第21話 ハゼルと傲蜘蛛女神

「ちょっと。何こそこそしてくれてんだし」


 じゃり、と、土を踏みにじる音。振り返ると、そこには度重なるブリーチのせいだろうか、荒れた金髪を乱雑に束ねた女子がいた。ただし、上半身は《天上天下唯我独尊》と刺繍された紫の特攻服で、下半身は巨大な鬼蜘蛛だった。

 下半身のせいだろう、身長は大人よりも遥かに高い。

 妙な威圧感を覚え、イリスたちは身構える。ずい、と前に出たのは酒呑童子しゅてんどうじだった。


「ちょっと! 勝手に人の縄張りに入ってくるなって何度言えばいいのよっ! 乙女の領域に入ってこないでよね!」

「はーぁ? 何乙女って言っちゃってんだし。オカマのくせに」

「乙女に性別なんて関係ないのよっ! っていうか! あたしはマナーとかルールとか、そういうトコいってるんですけど!」

「うっせーし。あーしにそんなん関係ないし。つかさ、あーしのこと悪人扱いしてくれてっけどさぁ。ライコウセンパイはあーしのもんだからね。そこ、勘違いするんじゃねーし」

「んだとコラァっ! 横入りしてきてるクセにほざいてんじゃねぇぞ!」

「うわ怖っ。これだからオカマは」


 真顔になった酒呑童子しゅてんどうじに臆することなく傲蜘蛛女神アラクネは言い放つ。

 びきびきと額に青筋を立てまくって、酒呑童子しゅてんどうじは全身から怒りを放つ。それは毒を滲ませていて、地面の植物を枯らせた。


「あんたね……今日という今日は勘弁ならないわ。決着つけてあげるわ」

「別にあーしはいいけど?」


 対する傲蜘蛛女神アラクネも負けていない。

 真向から睨み返しつつ、こちらも毒を放って地面を腐らせていく。


 どちらも猛毒だ。


 イリスたちはさっと距離を取る。巻き込まれたら命はない。

 だが、毒は容赦なく範囲を広げていく。

 もしここで壮絶な殴り合いが始まったら、山が消し飛ぶ可能性だってあった。


「ちょ、ちょっとまってください」


 ハゼルが慌てて制止する。


「ふたりがたたかったら、やまがきえちゃいますよ!」

「「こいつを消し飛ばすなら山一つくらい消えてもいいんだけど」」

「声をそろえてこわいこといわないでください!」


 真顔で詰め寄られるも、ハゼルは必死で言い返す。


「ダメですよ! それに、ボクだったら、そんなやばんなしゅだんでケンカするじょせいって、にがてです」

「「ぬううっ!?」」


 ハゼルが諫めると、二人は同時に唸り声をあげた。


「た、確かに、乙女たるもの……このような手段で決着をつけるのは……」

「あーし、だって。ライコウサマに嫌われるのは嫌だし」

「だったら、もっとへいわてきなことでかいけつしましょうよ」


 腰に手を当てて頬を膨らませるハゼルに、二人はたじたじだった。


「(ハゼル……強い。あの師匠にしてこの弟子か)」

『(いやでもフォウの前じゃ超泣き虫じゃない? 甘えん坊だったんだけど)』

「(師匠の危機を前にして、成長したってことなのか……)」


 ぼそぼそとやり取りする二人を尻目に、ハゼルは続ける。


「たとえば、そのライコウさんが気に入るようなおくりものをするとか」

「――それだっ! それよっ! さすがねハゼルちゃん!」

「子供の割には良いこと言うし。それで勝負だし。ライコウサマはタペストリ欲しがってたんだよね」

「タペストリね、受けてたつわっ!」

「はーん。いいの? あーしに縫物関係で勝負挑むとか、命知らず過ぎるっしょ」

「構わないわ。乙女はどんな勝負にも正々堂々と挑んで粉砕するのよっ!」

「乙女は粉砕しないと思うんだけど?」


 不審な顔で傲蜘蛛女神アラクネはツッコミを入れる。


「とにかく、勝負だし。制限時間は二時間。完成品をライコウサマに届けて、どっちがお気に入りになるか、で勝敗を決めるし」

「構わないわ」


 酒呑童子しゅてんどうじは強い表情で頷く。


「負けた方は勝った方のいうことをなんでも聞くこと。いいね?」

「もちろんよ。全身穴ぼこだらけにしてやるから、覚悟することねっ!」

「いや、そんなほっぺ膨らませたぷんぷん顔で言うことじゃねーし」


 またもや的確にツッコミを入れつつ、傲蜘蛛女神アラクネはため息をついた。


「それじゃ、スタートだし!」


 宣言と同時に、傲蜘蛛女神アラクネは全身から魔力を開放し、糸を次々と生み出していく。

 あれが、傲蜘蛛女神アラクネの織糸。

 絶対に手に入れなければならない代物だ。ハゼルはしっかり注目してから、酒呑童子しゅてんどうじを見た。


「あれ? 糸はどうするんですか?」

「大丈夫よ。それくらいは作れるから。乙女の必修技能よ」


 笑顔で返しつつ、酒呑童子しゅてんどうじは指先に糸を集め、からめていく。あっと言う間に毛糸を一塊に仕立て上げた。しかも一色だけではない。

 おお、とみんなから声が出る。

 酒呑童子しゅてんどうじはふふんと鼻を鳴らしつつ、どこに隠し持っていたか、裁縫セットを取り出して広げた。


「って、これで縫うのか?」

「そうよ。毛糸のタペストリだからね。こうして型紙を取って、デザインをして」


 鼻歌交じりに、酒呑童子しゅてんどうじはゴツい身体には一切似合わない繊細さで下書きしていく。

 実に可愛らしい烏帽子の被ったデフォルメされた青年の笑顔だった。


「か、可愛いっ……!」

「そうでしょ!? ライコウサマを思って、なんども練習したんだ」


 両手を胸の前で乙女的に握りしめながら、酒呑童子しゅてんどうじは顔を明るくさせてはしゃぐ。

 それから型紙に麻糸を細かくひっかけ、下地であるフリンジを作る。


「あとは、下書きにそって編み込んでいく、と。言いたいんだけど、アタシ、こっからが苦手なのよね」

「そうなんですか?」

「うん。デザインまでは出来るんだけど、思い通りにいかなくって」


 言いながらも楽しそうに作業を始める酒呑童子しゅてんどうじの脇からハゼルはのぞき込む。

 手際は決して良いとは言えないが、丁寧だ。


「あ、そこは、こっちじゃないですか? いちだんズレちゃってる」


 ハゼルは優しい声で指摘する。


「あ、確かに! すごーい。よく分かったわね」

「はい。おししょうさまにおしえてもらったので」

「そうなの? 凄いわね? じゃあ得意なの?」

「ないしょくで、作ったけいけんがあります。おかねがなくて……」

「何かすごく物悲しい理由ね」

「ま、まぁまぁ。ボクでよかったら、きょうりょくします」

「本当? 助かる!」

「じゃあつづけましょう。えっと、この顔にするなら、この毛糸はこっちからですね」

「あ、そういう技もあるのね。えー、すごい」


 それから、ハゼルと酒呑童子しゅてんどうじは作業に没頭していく。

 ハゼルの手並みは素人目でも的確で別格だった。

 だが、傲蜘蛛女神アラクネはそんな二人を差し置いて、はるかに細かくて難易度の高そうな細い糸でのタペストリを作っていた。

 蜘蛛の足と両手を器用に使い、機織り機を使っているかのように編み上げていく。


『(ねぇ、イリス。あなたも人間なんだから手伝ったら?)』


 ふと耳打ちしてきたのは、精霊だった。暇らしい。


「(人間だから、なんて括りで言うな。というか、アタシはこういうの無理だから。あんな細かいのは苦手だ)」

『(でもハゼルは上手だよ?)』

「(あれは特別だよ。タペストリ作りが上手な男の子なんて知らん。フォウはいったいどういう教育をしてきたんだ?)」


 イリスは本気で疑問を口にする。

 ここに来る間までにも、ハゼルは生活力というものが異常に高かった。川渡しの船頭との値切り交渉までやってのけたのだ。


『(さぁ。私も付き合い短いからなんとなくしか分からないけど、基本的にフォウの身の回りの世話は全部ハゼルがしてたよ? 船でこっちに来る時も、フォウの服がほつれてるって直してたし)』

「(服って、着物だろあれ。伝統工芸品だぞ?)」

『(でも、ちゃちゃっと直してたよ? あと、掃除洗濯炊事全部出来るって)』

「(なるほど。規格外だな)」


 イリスは遠い目を浮かべた。


「(アタシにそんなスキルはどこにもない。洗濯なんてじゃぶじゃぶって洗うだけだし、飯だって肉と野菜焼いて塩かけるくらいだ)」

『(それ、割と野蛮じゃない? 塩使ってるだけ文明人ぽいけど)』

「(言葉の刃が鋭すぎるからやめてくれ)」


 がっくりとイリスは肩を落とした。

 そんなやり取りを続けているうちに、二時間はあっという間に経過した。

 ハゼルと酒呑童子しゅてんどうじはギリギリまで仕上げに時間をかけていたのに対し、傲蜘蛛女神アラクネ。はかなりの余裕をもって仕上げていた


 むしろ、審査員であるミナモトノライコウを呼んでくるまでだった。


 烏帽子をかぶった、品の良い青年だ。

 だが、纏う気配は人間のそれではなく、明らかに神性だ。しかも穢れていない。


傲蜘蛛女神アラクネもそうだけど、穢れてないんだな」

『たぶんも何も、酒呑童子しゅてんどうじのお神酒の効果だと思うよ。この山全体が浄化されてるもん。ちょっと住みたいって思うくらい。精霊も結構集まってるからパスだけどね』


 環境は最適だが、広々と暮らしたい精霊の条件には似合わないらしい。


「あ、あのっ! ライコウサマ! まごころこめて作ったっす! 受け取ってほしいっす!」

「ライコウサマ! あたしも一生懸命作りました! どうですか?」


 二人は顔を赤らめながら、青年にタペストリを見せる。

 傲蜘蛛女神アラクネが披露したのは、大型のタペストリだった。見事な刺繍で、猛々しい青年がおどろおどろしい鬼に向けて刀を向けている勇ましい様だ。


 見るだけで相当な迫力がある。


 とてつもない技術の集大成ともいえた。ハゼルも思わず息をのむ。

 もはや芸術の領域だ。


「す、すごい……あんなのはボクもむりです」

「うぅ、悔しいけど。技術力が違うわね」

「当たり前だし。織物っていったらあーしだし」


 自信満々に鼻を鳴らす傲蜘蛛女神アラクネ

 一方、酒呑童子しゅてんどうじが作ったタペストリは、毛糸にしては目が細かいものの、サイズもそこまで大きくなく、ハンドメイド感が強い。

 少しばかり不格好になった笑顔の青年。

 それでも、と手渡すと、ライコウはほっこりと笑顔を浮かべた。


「ありがとう。さくら。私はこういうのが好きだ」


 と、酒呑童子しゅてんどうじの名を呼びつつ両手でしっかりと受け取る。

 愕然としたのは傲蜘蛛女神アラクネだった。


「な、ななな、なんでぇ!?」

「アラク。確かに君のタペストリは素晴らしい。そこらの高級品と比べても遜色などない。けど、私はその絵柄が良くないと思うんだ。その刀は《童子切》で、切ろうとしているのは酒呑童子しゅてんどうじだろう?」


 ライコウは少し寂しそうに言う。


「確かにそれは、生前の私の武勇伝ではある。だが、私は同時に後悔しているんだ。真正面から挑まず、私は卑怯な手を用いて首を取ったからね。それに何より、今の私は酒呑童子しゅてんどうじであるさくらと仲良しなんだよ?」


 ライコウの指摘に、傲蜘蛛女神アラクネは戸惑う。

 酒呑童子しゅてんどうじは鬼神の中でも最強格であると同時に、条件さえ整えて進化した先の鬼神でもある。

 つまり、今目の前にいる酒呑童子しゅてんどうじのさくらとは違う酒呑童子しゅてんどうじがいて、ライコウはその鬼神を退治したのだ。


「個体としては違うが、同じ鬼神という存在でもある。それに、そのタペストリから伝わってくる感情。私に対する好意もあるが、さくらに対する憎悪や皮肉も込められている。申し訳ないが、私は受け取ることができないよ」

「——っ!!」


 ズバっと切り込まれて、傲蜘蛛女神アラクネは言葉を失う。


「その点、さくらのタペストリはあたたかい。私は喜んでいただくよ」

「ライコウさまっ……!」


 涙を流す酒呑童子しゅてんどうじの手を、ライコウはそっと握る。


「ありがとう、さくら」


 勝敗は、言うまでもない結果だった。

 イリスたちが拍手を送る中、傲蜘蛛女神アラクネだけが茫然としている。そこに、ハゼルは歩み寄った。


「あ、あの」

「なんだし? 負け犬をバカにしにきた?」

「ちがいます。そのタペストリ、ほんとうにじょうずだなっておもって」


 ハゼルは少し恥ずかしそうにしながらも、タペストリを見る。近くで見れば見るほど、芸術品だった。思わず感嘆の息が漏れる。


「上手って言われても……」

「こんど、おしえてもらっていいですか? あの、ボクもタペストリをわたしたいひとがいて……おねがいします」


 困惑する傲蜘蛛女神アラクネに、ハゼルは頭をぺこりと下げた。

 その瞬間、何かに撃ちぬかれたかのように傲蜘蛛女神アラクネはのけぞった。しばらく悶えるようにして、ようやく姿勢を戻す。


「……わかったし。あーしに任せるし。でも、教えるのは簡単じゃないから、ずっと面倒見る必要あるからさ、その、あんたについていくことにしたし。そしたらいつでも見れるし? 上達も早くなるし。えー、えっとね、つまり、あんたと契約するってこと。それでオッケー!?」


 顔を赤らめながら、傲蜘蛛女神アラクネは言い切った。


「ほんとうですか! こころづよいです!」

「戦闘面でも任せるし。どうせあのゴリラオカマもついてくるんでしょ? 色々と大変だろうからね。あ、あーしはアラク。アラク姉さんって呼んでいいよ」

「ちょっと誰がゴリラオカマよ。グレ女」


 すかさず割り込みがあって、口喧嘩が始まる。

 ハゼルは慌てて仲裁に入り、イリスたちが苦笑しながら見守る。


「ともあれ、これで二つゲットだな」

『残るは四方風神の息吹、か。手がかりから探さないとね』


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