第29話 熾烈なる海岸防衛戦線 2

 二柱の神が同時に地面を蹴る。

 目で追いきれない速度で、将来崩神ハーメルンを挟撃した。


「——ちっ」


 明確に舌打ちし、将来崩神ハーメルンが高く跳躍して躱す。だが、即座にアラクが下半身の蜘蛛の口から糸を放つ。将来崩神ハーメルンはとっさに空中を蹴って軌道を変えるという荒業を披露するが、そこに追加の糸が追いついた。

 反射的だろう、笛を光らせて構え、糸をそこに集約させる。


「——落ちなっ!」


 アラクは強引に糸を引っ張り、将来崩神ハーメルンを地面に叩き落した!

 そこへ、酒呑童子しゅてんどうじのさくらが巨躯を躍らせる。


「ごるああぁああっ!」


 猛獣でさえ逃げ出すようながなり声で、さくらが拳を繰り出す。

 すかさず起き上がった将来崩神ハーメルンは糸を切り裂いてから逃げ出そうとするが、地面に足が縫い付けられたように離れない。


 アラクが糸を岩礁にも張り巡らせていたのだ。


 粘り気の強い蜘蛛の糸に足を取られ、動きが鈍る。

 ぶおん、と空気が何重にも唸り、剛腕が将来崩神ハーメルンをとらえる。

 険しい表情で将来崩神ハーメルンは腕を折りたたんで拳を受け止めるが、鈍い音を響かせながらへしゃげ折れ、あらぬ方向にひん曲がる。


「どっせぇいっ!」


 さらに追撃が顔面をとらえるが、将来崩神ハーメルンだったそれは黒い粘液と化して砕け散った。


「ふぅ。危ない危ない」


 少し離れた岩礁の上で、将来崩神ハーメルンは瓢々としていた。

 破壊された腕をぷらぷらさせているが、すぐに淡い光を纏って修復する。


「変わり身が間に合ってよかった」


 さくらとアラクが同時に睨みつける。

 威圧がまともに伝播するが、将来崩神ハーメルンはどこ吹く風だ。

 軽やかに笛を回転させて口元に持って来る。


「まったく。そんな切り札を持っていたなんてびっくりだよ。神による物理攻撃がボクの弱点だって知ってて用意したの? だとしたら恐怖だね、ああ、怖い怖い」

「ちっとも怯えているようには見えないんだけど?」

「そんなことはないさ。震え上がりすぎて脳みそが縮みそうだ」

「白々しいわね」


 さくらは吐き捨てるように言ってから構える。


「白々しい? 心外だなぁ。キミは嘘を見抜く権能を持っているはずだろ? だったらボクに試してみればいいじゃないか。怖がってるってサ」

「そうやって心を見せて、あたしを動揺させるつもりでしょ? 狂った神が良くやる手段ね」

「……驚いた。若い酒呑童子しゅてんどうじだと思ってたんだけど……意外と経験豊富だったりする?」

「若い? あら嬉しいね。でもこう見えても《穢れの日》を経験してるよ。あたしはね」


 野蛮に笑い返し、間合いを詰めていく。

 即座に飛び掛からないのは、何か仕掛けてくるつもりだととっくに見抜いているからだ。

 じわりとした間合いの詰め方に、将来崩神ハーメルンは嫌悪するように目を細めた。


「ふーん。ますますやりにくいね。でもまぁ、関係ないか。どのみち殺すんだからね」

「強い言葉使うのね。大丈夫かしら?」

「問題ないさ。穢れなかった君たちには分からないだろうからね。この苦しみは」


 空っぽの笑顔を浮かべて、将来崩神ハーメルンは笛を鳴らす。

 奏でられたのは、不協和音。

 同時に、岩礁から黒いぬめりのような何かが大量に出現し、次々と獣と化していく。さっきのヒトのような何か、ではない。

 体毛も目も牙もある、れっきとした魔獣だった。


「これは――!?」

「さっきのモドキとは次元が違うぞ、気をつけろハゼル」


 さっとハゼルに近寄って、イリスは警戒を口にする。

 さくらとアラクも同じだった。ぴりぴりと空気を張りつめさせながら構えた。


「ふふふ、気付いたかい」


 将来崩神ハーメルンは嗤う。


「ボクの権能は神隠しと幼きものが持つ加護の簒奪。あとはこの声と音による精神汚染と洗脳くらいだ。正直、どれ一つを取ってしても、完全上位互換の能力を持つ神はいる。君たち強力な神からすれば、ちゃちい能力かもしれないね」


 聞くに堪えない声での語りは、どこか空虚だ。

 それを聞いてか、魔獣どもがグルルと威嚇で唸る。毛を逆立たせ、威圧を放つ。

 一気に周囲が不穏な空気に包まれる。


「でも、それらを組み合わせれば、何が出来るかな、という話だよ。条件さえ揃えば、ボクは神でも操れるんだ」

破滅犬神ガルム……か」

「幼獣とはいえ、神殺しの魔神だよ。君たちでどうにかなるといいね!」


 イリスの言葉に挑発を被せ、将来崩神ハーメルン破滅犬神ガルムたちをけしかける!

 直後、最初に動いたのはアラクだった。


「数で押してくるってんなら、こっちも数集めればいいだけだし。あんたたち! 出番だよっ!」


 アラクは号令を下すと、地面から次々と蜘蛛の眷属が現れる。

 蜘蛛たちは暴走するように駆け回り、迫ってくる破滅犬神ガルムどもに噛みついていく。


「へぇ! おっと!」


 面白そうに笑う将来崩神ハーメルンに、さくらが飛び掛かる。だが、寸前で気付いて回避された。

 さくらは追撃の構えを見せるが、左右から犬神が飛びついてくる。

 小さくとも、見せる牙は凶悪そのものだ。


「チビ助が、あたしに挑むなんて一〇〇〇年早い!」


 さくらは一歩だけ後ろに下がって挟撃を回避すると、二匹の犬神の後頭部を掴んで互いの頭部を激突させる。

 ごしゃ。と、頭蓋の砕ける音。

 さらに猛毒をしみこませ、さくらは犬神を蒸発させる。


「覚悟することね! 乙女を怒らせると怖いんだから!」

「……キミを乙女と呼ぶのは結構憚られると思うんだけど……まぁ構わないか。これだけの数、対処しきれるかな!?」


 将来崩神ハーメルンが笛を吹くと、さらに敵が出てくる。

 すかさずハゼルが精霊から魔力を大量に借り受ける。


「《来たれ、命の知恵の源よ。轟き吼えよ、獅子の怒りとなれ》――豪炎烈火陣サラマンダーブレスっ!」


 ごう、と火炎が渦を巻いて猛り、ハゼルに迫った犬神を二匹焼き払う。そんな炎の合間を縫うように犬神が飛び出してくるが、即座にイリスが割って入った。

 手に持った剣を閃かせ、鮮やかに斬り飛ばすと狩猟犬神カヴァスを呼び出してトドメを刺す。


 ほとんどアイコンタクトだけでの連携だった。


 さらにイリスは前方の障害となる破滅犬神ガルムを剣で斬り飛ばし、道を作る。

 ハゼルはすでに意識を高めていた。


「《天空の雷鳴、激甚の刹那――響け》っ! 雷轟陣ストライクブリッツ!」


 放たれた雷撃は、容赦なく将来崩神ハーメルンへと向かう。

 瞬時に気付いた将来崩神ハーメルンは笛を振って稲妻を外へ弾き散らした。


「怖い怖い。殺意が高いね? 子供のくせに」

「……ゆるせないから。ボクは、おまえをゆるせない! おししょうさまをきずつけた、おまえをっ!」

「――ふーん。ずいぶんと強い言葉を言ってくれるじゃないの。ちょっと優位だからって調子に乗ってるんじゃない?」


 将来崩神ハーメルンは不敵に嘲笑ってくる。


「ボクは将来を奪う神。君たちに絶望を教えてあげよう!」


 宣言するなり、将来崩神ハーメルンは笛を吹き鳴らす。

 それは想像を絶する不快な音で、周囲に異様な気配を放った。


 ――精神汚染。


 本能的に理解したと同時に、精霊がハゼルの周囲を飛び回る。

 それだけで幾らか気分はマシになったが、ダメージは避けられない。眩暈に襲われたかのように動きが鈍る。


 (――しまった。この汚染環境下では、私が出られない――)


 抵抗するように立つハゼルに、内側からライコウが焦燥の声を出した。思わずハゼルは目を大きくさせた。

 ライコウは、この状況を突破できる切り札だった。

 それを防がれたのは、あまりにも大きい。


 (なんとかして、あの汚染を――)


 ハゼルは頷く。

 即座に妨害へ動くが、激しく海面が蠢いた。


「これは――!?」


 遠くの先、軍艦がいるあたりの海面が轟き、巨大な怪物が何匹も姿を見せる。


「クラーケン!?」

「へぇ、全部で十二匹か。ずいぶん頑張ったね、フェイスは」


 驚くハゼルたちを他所に、将来崩神ハーメルンは愉快そうだった。

 クラーケンは海を縦横無尽に荒らしながら、軍艦へと襲いかかる。それまで《フィフス》に砲撃を集中させていた軍艦たちが一斉にクラーケンを狙うが、ほとんど効果がない。

 戦況が、一気に傾く。


「さぁて、どうするのかな? 助けに入る? ああでも、君たちのうち一人でも抜けたらボクを抑えられないよ? すぐにでも地上に向けてこの幼獣たちを差し向けるし、ボク自身も攻撃を仕掛ける」


 明らかに面白がっていた。


「助けたければ、ボクを殺すしかないよ。それも、可及的速やかに、ね?」

「――どこまでもふざけたことをっ!」

「ああ、楽しい、楽しいね。絶望を奏でる音だ」


 ハゼルの怒りをぶつけられてもなお、将来崩神ハーメルンは余裕を崩さなかった。



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