第20話 ハゼルと酒呑童子
ハゼルにとって、フォウは唯一の肉親と呼んで差し支えがない。
フォウとの出会いは、半年と少し前のことだ。
生まれながらにして加護がないハゼルは、一族から忌み嫌われて赤ん坊にして奴隷商人に売り飛ばされた。
劣悪な環境、ろくでもない教育に、虐待の日々。
ただ誰かに売られるのを待つばかりの人生だった。
だが、加護がないだけで人々は誰も買わない。不吉の象徴は、ハゼルの美しい見た目さえ塗りつぶしてしまっていたのだ。
自分はいつ殺されるのだろう。
そう思い始めたある日、ハゼルは手ひどい虐待を受ける。全身が血塗れになって、激痛さえも鈍くなるような酷い有様だった。どうやら売れないハゼルに見切りをつけたらしい。
いよいよこれまでか、そう思った時、フォウによって助けられた。
ハゼルを虐待してきた奴隷商人たちを火の海に沈め、フォウは笑顔でハゼルに手を差し出してくれた。
それから、ハゼルはフォウから色々なことを学んだ。
言葉も、読み書きも、獣人としての強みも、魔法も、
瞼を閉じれば思い出す。
(だから、おししょうさまが困ってるなら、ボクは……! いのちをかけてでも、なんとかしてみせる!)
そんな強い決意をもって、ハゼルはイブキ山に辿り着いた。
ここのどこかに、
人の手が入っていない野の山だ。登山道などあるはずがなく、けもの道を頼りに中へ入っていく。
背の高い草をかきわけながら、イリスが説明をした。
「ここは昔、小さい集落があったくらいの山でさ。今は誰も住んでないんだよ。だから直接的な被害はなくてさ、重要度は低かったんだ」
もちろん、自然に悪影響を及ぼす穢れた神なら別だが、
ただ酒と暴力を好む鬼神だ。
それだけに、純粋な戦闘能力は異常なまでに高く、神としての階級も高い。鬼神というカテゴリの中では最上位に君臨する。
「ま、強すぎるからっていうのもあるんだけどね」
『一応聞くけど、勝つ見込みはあるの?』
「真正面から勝負を挑んだら、一〇秒持たないんじゃない? ぶっちゃけ、あの破壊力には勝てないよ。アタシの手持ちじゃ無理」
あっけらかんとイリスは言う。
『じゃあどうするの?』
「真正面から挑まない」
『どういうこと?』
「
浄化して体内に取り込むつもりがないのなら、可能な作戦ではあった。
「でも、だいじょうぶなんですか? 今、
穢れた神というのは、総じて凶暴だ。
まともな話し合いなど成立さえしない。穢れの具合によっては会話程度なら可能だが、獰猛さまで収まるワケではなく、徹底的に戦うことになる。
「違うよ?
「えっ!?」
「元々、鬼神の中でも悪の方っていうのもあるんだけど、何より毎日それこそ浴びるくらい酒を浴びて引きこもってたせいで、穢れの余波を受けずに済んだんだ」
つまり、自分自身のお神酒で浄化した悪鬼神というわけだ。
なんとも色々と規格外な様子だ。
「だから対話はできるよ、対話は」
『含みのある言い方だね?』
「言っただろ。
『
基本的に神々へは魔法は通じない。ただし、
仮に戦闘になった場合、ハゼルはイリスのサポートに回る。その時、もっとも効果的な魔法を使うのは当然だ。
「ないわよぉ」
そう答えたのは、イリスではなかった。
ほんの僅かな間、刹那にして走り抜ける緊張感。一斉に振り返ると、そこには鬼がいた。
巨大な体躯にはちきれんばかりの筋肉。額から出る二本の角は先端に行くほど桜色に染まっていて、その顔は――ばっちりと化粧を施していた。
鬼は、そのまま爽やかに笑う。見える牙は禍々しい。
イリスとハゼルは同時に後ろに跳んで身構える。鬼は驚いたのか、くねくねしながら内またになった。
「ちょっと! いきなり逃げることないんじゃない?」
そして、妙に甲高い声で抗議を受けた。
「え、ええ……?」
『ちょっと、あれってまさか……』
「間違いない。この強大な神の気配、
「え、でも、えっと……」
男と呼ぶべきか、女と呼ぶべきか。ハゼルは迷った。
同時に、
(こ、これは、まちがえたらダメなやつだ……! オカマなんていったら、ぜったいにまずい……!)
本能的にハゼルは悟る。
ここでも蘇ったのは、フォウの言葉だった。
――いいかい。ハゼル。男子たるもの、乙女心を読むことは大事だよ。でも乙女心ってのはどこまでも移ろいやすいから、その時その時で見極めるんだよ。重要なのは目だ。目で何を訴えているのか把握するんだよ――
ハゼルはじっと目を見て、感じる。
ごくり、と喉をならして覚悟を決めた。
「じょせい、ですよね?」
少しだけ震えた声で言った瞬間だった。
ずどん!
と音を立てて地面が爆裂し、
(ま、まずった!?)
ハゼルの前に精霊が決死の表情で割り込む。
精霊は魔力を集めることは出来るが、物理的な障壁にはなりえない。それでもハゼルを庇うための行動だ。
「そうなのっ! 分かる!? 分かるわよねぇっ! そうなの! あたしは乙女!
「え、あ、はい、よろしくおねがいします?」
「きゃーんっ! なんて可愛いのっ! このまま抱きしめちゃいたい!」
『ちょっとやめなさいよね。そんなことしたら全身の骨がバッキバキになるでしょうが!』
「失礼ね。たぶん背骨くらいで済むわよ!」
「いや、あの、どっちにしろ大ダメージです」
唐突に言い合う精霊と
すると、
「それもそうね? だからまぁとりあえず抱きしめないんだけど、それ以上に何者なのよあなたたち。見ない顔なんだけど」
「他でもない、あなたに用事があって来たんだ」
イリスがさっと前に出る。背負っていた袋から取り出したのは、特別大吟醸と書かれた瓶だった。
とたん、
「そ、それはっ……! 特別大吟醸っ……! 般若湯じゃないか!」
「一本だけじゃないぞ。何本も持ってきた」
「それと引き換えの用事ってことね? いいわ、何が目的なのかしら。言っとくけど身体は売れないわよ。あたしはまだ純潔なんだからね!」
「そんな極悪非道なことはしないってば」
「ねぇ、なんでちょっと目を逸らしながら言ったの今」
「気にするな。それよりも頼みがある」
イリスはしれっと話題を逸らしてから、真っすぐ
覚悟を見て取ったか、
「なるほど? 腹を割って話すなら聞いてあげるわよ。言っておくけど、私の権能に嘘を見破る力があるからね。もしつまらない嘘をついたら、くびり殺すわよ」
物騒なことを当然のように言い放たれ、ハゼルは気を引き締める。
「分かってるよ。何、そんな難しい話じゃない。あんたの力のこめられたお神酒が欲しいんだ」
「それはまたどうして? あたしのお神酒を売ってお金儲けでもするつもり?」
「確かにあんたの酒は高く売れるな。けど、そんなんじゃない」
「嘘じゃないわね。もし金儲けだったら、嘘ついても本当だったとしても、その場で命を終わらせてたところなんだけど」
またもや物騒なことを言い放つ
確実に試されている雰囲気だ。
「おししょうさまを助けるためなんです」
ハゼルは正直に打ち明けた。
このまま腹の探り合いをするつもりもないし、丁々発止も避けたい。であるならば、素直に言ってしまうのが一番だった。
ハゼルはたどたどしいながらも、全部を告げた。
フォウのこと。フォウに起きたこと、強大な敵のこと。
ようやく説明を終えると、
『(ねぇちょっと、あれどう思う?)』
「(わからん)」
そんな
「う、うぅっ、ぐしゅっ」
地震のような低い声で唸り、
ハゼルたちはぎょっとした。
「ぐしゅっ、いのちの危機に瀕した師匠を助けるためだなんてっ……うぶぅっ、泣かせてくれるじゃないのよっ! うおんうおんうおんっ!」
雄々しさ極まりない泣き声は衝撃を生み、周囲の木々をひん曲げる。鳥だけでなく、動物たちが一斉に逃げていく。
割と深刻な被害を出している鬼の顔は、見事なまでに涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
ハゼルは思わずハンカチを手渡す。
「はー、久々に感涙したわ。もう涙が止まらない。あ、これどうしよう、洗って返せば良いかしら?」
「いえ、おかまいなく」
「そう? 本当にやさしいのね」
「よし決めた。ハゼルちゃんだっけ? このあたしにどーんと任せなさい。お神酒をあげるのは当然だけど、協力してあげるわ」
「きょうりょく?」
「ええ。ハゼルちゃんの大事なお師匠に酷いことした
言いつつ、
とんでもない膂力に、ハゼルたちは顔を引きつらせる。
「確かに、あなたほどの強力な鬼神が味方についてくれるなら、ありがたいことこの上ないのだが……」
「うれしいこと言ってくれるじゃないの。でも、協力する前に一つだけやりたいことがあるのよ」
「やりたいこと?」
「そう。あたしは……あたしは、一人の乙女として、愛を取り戻さないといけないのよ」
深刻そうな表情で真剣に言われ、イリスと精霊が同時に戸惑った。
ただ、ハゼルだけが前のめりになる。
ハゼルの目的は師匠であるフォウを救うことだ。そのためならば、何でもする覚悟はできている。
「あ、あの、とりもどすって、どういうことなんですか?」
訊ねると、
「ええ、取り戻すの。あたしの恋人……ミナモトノライコウ。彼は今、とんでもない悪女に言い寄られているの。その名も、
「あ、あくじょ……?」
「そうよっ! あんなグレて髪の毛金髪に染め上げて夜な夜なパラリラパラリラ暴走行為を繰り返すだけのレディース珍走団の頭領よっ! 不良なんだから不良らしく不良と付き合っていればいいのに、なんでよりにもよってあたしの王子様に!」
どこからともなく取り出したハンカチを噛みちぎり、
その傍らで、イリスと精霊は表情を失っていた。
『(ちょっとこれ、どうなってんの。なんでこんなバケモノどもの愛憎劇に巻き込まれようとしてるわけ)』
「(気持ちはわかるよ。気持ちは。アタシだって本音はとっととテキトーに話を合わせて切り上げて逃げたい。けど、
『(いや、そうかもしれないけどさ。こんなの茶番じゃんか!)』
「(それに、だ。もしここでテキトーなことを言って逃げようとしてみろ。たぶんバレるぞ。
イリスに諭され、精霊は言葉を失う。
『(つまり、逃げ場なしってこと……?)』
「(それにアタシたちにとっても好都合だ。うまく行けば、
『(確かに……全力で茶番に乗っかるしかないってことか)』
「(それに、本人は必死で真剣だからな。本気の恋なら、同じ女として応援してやらないとさ)」
『(侠気あるね)』
イリスは覚悟を決めたように頷いた。
「分かった。アタシたちに協力できることがあればするよ」
「本当!? 助かるよ!」
気配が生まれたのは、その時だった。
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