を終える。
「せんたくはちからしごとですけど、ちからをいれすぎちゃダメですよ」
「うむ。分かった。じゃあ次はごはんだ。ごはんの作り方を教えてくれ」
ふう、と額を拭いながら、イリスは爽やかに言った。
「ごはん、ですか? どういうのつくりたいんです?」
「簡単だけど女子力があふれるものがいいな」
「な、なるほど……? じゃあビスケットとかどうですか? ほぞんしょくにもなりますし、つくりかたをすこしかえたらおかしにもなりますし」
「おお、それはいいな! じゃあ早速食材を買いにいこう! 何がいる?」
「こむぎととバター、さとう、ミルクがあればできます」
「そんなものでできるのか?」
「はい。かんたんですよ」
ハゼルはにこっと笑った。
早速イリスは材料を買ってきて、調理を始める。
「まずはバターとミルクをひやしておいて、それから、こむぎと、さとうをこうなじむようにまぜて、あとはミルク、バターをくわえてねりこんで、しっかりとのばして、くうきあなをあけて、すこしねかせます。あとはオーブンでやくだけですね」
「本当に簡単なんだな……」
「ジャムとかあるともうおかしですね。ねかせておくあいだにつくりましょう。ちょうどここにフルーツありますし」
「ジャムもつくれるのか!?」
「これもかんたんですよ。このフルーツなら、かじつにたいしてごわりくらいのさとうをいれて、あとはレモンかじゅうをたして、くつくつにこむだけです。こがさないようにしてくださいね」
火に鍋をくべながら、ハゼルは手際よく作っていく。イリスもそれに真似るが、本当に難しくない。
それでも悪戦苦闘するのがイリスだが。
くつくつ煮込んで混ぜ、あくを取る作業中に「肉なら焼くだけなのに……」とボヤいていた。
「しあげに、ちょっとだけリキュールをいれます。あ、やけたビスケットもあらねつがとれましたね」
「おお、良い匂いだ」
「味見どうぞ」
「うむ。まだあたたかいな。おお、サクサクで美味しい! 素晴らしいな!」
「あとはこうちゃをいれてかんせいですね。おししょうさまのところへもどりましょう。おちゃかいですね!」
嬉しそうにはしゃぐハゼルに、イリスは大きく頷いた。
ホテルのスタッフにお願いして茶器セットを借りて、スイートルームへ戻る。すると、難しい表情のフォウがいた。
というか、二人を見るなり怪訝な表情になった。
「どうしたんだ?」
「いや、変な噂を聞いたんだけどね。イリス。あんた、ハゼルにはじめてを貰ってくれってお願いしたんだって?」
「……は?」
念押しのような確認に、イリスはきょとんと首をかしげた。
「いや、洗濯場でそういう告白を聞いたって」
「……んん? 私はただハゼルに洗濯とか料理を習って女子力を高めようとしてただけなんだが」
「女子力て」
「仕方ないだろう! 私だって乙女なんだ。だからハゼルに、私を女にしてくれ、と…………あっ」
「それさね」
「あああああああああああああああっ!?」
「うわ、びっくりした!」
いきなり顔を真っ赤にして大声をあげたイリスに、ハゼルが驚く。尻尾を大きく膨らませながらフォウの背中に回りこんで隠れた。
「今すぐ誤解といてきなよ。もうホテル中で噂だよ。下手したらアデルの耳にも入るんじゃないかい」
「ぬおおおおおおおっ! 今すぐいってくる!」
ドタバタとイリスが出て行くのを、フォウは見送ってからテーブルに腰掛けた。
「さて、ハゼル。ビスケットを焼いてくれたんだってね? いただくよ」
「はい! ジャムも作ったんですよ!」
「うん。良い香りだね。いただきます」
フォウが舌鼓を打つのを見て、ハゼルは幸せそうに笑う。
後日、なんとか誤解は解けたものの、不用意な発言をしたことからイリスはアデルに叱られるのだが、それはまた別の話である。
わっちは確かに《世界一の出来損ない》だけど、本当に追放するの? 知らないよ? ~最強の師弟は二回追放された結果、新天地で神々をフルボッコします~ しろいるか @shiroiruka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます