第34話 海岸防衛戦線の顛末

 するり、と衣擦れの音。

 良いですよと言われてから、フォウは服を元の位置に戻す。耳から聴診器を取ったユーリエは、ふう、とため息をついてから笑顔になった。


「大丈夫です。どこにも異常がありません」


 わぁ、と色めき立ったのはフォウではなくハゼルだ。振り返るまでもなく、表情を明るくさせているのが分かった。

 激戦を乗り越えた戦後処理の最中だが、フォウたちは港のリゾートホテルにあるスイートルームにいた。もちろん、復活したフォウの健康診断のためだ。


「あれだけ衰弱していた内臓機能も復活し、今は正常値です。何より、殺生石は体内に残ってはいますが、その効力そのものが失われています。むしろ、フォウさんの身体を浄化させるために力を発揮している感じですね」


 なめらかな説明に、フォウは自分の血色のよくなった手を見下ろす。


「そうかい。だから身体が軽いんだね」

「はい。まったくの健康体ですね」

「本当かい? 嘘ついてない?」

「嘘はつきませんよ。ここでつく理由はありませんから。いたって健康体です」

「おお、お、おししょうさまぁ――――っ!」

「ぐへっ」


 背中からのタックルに、フォウは衝撃を受けて呻く。

 すると、ユーリエの笑顔が黒い何かを纏う。


「いいですか、ハゼルさん。いくら健康体になったからって言っても、病み上がりであることに変わりはありません。そういう身体に負荷をかける行為は慎んでくださいね」

「ひぃっ、ごご、ごめんなしゃい……」


 かつてない威圧に、ハゼルはすっかり怯えきってしまった。

 フォウは苦笑しながらも耳をぺたんと倒したハゼルの頭を撫でる。


「まぁまぁ、嬉しいんだよ」

「分かりますけどね。全力で甘やかしたいのも分かりますけどね……!」


 ユーリエは握り拳を作りながら目を抜くそらす。


「でも、本当に奇跡に奇跡が重なって今があるんですから。しばらくは静養してくださいね。最低でも一週間は。経過観察が必要ですしね」

「分かってるよ。こんなスイートルームで過ごさせてもらえるんだし、従うよ」


 フォウは両手をあげながら言った。

 ちなみに隣ではイリスが治療を受けて眠りこけている。かなりの重傷だったが、今は安定している。

 ハゼルも無事ではない。あちこち包帯まみれだし、服にも血が染み付いていた。


 誰もに休養が必要だ。


 それはここにいるフォウたちに限らない。防衛戦線に参加した全員に必要だった。

 被害状況はまだ纏められているが、損失はかなりのものだろう。失われた命も多い。


 少し気分を落としていると、ノックとともにドアが開かれた。


「アデル」


 入ってきたのは、すっかり疲れた様子のアデルだった。


「失礼します。ああ、診察は終わったのですね。その様子を見ると大丈夫そうですが」

「ええ、取り急ぎの問題はありません」

「そうですか、良かった……」

「そっちは良くなさそうだね?」


 フォウが指摘すると、アデルは複雑な表情を浮かべてから、沈痛そうに頷く。


「主力艦隊の一つが壊滅しましたからね。艦長も犠牲になりましたし、失った船員の数も多い。漁村の近くにあった山林も消し飛んだ影響で、火災も起こっていましたし。こちらは鎮火しましたが、被害は大きいです」

「そうか……すまなかったね」

「フォウ様が謝ることではありません。フォウ様が駆けつけてこなかったら、私たちは間違いなく全滅していましたから」


 アデルはハッキリと言ってから、しかし表情は暗い。


「今回の被害状況をまとめ、帝国と連名で王国に糾弾することになりました。交渉のテーブルには着いてくれると思います。渡りはありますからね」

「港町を調査していたのと関係があるのかい?」

「はい。王国でも親和派と言いましょうか、そういう勢力と接触していました。本来は貿易の活発化が目的で、それに伴う国防の相談だったんですが……それどころじゃなくなりましたからね」


 限りなく気が重そうだ。


「島の修繕のこともありますしね」

「はい。絶風島のダメージはかなり大きいですからね……ただ、交渉が難航するでしょう」

「まぁ、そうだろうね。あの王国がそう簡単にハイと頷くとは思えないし」


 アデルに同情しつつ、フォオウは小さく息を吐いた。

 成り立ちからして物騒なのが王国だ。それでも英雄と謳われた勇者がいた頃はマシだったが、今はそうでもない。絶対王政を敷いているのもあって、良くも悪くも王の能力一つで大きく変わる国だ。

 小国ならともかく、大国なのだから他国への影響も大きい。


「私たちとしても上手くやっていきたい国家ではあるんですけどね。技術力はそれこそ目を見張るものがありますから」

「まぁね、《フィフス》なんてものを作ってくるくらいだから」

「はい。帝国側も、南は安定していて欲しいはずです。今は東欧諸国連邦と西欧連合の折り合いが悪くなっていますから」

「そうなのかい?」

「戦争にはならないと思いますけどね。理由が理由というか、その、まぁアホらしいので。ただ、仲裁する帝国からすると争いの種はなくしておきたいのです」


 苦笑するアデルに、フォウは顎を撫でた。

 この第二大陸に関する情報はほぼ持っていない。情報収集する必要性はありそうだった。


「なるほどね。で、それをわっちに言ってくるってことは、最悪の場合、わっちを交渉のカードにするつもりだね?」

「カードというのはさすがに語弊がありますよ?」

「こういうのは包み隠さない方がいいんだよ。協力はするさね。何せ、わっちは非人道的研究施設の唯一の生き残りだからね。王国からしても、表沙汰にされたくないだろうからさ」


 王国は研究施設を徹底的に秘匿してきた背景からして、目の上のたんこぶであるのは間違いない。公表すれば国際的批判は免れない。だからこそ、フェイスもあれだけ躍起になって情報の塊であるフォウを狙ってきたのだ。

 もっとも、フォウがそれさえ粉砕した形だが。


 それに。


 あの研究施設は王国だけでなく、王族から追放されたフェイスが王国を転覆させるための力を蓄える施設でもあった。そこに世界への復讐を企んでいた将来崩神ハーメルンが関与していた。様々な思惑が絡み合って存在していたものだ。

 かなりのいわくつきであり、爆弾だ。

 交渉を有利に進める起爆札になるのは間違いなく、アデルもそう考えている。


「……最後の手段、ですからね」

「心得ておくよ。それまではウェイン共和国で好きにさせてもらうよ。のんびりと神具女かごめをしながら、ハゼルを育てたい。後、精霊の居住地も探さないといけないし、だしね」

『覚えててくれてどーも。まだ眠いから寝るね』


 テーブルにおかれたフルーツバスケットの中で眠っていた精霊は、手だけをひらひらさせてからまた眠りについた。

 膨大な魔力を供給し続けた結果だ。いかに純精霊といえど、疲弊はする。


「はい。我々としても強制するつもりはありません」

「それはありがたい。じゃ、まずはゆっくり静養してから弟子を育成しないとね。しばらくは共和国を巡ろうか」

「おししょうさま……!」

「なぁ、その旅にアタシも参加させてくれないかな?」


 割って入ったのは、イリスだった。

 目線を送ると、ベッドから身体を起こしている。身体があちこち痛むせいだろう、動きはぎこちない。


「イリス?」

「今回の戦いで、アタシがいかに弱いかを悟ったからね。序列第二位としてこれからやっていくにしても、パワーアップは欠かせないでしょ。だから、ね?」

「……わっちの弟子になりたいってこと?」

「平たくいうとな! そういうことだな」


 イリスが懇願するように手を合わせてくる。

 フォウは困ったようにハゼルへ視線を送ると、ハゼルは嬉しそうに頷いた。


「おししょうさま、ボク、イリスさんからけんじゅつもまなびたいです!」


 そう言われては、フォウも断れなかった。


「やれやれ。仕方ないね。いいよ。ついておいで。これからよろしくね」

「おう! よろしくな!」

「言っておきますけど、イリスさんも静養ですからね? 回復魔術じゃあ追いつけないくらいのケガだったんですから」


 きっちりとユーリエに釘を刺され、イリスは申し訳なさそうにごまかし笑いを浮かべた。


「じゃあ静養している間、次の目的地でも決めておいておくれ。わっちもちょっと眠くなってきたから、休ませてもらうよ」

「あ、おししょうさま。それならお風呂いれますね? せんたくもしないといけませんし、きがえもってこなきゃ」


 ゆっくり伸びをしたとたん、ハゼルが慌ただしく動き回る。

 いつもの光景になって、フォウは安堵する。

 しばらくはのんびりできそうだ、と思いながら。


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