第32話 海上決戦
ふわり、と、ファウストが海に浮かぶ。
それからの対峙は、ほんの数秒間だった。海を蹴り、ファウストが走りながら突っ込んでくる。人間では視認すら不可能な機動性で、フォウの懐に入り込んできた。
「おいでませ、
読んでいたフォウはすかさず神を呼ぶ。
翼の持つ深紅の犬神が、今にもフォウを殴り飛ばそうとするファウストに牙を剥けた。
殺戮の波動が飛び散り、周囲の海面が死を迎える中、ファウストは直撃を受けても平気だった。否、正確には鎧の一部が剥げたが、すぐに再生した。
(これは、加護の力だね)
フォウは素早く見抜いていた。
問題はその加護だ。幾つもの波動を感じて、フォウは目を細めた。
(人間に付与される加護は一種類。稀に二種類。けど、今動いた加護は、少なくとも四つ以上。尋常じゃない数の加護が、強制的に付与されてるんだね)
もちろん目的は神を封じるためだろう。
それを応用しているのだろうが、魂にかかる負担は尋常ではない。
フォウは後ろに後退しつつ、暴風を操ってファウストの接近を拒絶。さらに神を交代させるべく腕を振った。
「おいでませ、
出現したのは、体格の良い男神。
一瞬で標的を見定めると、海を蹴って接近、肉弾戦を仕掛けた。ファウストも反射的だろう、鋭い動きで応じる。
拳と拳が衝突し、衝撃を生む。
『おおおおおおっ!』
咆哮。直後、互いに蹴り足を放ち、また激突しあう。
同時に弾かれ、その反動を生かしながら回転、接近。まるでシントメリーな動きで肉薄し、拳と拳を叩きつけ合った。
豪快な打撃音が何度も響き渡り、二人を中心に衝撃波が何度も生まれる。
(これは、マズいね)
至近距離で見ていたからこそフォウは
(力でも押し負ける――あの中に封印されている神は、なんだ?)
神であることは分かる。
だが、妙な感覚があって、それを判別しきれない。
考えていると、ファウストのボディブロウが炸裂した。
ガオン、と爆発のような音を立て、
フォウは即座に神を呼び戻す。
「おいでませ!」
呼んだ刹那、クラーケンの始末を終えたエーギルが海から飛び出して襲い掛かった。
凄まじい波と共にトライデントで突きが放たれ、装甲の一部を抉る。
(ミスリルにオリハルコン……さらにアダマンタイト。バカに高い金属をこうまで惜しみなく使うなんてね)
分析する間に、エーギルの下僕たちが一斉に襲うが、ファウストは攻撃を受けながらも反撃を開始する。刹那の光の収束。
直後、大量の海水を蒸発、爆発させながら周囲へ閃光を放ち、下僕どもを消滅させていった。
それだけに終わらず、ファウストの身体から闇が漏れ出し、巨大な犬を象ってからエーギルの喉仏に鋭くかみついて抉り切った。
たちまちにあがる悲鳴。
フォウはまたもやすぐに体内へ神を戻し、さらに呼び出す。
「おいでませ、
煙と共に膨大な炎が生み出され、巨人になりながらファウストへ躍りかかる。
巨人は炎を大量に吹き付け、衝撃波を伴ってファウストを遠くへ弾き飛ばす。ファウストは何度も海の上をはね飛びながらも姿勢を整えて着地。
反撃に顔の前に光を収束させ、放った。
凄まじい攻撃に、
「そうか……今の力……神は一柱だけじゃないんだね」
寒気がした。
複数の神を強制的に交じらせることで、精神混濁を引き起こして制御しているのだろう、と推測はついたが、失敗すればとんでもない爆発を引き起こしていたはずだ。それこそ、王国の半分が吹き飛ぶような大惨事だっただろう。
あまりに大きいリスクさえ実行する、狂気。
フォウは憎しみの深さを自覚しながらも、息を吸う。
体の調子は悪くない。やれる。
「可能性としてはあるかもしれない、くらいだったけど――
堕とされた主神に、その神を噛み殺した破滅を呼ぶ魔神。
最悪の組み合わせだからこそ、お互いに混ぜれば精神混濁を引き起こせる。
「でも、それならば!」
フォウは
「使うのはこいつらさね。《神威》解放!」
フォウの足元に、多重の魔法陣が浮かびあがる。それは、ルーン文字で埋め尽くされていた。
「おいでませ――
——がかかっ!!
世界が真っ白に染められ、天候が変わる。直後、凄まじい轟音が響き、音を置き去りにした光の一撃がファウストに直撃する。
ずん、と衝撃。
遅れて音がやってきて、周囲に激甚な破壊をもたらす。
『————っ!』
声もなく悲鳴が上がる。
海水が一気に蒸発して消滅し、爆発。巨大な水柱に呑み込まれながらも、半身を消し飛ばされたファウストはそこに立っていた。
(これで、まずは
フォウは再び、強大極まる神を呼び出す儀式、《神威》を発動する。
ごりごりと精神が削られる感覚がするが、負けていられなかった。
「《——終末の呼び鈴。天空の世界樹を焼き払う劫火の化身。荒れ狂う天狼、滅びの始祖》」
腕だけでなく、全身に紋様が浮かぶ。
これから発動するのは、フォウの中でもとっておきのとっておきだ。
力を使い果たしてしまうだろうことは理解しながらも、これしか選択肢はない。
「《均衡保つ森羅万象の鎖、汝は食いちぎった神の腕の血を浴びて怒りの激流に吠え叫ぶ――》」
空が、海が、空気が。変質していく。
真っ暗闇に。
「《解放の時は今。
ごぼり。と、巨大な闇が現れた。
「
世界が書き換えられる。
ゆっくりと、鎖に全身を縛られた狼が姿を見せた。血まみれでやせ細っていて、しかし、獰猛極まるその目を欄欄と光らせて。
ファウストが――否、
「喰い殺せ!」
フォウの指示に従い、
紛れもなく世界を震撼させ、その身を躍らせて神へ襲い掛かった。
同時に
『グルアアアアアアアアアア――――っ!』
世界を震えさせる咆哮を轟かせながら、その牙は
たった一噛みで、神は粒子となって消えた。
刹那。
その破壊が周囲に伝播し、海を、空を抉っていく。
闇色の光が霧のように周囲を包んだと思えば、一瞬で渦を巻きながら収束、消えた。残ったのは、フォウのみ。
──ありがとう。
そんな声がした。
フォウは憐憫の滲ませる笑顔で、空を見上げた。
(さよならだよ、ファウスト)
短く、別れを告げた。
「……はぁ、はぁ。さすがに、疲れたね」
うっすらと額に浮かんだ汗をぬぐい、フォウは海の先を睨む。岩礁地帯だ。
あそこには、
フォウは呼吸を整え、気合で
ぐん、と加速してから、フォウはものの十秒で岩礁地帯に着地した。さすがにこれ以上の維持はスタミナを削るだけなので、
「さて。どうだったかい、
フォウは眼前で拘束されたままの
「どうもこうも……よくもここまでやってくれたものだよ。いったいどれだけの巨額損失をたたき出したと思ってるの? 特に《フィフス》さ。あれは王国の国家予算の実に二割に達するんだよ? 国が傾いちゃうよ」
「知ったことじゃないね。わっちらに手を出そうとするからさ」
「くははっ、傲慢だなぁ。出来損ないの人間風情が」
嘲笑われ、フォウは違和感を覚えた。
「その出来損ないに負けそうになってるのはどこの誰だい」
「負ける? 誰が? 誰に? 笑わせないで欲しいな。
ずるり、と、蛇が離れていく。地面に落ちたとたん、粒子と化してフォウのもとへ戻ってきた。
驚愕して
明らかに向こうの消耗している。だが、幾分かの力は残っているようだった。
「君の立ち回りは見事だった。計画が丸つぶれだ。でもね、その丸つぶれになる中でも絶望は萌芽する。ボクはそれを吸収し続けた。それだけだよ」
ず、と闇が漏れ出る。
精神汚染のそれではない。明らかな殺意に満ちていた。
「さすがに権能を使うだけのスタミナはないけど……呪い殺すくらいはできるよ。何より、君は今、ほとんど力を使い果たしているだろう。神殺しの天狼まで呼び出したんだから当然だね。まったく驚いた。そんな切り札まで持ってたなんてね」
「死に物狂いでかき集めたからね」
「まぁそういうワケさ。ボクが君を殺して、逃げる。また時が来たら、世界への復讐を始めるさ」
軽率に言ってから、
フォウは舌打ちしながらも身構えた。
残った力をかき集めるが、神を呼び出すにはまだ少し足りない。
(まずったかな、これは……)
「おししょうさまに」
歯ぎしりした瞬間、声がした。
「おししょうさまに、手をだすなっ! ――《流れたゆたう自由の風、純真無垢よ、清廉潔白であれ》――
唱えたのは、ハゼル。
瞬時にして周囲に清浄なる魔法陣が展開され、
塵のように消えていく闇を見て、
血塗れのハゼルは、烈火のごとく怒りながら立ち上がっている。
その傍には二匹の
「そうか、精霊を介した魔力による回復促進か。運気の権能をそんな形で使ってくるとはね。驚いたよ」
軽口を叩くように言いながら、
逃げるつもりだ。
直感で悟りつつ、フォウは集中をかき集める。
「でも、今の君たちじゃボクを倒すことはできないよね?」
嘲笑いながら
ハゼルは軋むはずの身体を動かして、手を掲げる。
その手に集まったのは、《神威》だった。
「――できるさ。ボクは、最強のおししょうさまのでしだ。最強のでしだっ!」
風が生まれた。
「おいでませ、ライコウっ!」
清浄なる結界の中、出現したのは着物姿の青年。彼はゆっくりと刀を抜き放つ。
「天下五剣が一振り、ライコウ。またの名を童子切安綱。一振りにて参る!」
気合を吼え、刀を真横に振るう。
瞬間、斬撃の奇跡が光となって拡大、巨大な一閃となって
――無音。
愕然とした表情で、
どろり、と溶けていく。
「そんな……? ボクが、滅びる……?」
「せかいのふくしゅうだとか、どうとか、ボクにはかんけいない。どうでもいい」
ハゼルは肩で息をしながら言い放つ。
「ボクは、おししょうさまと生きるこの世界がだいじなんだ。お前なんかにこわされてたまるか!」
「くはっ、は、はは、はははははっ」
壊れたように
「呪われたこの世界で生きていく? 大事? 笑わせるねっ! いずれ世界は君たちにも牙を剥くんだぞ!」
「だったら、そのときはせかいをぶんなぐるよ」
「は、はははっ! あーっはははははははははは!」
笑い声が消えていく。
完全な塵となって、
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